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『イスラエルボイコットとパレスチナ』(10−8)日本食パーティー
イスラエルとのビジネスを次の3つのStepで行ってきたことはすでに紹介した。
Step1:私たちの会社が日本への独占販売契約を締結するStep2:他の会社が販売契約をするときの支援
Step3:日本からイスラエル企業への投資支援
その中で、Step1である事件が起きた。日本でソフトウェアを販売する場合は日本語化を行う必要があるが、その仕事はイスラエルのパートナーの会社で行っていた。
ソ連のゴルバチェフによって1988年から1992年にわたりペレストロイカが起こった。そのため50万人以上のユダヤ人がイスラエルに移民(アリヤー)した。最初に契約したソフトウェアの日本語化を担当していたマークもそんな移民の1人だった。
その頃は共有できるソース管理ツールもなく、彼はラップトップパソコンで日本語化を行っていた。ある日の朝、エルサレムの自宅で何者かに刺されて殺させてしまったのだ。犯人はハマスではないかと会社の人たちは言っていたが、警察は奥さんを取調べた。奥さんにはロシア時代から愛人がいて、旦那殺害の容疑がかけられていたのだ。日本でこのような経験をすることはまずないと思うが、ロシアにはマフィアのネットワークもあり、可能性は否定できない。
結局、ノートパソコンは警察に押収され、日本での製品の出荷日には間に合わなくなってしまった。
事件後、パートナーの会社中が悲しみで沈みきっていた。たまたまパートナーのオフィスがキッチン付きの住居オフィスだったこともあり、エルサレムで日本食のパーティーを企画することにした。メニューは次の通り。
Creative Organized Technology をグローバルなものに育てていきたいと思っています。