ターザン後藤

https://www.tokyo-sports.co.jp/prores/4224026/


ターザン後藤が亡くなった。
享年58歳。早すぎる。
近年はプロレスはセミリタイア状態で、再婚した奥さんの実家という浅草の中華料理店で鍋をふるっている、という記事を少し前に見たばかりだ。

自分が一番プロレスを見に行ってた10代後半から20代前半の頃、時代にして1990年代初めから終わりにかけての10年間、まあたくさん後藤の試合は見た。
FMWの初期から大仁田をサポートする副将格としてずっと出てたし、汐留でやった最初の電流爆破デスマッチも、FMWを離脱してIWAや大日本、WARに出てた時代、まあよく見た。

けど僕は後藤が好きじゃなかった。
たぶん、「悲哀」をあまり感じさせなかったからではないかと思う。
当時の後藤は「厳しさ」「強さ」を前面に出すファイトスタイルで、時にそれが行き過ぎて傲慢に見える時があった。
その傲慢の中には「実力差以上に下の人間に高圧的」という空気を感じ取ってて、それにイライラしてよく「ふざけんなよ後藤!」みたいな野次を飛ばしてた。

後年、プロレス誌のインタビューなどで後藤と試合した選手が「後藤さんは受けをしない(隠語みたいな言葉を使ってた)」という話をしていて、ああなるほど…と合点がいった。
思えば後藤の試合は「強さ」を前面に出すものの、その強さが見ている観客を圧倒するような力強さがあったかといえばそうではなく、「なんか後藤が一方的に攻める」みたいな試合ばかりになることに辟易してたのだと思う。

後年、選手から活字媒体を経て聞く後藤評は「受けをしない」「自分のいいところだけ出そうとする」「悪い意味で上下関係を持ち込みすぎる」みたいな話が多く、試合のイメージと相まってやっぱりそういう選手なんだな…という認識になった。

一方で直接関わった「選手以外の」人から聞く後藤の話は「頭硬そうだがちゃんと聞いてくれる」「面倒見てくれる」といい評判が多い。
きっとどちらも真実で、ある面から見ればやっかいな人が、ある面からはいい人に映る、という当たり前のことを教わった。


後藤が入場曲にしていたのはローズマリー・バトラーの「汚れた英雄」で、一般的にはオートバイレースを題材にした80年代角川映画の主題歌なんだろうけど我々にとっては間違いなく「後藤の曲」だ。
これを聞くといろんなことを思い出す。
鬼人組。真FMW。天誅。世直し。
真夏の川崎球場。たぶんもう二度と行くことはない、暖房のない真冬の埼玉県本庄市民体育館。
リング上の小競り合いと、怒声と歓声が混じる後楽園ホールの客席。

20年以上経っているのに、一瞬で思い出せる。
ずっと好きじゃない…というか嫌いな選手だったけど、それも含めて良い思い出をたくさん与えてもらった。
いつか許されるなら黄色い花束を手向けにいきたい。
別に好きじゃなかったとしても、「あんたを見てたよ」というメッセージくらいは伝えていいと思うんだよね。

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