かごの鳥
幼い頃、言葉を話す鳥に憧れた。
おとぎ話で見るような鳥が欲しかった。
当時は、九官鳥という種類しか知らなかったから、親に九官鳥が欲しいと言った。
もしここに九官鳥がいたらなぁ、まず、おはようの挨拶を教えて、学校から帰ってきたらたくさん会話をしたりして、留守番も寂しくないし、面白いテレビを一緒に見て笑うんだ。
それからしばらくして、父が鳥籠を持って帰ってきた。
私と弟は、駆け寄って中を覗き込んだ。
「文鳥だ。」
文鳥はしゃべらない。
「せめてセキセイインコが良かった」
と父に愚痴を言った。
それでも、新しく家族になった、その小さな生き物に
温もりと、小鳥を素手で触れる喜びを感じた。
文鳥は、まだ雛で背中に墨色の斑点がついていて、成長していくと真っ白な鳥になると言う。
クチバシは赤い。
その美しい鳥は、子供の自分には、ずいぶん地味な鳥に思えた。
私と弟は、その文鳥にピーコとありきたりだけど、可愛い名前をつけて、ピーコ、ピーコと何度呼びかけたことだろう。
少しすると、父がピーコの羽根に鋏を入れた。遠くまで飛んで行かないようにとの事だった。
私は「可哀想だからやめて!」と泣いて訴えた。
家ではよく、ピーコを籠から出して、飛ばして遊んだ。
気が付くと、在らぬところにフンが落ちていて、その度に部屋の中は大騒ぎになった。
それでも、ピーコが肩の上に飛んできたりすると、可愛くて面白かった。
弟も、肩から頭の上によじ登る時のピーコの爪の感じがゾクゾクして、体をよじらせて笑った。
言葉は覚えなかったけれど、ちゃんと懐いてくれたことが、素直に嬉しかった。
父は文鳥が好きだったのか、それから何羽も文鳥を育てた。
寿命を迎えたもの。
籠から外に飛んで行ってしまったもの。
朝起きたら、巣箱の隅に卵を産んでいたのもあった。
歴代の文鳥の名前は、全てピーコだった。
子供の時期を過ぎた私と弟は、いつも変わりなく近くにピーコを感じながら、滅多に籠からピーコを出して遊ぶ事は、しなくなった。
ピーコだけに構っている時間が無くなったのと、部屋を汚されるのが嫌になったからだ。
父だけは相変わらず、ピーコの世話を一心にしていた。
いつの頃だったか、何代目かのピーコが、籠の中で羽根をバタつかせ、抜けた羽毛を舞い上がらせながら、ピーピーと狂ったように鳴くようになった。
すると、しばらくして必ず、父が玄関の扉をガラガラと開けて「ただいま」と言った。
あんな小さい耳で、本能で、ピーコは父の足音を聴き分けた。
***
「また、鳥を飼ったらいいのに」
けれど、
年老いた父と母は、もう生き物を飼わない、と言う。