モテたいからアートやってみる
ここ最近、自分がこれまで接してなかった
業界の人と接することで、
マジで最高と思う人やこともあるけど、
マジでしんどいやろなって思うこともある。
ファッションにおける閉塞感は、例えば、
ブランド始めました、泣かず飛ばすでした、
辞めました、アパレル景気悪りぃで
終わりそうなことも
アートの場合は、ブランドが自己に近いから、
表現技法とか作風変えたとしても、
根本が自己に近いから。辞めますが重いし、
生業にならないことのジレンマがすごそう。
ファッションはそれに比べて、
表面的で移り変われるから、
プレーヤーとしては楽やろね。
ここ20年の音楽業界もおそらく
それに近いんやけど、生業として表現が
成り立ちにくいことから生まれる
自己否定や生活の貧窮がもたらすpoorな感覚が
表現にこびりつく。
売れないのが悪いのではないが、
生活と折り合いがつかなくなる。
アーティストでいることに限界を感じつつも、
アーティストであることの自尊心を捨てれずに、
とりあえず作品作るみたいな。
これがファッションだと、売れないから
辞めますやけど。
生み出したものにアートとしての価値があるから、
アーティストのはずが、アーティストでいたいから、作品作るみたいな。それ自体は、goodだけど、誰にも認められなくても売れなくても作りたいから作る。これが根本にあるんだなと。求められてないけど、やるみたいな。趣味だと完璧だと思う、最高に素晴らしい活動。
基本、鑑賞物としては、抜群に楽しいから、アートって素敵ですねって思うし、消費者というか鑑賞者は、もっとピュアに楽しんでるってのが伝わるし。構造として、吉本みたいな芸人の集まりがアートやファッションや音楽にもあれば良いし、
TVありきの吉本とかの芸人の仕事からの
Youtuberが生まれ、芸人がYoutuberになるみたいな自由度の高さと利益構造の転換をするための仕組みを自分なりに構築してみようと思ったし、よく考えたら、それをしてるよ今。
ブランドアーカイブの価値を高める企業を運営しながら、ブランドを作って販売したり、アーティスト活動したりするようになった。
アーティストの価値は人に与えられたものだし、
需要がなくなれば、取ってつけたようなものだから、
なくなるだろうし。アートとして認められてる
表現活動は、アーティストになりたいからしてる
わけでもないから、ずっとやっていくし。
なので、とりあえず、アートをやる意義を
モテたいからにした。
モテたいからアートやってみる
女子から熱烈に歓迎されたいわけでなく
(そういう意味だともう少しモテたい)
人として興味を持ってもらえるように。