『中間技術の島 Intermediate Technology』(技術の歴史)
学生時代に「システム工学」(科学、建築・土木、電気・電子、IT・マーケティングなど、異なる専門家をまとめ目的を遂行する工学)に触れ、自分にはシステム工学が合うのではないかとその道を選んだが、1983年にソフト会社をある人と設立し、四半世紀以上IT業界に身を置くことになった。この仕事をしていると絶えず新しい技術とか製品に触れることが多くるが、IT製品は本当に進化し、人に役に立つのか、と疑問を抱くことが多々ある。例えば、身近な例では、日本語ワープロの「一太郎」(MS-OS版)の方が、現在のMS-Wordより使い易すかったり、WindowsはバージョンがUpすればするほど起動時間がかかったり、PCはいつまで経っても急にDownしたり、Stopしたり、言い出したらキリがない。IT業界に長く関与したからか、新しい技術・製品などに疑問を持つことが普通になってしまった。
そんなときにひとつの論文に出会った。(1999年頃)その論文は向上拡美氏の「hazama technoshere 1992.9 Intermediate Technology Base」、日本語では「中間技術の島」というものだ。この論文は私の頭の中のモヤモヤを解消してくれ、将来、晩年にIT業界から離れることがあったとしたら、システム工学屋としての次の道標を示してくれるものだろう。
【技術がたどるべき道】
生命連鎖を介したよりよい生き残り
地球の生態系は、太陽エネルギー、水圏、地圏、生命圏の連鎖から成り立っている。人間の生産・消費活動は、そうした生態連鎖を形づくっている自然の中から、利用可能な要素を資源として取り出すことによって営まれてきた。しかし、地球規模に拡大した今日の文明は、予想を超えた速度で生態系を変容させようとしている。 例えば、工業製品は地下資源を利用することで成立しているが、地下資源はきわめて長い時間を経て、ゆるやかに水陸の生態に関与してきた。その資源が大量に掘り出され始めたことで、沿岸域などにかってない規模の影響が現れている。 人間も生態連鎖を通してしか生存できない。生態系の変容は人間の存在をも脅かそうとしている。人間は当分の間、地球上の生態系の変容速度を過去と同じ程度に落ち着かせ、生態連鎖を介したよりよい生き残りのために、すなわち世界が模索している「接続可能な発展・生産」の実現に向けて多くの知恵を集めなければならないだろう。
新しい生産と消費のシステム
地球環境問題を解決するキーワードのひとつに、モノに対する欲望を抑制するライフスタイルの転換がある。しかし、モノをつくりモノを使うことは人間の歴史そのものであり、それによって人間は人間らしい生活を送ってきた。モノは人間のほぼすべての社会活動、文化的価値と結びついている。モノを介さない生活の豊かさを創造することは難しい。考えるべくは、モノの否定ではなく、よりよいモノをつくることであり、生態連鎖に打撃を与えない生産と利用のシステムをつくり上げることである。 例えば、人間がすでに手に入れた資源を徹底的に循環させる方向や技術に市場が向かっていくならば、いかに高度な工業生産が行われようとも、汚染は防止され、資源は保護され、なおかつ新たな市場が開拓され、経済をゆるやかに発展させていくことが可能となるだろう。さらに、よいモノに囲まれ、生きた自然と接触することは、失われつつある五感をとりもどし、人間の活性度を高めて行くことにつながる。地球環境問題は人間がそのような「精神の拡張」に向かう機会を与えているのかもしれない。 本稿はこのような視点から、技術がたどるべき道を、建設業に籍を置く一技術者による試論の形で述べたものである。本試論では「中間技術」という概念をキーワードにしている。そして、世界の抱える問題と課題、それらの解決に必要な「中間技術」を発見し、体系化し、普及させる場として「中間技術の島」を提案した。
【シューマッハーの中間技術】
土着と先進の中間に位置する技術
中間技術とは、ドイツの経済思想家のE.F.シューマッハーが提唱したintermediate technologyの訳である。シューマッハーの中間技術とは、土着技術と先進技術の中間に位置する途上国型の技術体系、すなわちクワとトラクターの「中間的なもの」を指し、それは土着技術よりも生産性が高く、現代技術よりも安上がりで、市場変化にも対応しやすく、訓練も容易な技術であり、そのために、簡素な組織で、地場でも容易に事業の立ち上げが可能とされている。 さらにシューマッハーによれば、中間技術の開発は、前科学的だと捨てられてきた伝統技術の開拓と改良、最新技術の改造と地場への適合、自力によるまったく新しい技術の創出から成り、求められるべきは、旧ソビエトからアフリカに援助されたいわゆる「除雪機つきの強力な大型トラクター」ではなく、「人力・畜力利用の農機具カタログ」を配布することである。 例えば、豊田佐吉の動力織機は「木鉄混合」で作られている。これがシューマッハーの言う中間技術に該当し、こうした段階を経た技術改良の積み重ねによる発展進歩は、日本を象徴するものであるとも言われている。
身の丈にあったテクノロジー
シューマッハーが中間技術を提唱する根拠は、それが現代産業主義の諸問題を解決する技術体系だからである。シューマッハーによれば、現代産業主義は①脱技能化に起因する複雑さ、②欲求、羨望、金銭欲に対する刺激への依存(負のデモンストレーション効果)、③労働の内容・尊厳の破壊性、④大きい組織体からくる権威主義、⑤資本集約化、⑥自然と人間に対する暴力性、といった問題を抱えており、南が北(シューマッハーによれば西)の誤りを繰り返すことなく発展するためには、わずかな資本で、人間の基本的な欲求を満たし、なお環境に対し非暴力的な身の丈にあった新たなテクノロジー、すなわち中間技術が必要であると主張した。 中間技術は地場の材料を用い、地場を消費市場とすることで展開し、そのためには、それらに見合った様式をもつ都市が必要である。例えば、シューマッハーの影響を受けたグループは、「生物地域主義」を提唱している。この「生物地域主義」はシュレディンガーの言うところの、低エントロピー資源の取り込み条件を成立するものである。
シューマッハーの時代と現在
シューマッハーの描いた世界は、従来の経済とは異質の原則に基づく多元的経済である。すなわち、先進国側から技術や製品が販売(exhaust)されるだけでなく、受け入れ側の途上国で地域に合致した機能が長く発揮できるように、技術や製品の組み直し(renewing)と消費が行われることを目指している。そして、シューマッハーは、地球全体の相互依存関係が重視され、人間の創造力、自己規制力、自律性が発揮されて自然との調和が進めば、生産に余力が生まれ、大きな成長の可能性があることを示した。しかし、現実はシューマッハーの考えをはるかに超えた速度で変化している。 例えば、シューマッハーの中間技術は、先進と途上の間に入り込んで、途上における問題を段階的に解決する視点を持つが、それが解決された後の課題については開放的な楽観論で終わっている。しかし、「木鉄混合」の自動織機には始まる日本の工業製品はすでに「地場」をはるかに超えて世界を席巻している。その日本をNIES、ASEANが追随している。そこでも土着の力による技術進歩が認められるが、いずれの国の工業化も徹底した輸出指向に支えられたものとなっている。 また「生物地域主義」は、周囲に低エントロピー資源を置くことによって、生活および生産の場が保たてるとする素朴かつ循環的な考えであって、発達した社会では成立が難しく、ごく初期の途上国にした適用できない。例えば、生態系の最小規模について調査したラブジョイの報告によれば、自然保存には最低2000k㎡のエリアが必要であり、それから考えると、すでに生物地域主義は崩壊しているということになる。さらにラブロックの自然淘汰シュミレーションモデルは、地球環境が最悪のシナリオに導かれるまでに、さほどの時間がないことを示している。
【家政学的技術主義に基づく中間技術】
多くの対立項の抽出による概念の拡張
本試論では、シューマッハーの思想に依拠しつつ、中間技術の意味、概念を拡張することによって、将来にわたる展開の可能性を検討し、新たな可能性としての「中間技術」を「家政学的技術主義に基づく中間技術」と名づけ、「接続可能な発展・生産」の実現を目指すものとした。 すでに述べたように、シューマッハーの中間技術は土着と先進の中間に位置する技術体系を指すが、本試論では、土着と先進(南と西)という対立項だけでなく、南と北はもとより、東と西(アジアとヨーロッパ)、経済と文化、生産と自然(利便と環境保全・資源保護)、さらに民族や宗教、生活基盤の違いなど、さまざまな問題に対して拡張する。 そして、それらの中間、あるいは両者に共通な基盤に、「接続可能な発展・生産」を実現するための、モノの生産・消費に関わる技術的な解決策が存在すると考える。この解決策が中間技術に他ならない。
【中間技術の島の概念】
多様な「島」の概念
このような「中間技術」を発見的に見いだし、体系化する基地が「中間技術の島」である。「中間技術」を見いだし、体系化する場がなぜ「島」でなければならないのだろうか。 例えばIMS(Intelligent Manufacturing System)国際共同研究プログラムでは、工業生産においてインターフェースがとれないなどの理由で自動化が及んでいない工程を「自動化の孤島」と呼び、その解消を課題として技術の標準化に取り組んでいる。「自動化の孤島」は、解決すべき課題を「島」と呼ぶことによって問題の所在を明らかにしている。「中間技術」を見いだし、体系化する第一歩は、対立項の中間にある空白領域、すなわち「島」を発見し、認識することに他ならない。また生物地理学の分野には、場の大きさに反比例して生物種が減少する「島効果」という概念がある。 「島」には何か象徴的な意味と響きがあるように思われる。そうしたさまざまな「島」を思い描いてみることは、「中間技術」を模索するためにきわめて有効である。シューマッハーは南や東に視点を置いたが、本誌論では事物の中間、すなわち中立的な位置 --「島」に自らを置き、世界のさまざまな問題を考える。
【中間技術の島役割】
問題/課題の発見
以上のような概念を持つ「中間技術の島」では、一体どのような活動が展開されるのだろうか。第一に必要な作業は、「中間技術」を誘導する前段階として、問題・課題を発見・予測しておくことである。問題の予測とは、あらゆる「壁」の崩壊に備えて、あらかじめ準備しておくことである。まず、現状を体系として把握するために、異なる体系をできるだけ多く並べて、そこからさまざまな対立項を抽出する。 例えば、南アフリカにおいては、発電用のダム建設によって、それまで営まれてきた巧みな氾濫農業が壊滅的な打撃を受けていることが報告されている。アスワンハイダムをはじめ、これまでアフリカの水資源開発や治水事業は多くの成果を生みながら、一方で数々の問題を残してきた。こうした事例では開発のスケールが大きいだけに、一部でも配慮に欠けるとその影響は計り知れないものがある。 氾濫農業を支えてきた体系、伝統的な水管理の体系、他地域で成功した近代的な水管理などの体系図が描けれれば、より多くの場面で問題をより少なくしうる技術的な課題が明示され、新たなダムに関する研究や「中間技術」の必要性が事前に認識されたはずである。
解決の方向・座標の見通し
複雑な体系図がかかれ、いくつかの基本的な対立項によって問題・課題が発見されると、次にそこに求められる解決の方向と座標が明示される。この作業は新たな体系図を作成する動機づけになる。 この新たな体系図の作成は、対立項の一方を他の一方に同化、あるいは従属させるのではなく、両方の矛盾に解決のヒントを見いだすことを目的としている。もちろん地域による選択性を残しておくことも重要である。そのために例えばメンデレーフの周期律表のように、各体系を構成している要素間の重複、干渉、空白領域を明示していく作業が必要になる。 この未完成の体系図は、原則として常に公開される。「中間技術の島」に参加する団体・個人は、誰でも体系化に参加し、新たな発見を加えることができる。しかも、一定の作法を守ることによって、いつでも体系を持ち帰り、企業活動に活かすことができる。
「シンボリックアナリシス」から「中間技術」へ
以上述べてきた一連の作業を、本試論では「シンボリックアナリシス」と呼ぶ。この作業を進めるには、社会科学系と自然科学系の科学者や技術者がシンボリックアナリシスとして参加することが必要である。そうでなければ、複数の体系図や新たな体系図を描くことはできない。また、見解の相違やいまだ未解決の部分をその都度明らかにし、世界の研究課題を示すことも、シンボリックアナリシスの役割である。 さて、問題が発見され、解決の方向と座標が明示されたならば、次は複数の解決策、すなわち「中間技術」を発見する作業と、それらを体系化する作業が必要となる。 ここまでが「中間技術の島」の主要な役割で、これらの一連の作業は選択の幅を広げ、技術を深化させるために、「中間技術の島」で、何ものにもとらわれない研究と議論の中で行われることが望ましい。 各国の利用者は、必要な期間にとどまって「中間技術」の体系化に加わり、「中間技術」を各国・地域に持ち帰る。「中間技術」は地域社会の特性に見合って翻訳され、土着の技術体系、固有の文化で味付けされ、具体的な生産活動へと結びつけられる。この過程は通常の技術移転のように見えるが、この技術は必ずしもてく低の地域が保有してきたものではない。あくまで「中間技術の島」で世界の問題が展望され、地球環境時代にふさわしい技術として体系的に取り組みうるものに限られている。
島への参加
「中間技術」の体系、そして「中間技術の島」は地域社会での生産を可能にし、地域市場を活性化させ、地域の「接続可能な発展・生産」を可能にするものである。 「中間技術の島」に先進国の民間企業が参加する意味はどこにあるのであろう。情報公開の原則は知的所有権が絡んでくるし、企業秘密やノウハウは確かに多くの付加価値を生んできた。しかし近い将来、環境保全や地域ニーズに応え続けていくことが、一企業の限界を超えることも予想される。一方で、多国籍企業や地場産業に蓄積された企業力とノウハウなしに「中間技術」の発見や体系化は困難である。 こういった意味から「中間技術の島」は民間企業の参画を求めることになるだろう。同時にそれは、企業が存続していくための条件にもなるうると考えれる。グローバル企業としては、今後も現地生産による安い労働力の確保、地域社会への参入などが直接の動機づけになるだろう。しかし、企業の枠組みそのものが「地球環境時代」に即した形に変質する過程では「中間技術の島」を必要とするのではないだろうか。
(出典:hazama technoshere 1992.9Intermediate Technology Base)