『地域創生の失敗研究』(9−2)小さなモデル「新しき村」の失敗研究
(9−1)武者小路実篤の「新しき村」において紹介した新しき村を俯瞰すると、次のようになる。
リーダー:武者小路実篤。
開村の思想:社会主義国のように全体を維持するために強制されたものでなく、お互い協力して、自分も生き、他人も生き、全部も生きる、人間らしく生きれる世界という理想のコミュニティー。
村のルール:義務労働は1日6時間とし、自由な時間は各自勝手でいいが、他人の独立性を害しないルール。
構成メンバー:一番若い人が16、17で、一番年上が43、44だったとある。新しき村は1918年設立なので、1885年生まれの武者小路実篤が33歳の頃にできた。
村の規模:1960 - 1970年代には若者の移住が相次いで幼稚園もでき、村民は最多時で60人を超えた。
村の産業:鶏卵が大きな収入源だった。鶏舎の隣に大きなソーラーパネルで東京電力に電気を売電している。
このように、新しき村は一般的な消滅可能性自治体より恵まれた状態にあった。しかし、次のように変化していったのである。
Creative Organized Technologyでは、ペンシルロケットが象徴するように、複雑なものを複雑なまま対象にするのではなく、実用最小限にモデル化(Minimum Viable Product)して考える。地域創生におけるペンシルロケットが「新しき村」ということだ。
では、失敗の原因を列挙してみよう。
Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。