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『イスラエルボイコットとパレスチナ』(10−2)1日に3回の自爆テロ

 今と違い、第1次インティファーダ時代は、イスラエルとパレスチナ自治区(西岸とガザ)を分離する壁はなかった。そのため、パレスチナ人の自爆テロが人が集まるところで頻繁に行われていた。その時代の様子は、パレスチナ人監督ハニ・アブ・アサドさんの『Parradaise Now』に描かれているが、1日に3回もの自爆テロがあったこともあった。

 その当時、エルサレムの友人宅に招待され、その日は泊めてもらうことになり、翌朝家族と朝食を一緒にとっていたときのことだ。近所で突然の自爆テロがあり、驚いてテーブルの下に家族とともに身を屈めるしかなかった。またその日は、テルアビブに移動し、ユーザーと打ち合わせをしていたら突然と大きな爆発音があり、それもバスによる自爆テロだった。 

 さらに、エルサレムのモリヤホテルに戻り夕食を済ませ、翌日の帰国に備えてパッキングをしていたら、すぐ近くでバスの自爆テロがあり、飛び跳ねてしまった。結局その日は、バスによる自爆テロが3回もあり、多くの人が亡くなった。

 当時の私は、ビジネスで接点のあるイスラエル人の意見を信じる日本人で、悪いのはパレスチナ人だと考えていた。自爆テロで人の命を奪うのは同意することはできないし、イスラエル人の国を守る意識に感動すらしていた。

 ではここで、なぜ、私がイスラエルでビジネスをしようと思ったかについてもここでまとめておこう。

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