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我が名はガネーシャ

「我が名はガネーシャ...偉大なる巨象ぞ...」
当然ガネーシャのはずがない。目の前でそう呟いているのは「偉大なる巨象」とは程遠い、ただの飲み過ぎた痩せぎすの老人なのだから...

今から10年ほど前、自らを「ガネーシャ」だと主張する人間が日本各地で鬼没したらしい。調べてみるとインターネット上では目撃情報が散見され、このようにTwitterで主張する者も現れていた。

とはいえ、そんな事が起きる原因は誰にも分からず、また特に実害を伴うものでもなかったので、当時の時点では大きな注目を浴びることはなく、単なるネットの与太話として消費されていったようだ。しかし、後にこの"与太話"が日本全国を巻き込む騒動の序章となる。

そもそも、ガネーシャとはヒンドゥー教の神である。
「成功に導く神」として崇められ、現世利益をもたらす。学問や美術、医療も司るまさに万能の神である。しかし自称無宗教の民が暮らす日本ではそこまで馴染みの深い神ではない。せいぜい雑貨屋で見かける、象のアクセサリー程度の認知だろう。

単なる都市伝説の域を出なかった「ガネーシャを自称する者達」が公に問題視され始めたのは、とある日の国会中継に端を発する。
突然、答弁中の総理大臣が気をつけの姿勢で天井を見上げ、

「我が名はガネーシャ!偉大なる巨象ぞ!」

と絶叫したのだ。この時、総理は質問への回答途中だった。

居眠りしていた国会議員達も、このトンチキ答弁には興味を示した。ジジ臭いヤジがちらほらと飛び出し、ポピュリズム政党の若手議員が面白がって総理にコップを投げつけると、ヤジは怒号と暴力の嵐へと変貌した。揉みくちゃな見せ物と化した国会中継が歴史的な視聴率を叩き出したのも頷ける話ではある。
総理は解任させられた。虚な目でガネーシャを自称し続け、元に戻ることはなかったからだ。彼は後にブラックサイトとして国が秘密裏に管理していた病院で治療を受ける事となる。ガネーシャになってしまった総理大臣を一目見ようとメディア関係者が多く押し寄せる事が自明の事実だったからだ。
哀れな事に、この頓珍漢な「ガネーシャ騒動」に警察と公安は立ち向かうハメになってしまった。部外者として遠くから見てる分には全く馬鹿馬鹿しく、愉快ですらある話ではある。しかし、国を統べる立場の人間がネットの与太話にすぎない都市伝説をその身で実演、大勢の前でおかしくなってしまった以上、これは「主権の侵害」、ある種のテロ行為を想定して行動する必要が彼らにはあった。対策本部が設立され、捜査の手を広げていく。
しかし、見つかるのは至極一般的な"自らをガネーシャだと思い込んでいる妄人"ばかりで、そこに共通点は見当たらない。すぐに捜査は暗礁に乗り上げ、時間だけが無為に過ぎていった。

一方、そんな彼らの苦労はいざ知らず「ガネーシャ」は流行語大賞を受賞した。あのトンチキ国会中継の放送以来、堰を切ったようにガネーシャを自称する者の数が指数関数的な増加を見せたからだ。
その大多数は「ガネーシャ」ではなく、面白半分に叫んでいただけの野次馬だけだったが「偉大なる巨象」の群れの叫び声はどんどん大きくなり、やがてガネーシャに心底からの祈りを捧げる者が現れる事になった。
もっとも、ヒンドゥー教に入信したわけではない。
彼らは自分たちにもいつか顕現するかもしれないガネーシャに祈った。
初めは発狂を恐れての祈りであったが、やがてその「恐れ」は「憧れ」へと昇華した。

どうか私もガネーシャになれますように。
どうか貴方もガネーシャになれますように。
そしていつか全人類がガネーシャになれますように。

...皆をガネーシャにして見せよう!!
そう決意した彼らの行動が暴力の領域にエスカレートするまでそう時間は掛からなかった。全国各地の動物園を襲撃し、象を強奪。そのまま街へ繰り出した。それだけでは飽き足らず、騒動の起爆剤となった件の"ガネーシャ総理"を「ガネーシャの中のガネーシャ」として祭り上げると同時に、彼の即時引き渡しを要求する始末であった。当然、国家としてはテロリスト、というよりは象を引き連れた暴徒の要求を飲む事は選択肢になく、機動隊と猟友会を召喚した。そこまで手こずる事はなく、これを速やかに鎮圧した。

しかし、大きな謎を残す事件が発生する。ガネーシャ元総理を治療もとい軟禁していた病院が、組織された謎の部隊により襲撃を受けたのだ。あまりに素早く的確な手口で警備員を殺害し、ガネーシャ元総理を拉致して煙のように消えてしまった。陰謀論者は「自衛隊とCIAによる合同作戦説」をしきりに叫んでいた。事件の一週間ほど前から、一番近くの自衛隊基地にアメリカ軍の軍用車がしきりに出入りしていた事を根拠にしているようだが、そもそも日頃から出入りが多いようなので、根拠と呼ぶにはあまりにも薄い。

いずれにせよ現在もガネーシャ総理は行方不明のまま。騒動は陰謀論を残し、一旦の落ち着きを見せた。ガネーシャの信奉者達は、まるで自分の神に飽きてしまったかのように自然消滅した。年々大衆のコンテンツ消費ペースは上がっていくばかりである。

...もうこんな時間か。
俺は一杯やりに、駅前の行きつけに向かう。
合成日本酒をベンチであおっている痩せぎすの老人の前を通りすぎる。
何かぶつぶつと喚いているようだ。
俺は聞き耳を立てる事にした。

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