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「手紙を書く」はイベントなのか。

LINEスタンプについて、妙に覚えていることがある。
調べるとLINEは2011年からはじまったらしいから、今からちょうど10年前の話だ。

その頃のワイドショーでリポーターが
「今どきはこんな、なんですよ」
と言って若い男女のLINEをとり、私たち視聴者に語りかけていた。

その二人のLINEは、スタンプだけポンポンと打たれていて、文字はなかった。

「おはよう」のスタンプから始まり、
昼も夜も、其々の気持ちに近いスタンプを押し合うだけのものだった。
リポーターが「これで通じてるんですか?」
とにこやかに聴くと、
女の子の方は、はにかみながら「はい」と答え、
男性の方は「一瞬で気持ちが届くので、楽でいいです」と淡々と答えていた。

その後、あの男女はどうなったのだろうな。

こうして今でも鮮明に思い出すくらいだから、当時から、この女の子はこれで良いのか?という疑問が強く印象に残っていた。

まさかね。

きっとあのTVの前だけの、いっとき話であって、その後あの男性は彼女から
「もう飽きた。スタンプだけのLINEは嫌だ」
って怒られてたに違いない。(妄想)

その当時の私はと言うと、周りはまだガラケーが多く、そこそこの知り合いがやっているのを興味半分で見ていて、LINEに登録しては、流れ出てくるタイムラインにギョッとし、退いたり、また覗いたりを繰り返していた。

そんな気持ちもいつの間にか何処かへ消えて無くなり、日常のツールとなった現在は
「ありがとう。今日は楽しかったね。」
の次に、気持ちを伝えるものはスタンプになった。


手紙でないやりとりが、味気ないことさえ忘れている私は、
LINEで良いじゃん、楽だし。何ひとつ不自由ないでしょ。
文章?書いてるよ。こうしてLINE送ってるじゃない。短くて簡潔な方がいいんだよ。だって皆んな忙しいんだから。

そういう考え方が主になった。

LINEは手紙というより会話だ。

相手を想って出す手紙は、選ぶレターセットから始まってる。
人によっては切手まで拘るだろう。

たまには手紙書きたい、という衝動も出てくるけど、
いろんな要素が邪魔をして、手紙ひとつ書けない私になった。
お礼の手紙くらいは書くけれど
「お元気ですか?」
と、ただそれだけを気遣うような封書の手紙は、書かなくなった。

溜め込んだ綺麗な柄の便箋や、色とりどりの封筒を棚の奥からゴソゴソと引っ張り出す。
それらのレターセットは、もはや観賞用だ。
そしてまた、そっと元の位置に戻す。


今は軽い時代だ。


ひと昔前には、焼き増ししてプリントアウトした写真も「後で送るね。」の数分後にボタンひとつで飛んでいく。



今度はいつ、手紙を書くというタイミングが訪れるのだろうか。

そのタイミングが明るくて良い内容の物だったらいいなと思う。
その時はまた美しいレターセットを用意したいものだ。






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