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『朝日新聞宇宙部』科学を一面トップにした男(業界の歴史)

 本書を読んで感じたのはメディアの使命とは何かということだ。朝日新聞の発行部数は落ち続け、新聞ビジネスそのものはオワコンだ。新聞のルーツを辿ると幕末の役人 小栗上野介に行き着く。その時代にはじまった新聞ビジネスでは1面に記事が乗ることに価値がある。政治経済のニュースが1面に掲載される中、最初に科学記事を1面に載せたのは、朝日新聞の科学部長である木村繁氏だ。

 この『科学を一面トップにした男』(三田出版会)には、木村繁氏の取材から東大宇宙研究所の糸川英夫博士が辞任に至る経緯が、「第4章 糸川ロケット疑惑事件」として次の書き出しで書かれている。

 社会部遊軍記者だったある日、たしか当時の伊藤牧男社会部長から、科学部の木村繁氏に会うように言われた。部に訪ねた木村氏から渡された三冊のノートが、「経理に疑惑」「すっきりしない産学共同」「まるでロケット業者」と、四十二年の3月はじめ、一日おきに社会面のトップに書いた大々的なネタ元だった。

 一方、当時ロケット開発の現場にいた林紀幸氏によると、『昭和のロケット屋さん』(エクスナレッジ)には、糸川博士が東大を辞める2ヶ月前に次のことがあったとある。

 先生が糸川研究室の人間を全員集めた。「皆さん、私は宇宙研の所長をやります。糸川研究室の仕事はもっと大変になりますが、覚悟をしておいてください」と言われたんです。それからまもなく辞めちゃったわけで、その間に何が起こったか。「糸川を所長にしたら大変だ」と思った人が、何人かいたと思います。それで足を引っ張り出した。そういうことと、それともう一つは、宇宙開発事業団、その当時は宇宙開発推進本部って言ってたんですが、その時の連中が「これ以上糸川にイニシアチブを取らせていては、我々の時代は来ない」と、そういうふんに踏んだのではないかと思います。まあ、それがすべての原因ではないと思いますが。

 こういう日本の宇宙開発と朝日新聞との確執があった上で、はやぶさの映画『はやぶさ 遥かなる帰還』には、朝日新聞の科学部の記者(井上真理)が出演している。

 この映画を見た時、朝日新聞と当時のことを知る宇宙研の人たち(的川泰宣)との軋轢はなくなったと思っていたが、映画で描かれた記者のモデルが、本書の著者である東山正宜氏だ。

 東山正宜氏は木村繁氏と同様に科学記事(はやぶさがオーストラリアで燃え尽きた写真、はやぶさ2の持ち帰った砂からアミノ酸が見つかった記事、ヒッグス粒子の発見記事など)を一面に飾らせた記者だ。

 マウナケアからの映像の配信を生み出したきっかけが、藤原道長の次の歌にある望月のYoutube配信からだとは面白い。

この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思えば

 本書にはYoutube配信からの宇宙部の活動などが紹介されているので、衰退する紙媒体から極端に少人数で実現可能なビジネスモデルへの転換の参考になる。

 最後に本書で参考になったのは、朝日新聞が記者が海外出張をする場合、危機管理のために、出張先と滞在地、主な取材内容を編集局員全員で事前共有する決まりになっていることだ。経営が苦しくなり、取材を抑えてしまったらますます経営は苦しくなる。取材先は他社がいかない場所(マウナケアの頂上)や危険地域でなければ差別化もできないのだろう。

 朝日新聞系列のWebメディア「UchuBiz」に「ロケットの父『糸川英夫』から学ぶイノベーションの本質」と題した連載をしていたこともあり、宇宙はメディアの新しい分野としてさらに拡大して欲しいものだ。

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Creative Organized Technology 研究会(創造性組織工学研究会)
Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。