『キャッシュレス社会とPSD2経済圏』(環境研究)
2019年10月は消費税の10%アップによるキャッシュレスポイント還元がはじまり、EUにおいてPSD2(Payment Services Directive 2/欧州決済サービス指令第2版)が2019年9月より有効となった。
必要に迫られ、これを機会にキャッシュレス社会とPSD2社会について、私なりの考えをまとめた。
日本経済新聞の予想によると1元=15.1円換算で2019年の中国におけるスマホ決済は3,000兆円になる。英国の調査会社RBRによると、2017年の世界のクレジットカード決済は2,700兆円(25兆ドル)と、中国のスマホ決済が世界のカード決済金額の総合計を上回っている。
(ちなみに、日本におけるスマホ決済はICT総研によると2018年で1.1兆円)
3,000兆円の90%以上はAliPayとWeChat Payが占め、政府系の中国人民銀行のUnion Payが登場してきた。これらのスマホアプリが個人の銀行口座と連動し支払いが行われ、銀行から支払いのためにAliPayに移動された資金はAIなどを活用し自動運用され(Ant Financialの「余額宝」など)、銀行預金より高い利息を与えてくれるため、できるだけお金をAliPayに移動しスマホ決済を行いたい、というモティベーションもビルトインされている。
さらに、
「お金の支払いを握ること = 信用データの構築」
となることから、信用をポイントで評価するシステムが構築されることになる。
現在中国では、QRコード認証により決済する方法から、顔認証に移行していることからも、これらの情報が国により活用されようとしている。
キャッシュレス社会の行きつく先は、その購買履歴などから人の行動を評価し、それを客観的な信用に変容する社会が到来することを意味する。
日本で乱立するキャッシュレスアプリやカードは、中国の目指す方向を歩んでいるように思えるが、カオス状態であるがゆえに、信用情報が一元化された状態ではないことは幸いなのかも知れない。
キャッシュレス社会から人の信用を点数化し、客観的に評価する社会システムを、私たちはどう受け止めればいいのだろう。
こういう変化の時代は哲学の力で乗り切る知恵も必要になる。そこで、日本で最初の哲学書と呼ばれる『善の研究』を書いた西田幾多郎の「純粋体験」でキャッシュレス社会とそれをベースにした信用評価システムを考えてみよう。
純粋経験は西田幾多郎の『善の研究』をテーマにしたNHK Eテレの「100分 de 名著」での若松英輔氏(井筒俊彦氏の研究で有名な人)と伊集院光氏とのやりとりが、「純粋経験」を非常に分かりやすく解説しているので、少し長いが、ご紹介させいただく。
西田幾多郎の「純粋経験」は食べログの評価点数という客観的な物差しを「実在」とせず、料理の匂いや味、お店の雰囲気など、そのものを直に見て、ありのままを受けとめた「純粋体験こそが実在」だ、と。
キャッシュレス社会から生まれる人の信用評価システムによる点数をフィルターに人を評価するのではなく、その人そのものに直に会って、ありのままを受けとめることこそが、今後の日本社会にも必要なことである、と西田哲学は私たちに教えてくれる。
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3,000兆円の決済を行う中国のキャッシュレス社会へのダイナミックな変化は、起業家の存在と、もうひとつ大きな要因がある。それは、ITインフラとしてCOBOLなどのホストマシンのレガシーシステムが存在しておらず、いきなりPCからスマホ時代に突入できたことも大きな理由のひとつだろう。
前述の「Ant Financialの余額宝」などに集められた巨額の資金からの運用利息(MMF)は、既存の銀行を凌ぐものに成長してきた。
では、レガシーシステムを引きずった私たちはどうすればいいのだろうか。
そこでEUは、それらの流れに対抗すべく、PSD(決済サービス指令/Directive on Payment Services)という法律を発令した。
2007年から実施されていていたPSD1(第1版)に続き、PSD2(第2版)はEU域内の電子決済システムのさらなる統合を目的として要求水準を引き上げ、競争と革新を促進し、支払いの安全性とセキュリティをも担保しようというものだ。
これらのことは「開かれた銀行業」の名の下に、最終的には顧客の利益のために実施される。そして、2018年1月13日までに、EU諸国はPSD2を国内法に組み込まれ、2019 年 9 月 14 日以降は、欧州経済領域の 31 か国の銀行に、支払いの処理前にオンライン購入者の身元を確認するよう求められるようになった。
具体的には、顧客が事前に合意している場合において、銀行が金融サービスを提供する第3事業者(TPP:Third Party Provider)に顧客アカウント情報「オープンAPI(アプリケーション・プログラミング・インターフェース)」のデジタルリンクにより提供される。
TPPは顧客の金融データを多数入手することが可能になり、収入や履歴、支出の傾向やプロファイルなど、顧客を全方位から観察できる情報が含まれており、これにより適切なサービスを顧客に提供することができる。
また、本法律により、決済指図伝達サービス提供者(PISP)、口座情報サービスプロバイダー(AISP)という2つプレイヤーが定義された。
PISP(Payment Initiation Service Provider、ユーザの意思に基づいて、銀行に対して決済や資金移動を指示するサービス)は口座保持者の代わりに支払人と受取人の口座をソフトウェアでブリッジすることで、支払い手続きを開始する。
(その際に、顧客は銀行口座に直接アクセスしたり、デビットカードやクレジットカードを利用する必要はない)
AISP(Account Information Service Provider、家計簿アプリのように、複数の口座の情報をまとめるサービスを提供する事業者)は、銀行の顧客の口座情報へのアクセス権を得ることにより、顧客の支出パターンなどを分析できるようになり、異なる銀行にある顧客の複数のアカウントの情報を集約できるようになる。
もちろん銀行そのものが、口座情報サービスプロバイダー(AISP)もしくは決済指図伝達サービス提供者(PISP)としての機能を担うことも禁止されていないので、新たなビジネスチャンスを自らつかんで、BAT(Baidu、 Alibaba、Tencent)や金融業に進出する可能性のあるGAFA(Google、Amazon、Facebook、Apple)などとの競争を回避しつつ、顧客へのサービスを拡充することができる訳だ。
英国で実施された最近の調査によると、個人の金融情報のことになると、顧客は小売りやソーシャルメディアよりも銀行を信用するという事実が示唆されている。
(PSD2:Brits don't trust retailers and social media platforms with bank details)
上図にあるように、今までの銀行は左のように自らのアプリ(Proprietary apps)により顧客サービスを提供してきたが、PSD2になると、PISPやAISPの機能を組み込んだ自らのアプリ(Proprietary apps)で、顧客サービスを強化できる。
さらに、金融サービスを提供する第3事業者(TPP)のアプリにオープンAPIを経由し顧客情報を提供することが可能となり、オープンAPIによる連携するエコシステム(既存銀行が楽天経済圏より顧客に喜ばれる新経済圏)を創造できる訳だ。
NTTデータのグローバル調査によると、53%の機関が、「今後1~3年間に金融・保険分野に最も大きな影響をもたらす要素はAIやブロックチェーンなどの新技術である」と回答しており、84%の機関が「マーケットの方向性に多大な影響を与えるのは、金融・保険分野そのものではなく、それ以外の分野である」と回答した。
「AmazonやApple等の新規参入は金融商品の大きな競合相手になり得る」と回答した機関は83%にのぼり、これらのプラットフォーマーが金融・保険分野の幹部たちにとって多大なる懸案事項であることも調査で判明した。・・・ PSD2(EU決済サービス指令)規制の効果で、DBP構築においては欧州が先行していることがわかった。
デジタルビジネスプラットフォーム(DBP)に関するグローバル調査の実施(2019年7月17日)
調査では、新しいデジタル技術の台頭や激化する競争環境、顧客からの期待の変化を背景に、金融・保険分野の61%の機関が、自社開発サービスを提供する従来の垂直統合型ビジネスモデルから脱却する傾向にあるということが判明した。
また、グローバル環境の下で顧客に独自の価値を提供するためにFinTech企業やInsurTech企業と連携したデジタルビジネスプラットフォームの構築に動き出すなど、約90%の機関が「革新的なデジタル変革が必要」と考えていることが判明した。
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ユーザが何か高価な商品を購入しカード決済したと想定する。FinovateEurope 2017にてBackbase社が披露したデモがPSD2を活用し、提携損保から適切な保険商品の見積もりを取り寄せ、ユーザに提案した例になる。
Backbaseが発表したCustomer OSは、銀行のデジタルプラットフォーム上からAmazonといったECサイト、航空会社、そしてフィットネス企業など多数の異業種企業のAPIを連携し、利用者の日常生活上の行動とそれに紐づく金融の行動を連携させ、新たなアクションを生み出すものだ。
例えば、仕事の関係上、出張が多い利用者に対しては、その航空会社からのフライト情報、宿泊予約サイトからの宿泊先情報、そしてその際に利用したクレジットカードの情報などを連携させることで、出張期間中におけるすべての明細が一覧で表示され、その経費精算を効率化することができる。
Backbaseのソリューションにおいて、銀行起点でこのような利便性の高いサービス提供が可能となる背景にはPSD2により、他行の銀行口座情報、クレジットカード会社の情報を集約し、一元的に管理できることが挙げられる。
これに加えて、既にAPIを提供している異業種企業のサービスを組み合わせることでその利便性を大いに向上させていることが特徴だ。
ここまで、中国で発展したキャッシュレス社会、そしてEUで施行されているPSD2社会、日本の銀行の現状を列挙してきたが、それが社会ステムとして何を意味するのかについての考察に移りたい。 キャッシュレス社会とPSD2社会の決定的な違いは何なのだろうか。
【キャッシュレス社会】では支払いが最終工程となる【PSD2社会】では現金出納帳などからの会計処理を最終工程とすることができる
「支払いを最終工程」するとアプリの目的は支払いになる。「会計処理を最終工程」とするならば、オープンAPIを駆使して以下のようなことが実現可能となり、結果的に入出金表(現金出納帳)までが作成できる。
私たちは、税金を消費税や所得税や法人税で支払うが、キャッシュレス社会では消費税での税の徴収システムはキャッシュレスで支払ったものを企業などの事業主から徴収する。
PSD2社会では、取引履歴をひとつのアプリで連続(アグリゲーション)できれば、現金出納帳から経費精算、青色申告や決算申告書の流れもシンプルでスムースだ。
つまり、税の徴収を、消費税に重きを置くならばキャッシュレス社会を徹底する必要があるし、所得税、法人税などに重きを置くならばPSD2社会を徹底する必要がある。
しかし、上図のようなカオス状態である日本のキャッシュレス手段の状況。なおかつ「余額宝」などによる資金運用で銀行預金より高い利息を与える、というモティベーションもビルトインされていない状況からすると、PSD2社会をトップダウンで強力に推進することが、日本社会のトランフォーメーションには必要なことなのだろう。