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台風と1991-9-19 etc.
Anniversary
リアルタイムでは見てないけど《フレージャー×アリ》は50年前で――
1981年の《レナード×ハーンズ》は40年前――
アリやレナードほど大きなスケールの試合ではなかったが、30年前の1991年――9月19日は、大阪・守口まで行って辰吉丈一郎の初戴冠を見た、強く記憶に残る一日だ。
台風直撃により大雨に見舞われたこの日。午後何時くらいだったか、早めの新幹線で向かったのが幸いした。
いくつか渡った大きな川の水かさが明らかに増しているのを車窓から見て、途中で運転見合わせになるんじゃないか…と心配したとおり、新大阪に着いた少しあと、ほんとにそうなって、少し安堵した。
社会人1年目。勤続半年未満だったため、まだ取得できていなかった有休を"前借り"しての、個人的にちょっとした特別感もある遠征だった。
守口市民体育館へ行ったのは、後にも先にもこのとき一度。『時刻表』に載ってる路線図か何かを見たんだったか…いまのように手元で簡単に検索できるツールなんてない時代。新大阪からどう電車を乗り継いで行ったのか記憶にないけど、帰りがちょっとイレギュラーだったことはよく覚えている。
大阪に泊まって翌日のんびり帰京、なんて余裕は金銭的にも時間的にもない("前借り休暇"も1日だけ)。
いろいろ調べて――東京行きの最終新幹線には乗れないけど、名古屋止まりの最終にはなんとか間に合う。そして名古屋からは、いまはもう運行していないんだったか…明け方4時半頃に横浜、5時前くらいに東京へ着く夜行の普通列車を利用。なんとか出勤できた。
台風
若くなきゃできそうもない、せわしない旅。1年後に初黒星を喫し、2年後に雪辱を果たしたビクトル・ラバナレス戦も、この方法で大阪を行き来したことを思い出す。
ここ何年かは特に、人が多く亡くなるような大災害が何度も発生したりして、ネガティブなことを想起してしまうことが多い、台風。
命の危険を感じたり、大切な人を失ったりするような目に遭わずにすんでいるから、そんな呑気なことを…と叱られたら返せる言葉もないのだけれど、台風と聞くと、いまも若い頃のこんな記憶がよみがえってくる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
マイク・タイソンとイベンダー・ホリフィールドの対戦が11月8日に決まったけど、タイソンが負傷したり"事件"を起こしたりしたせいで実現に至らなかったのもこの時期だった。
https://www.allrisejp.com/post/rivalry1990s70s
タイソンがケガも収監もされず、このときに闘えていれば――ライバル関係も違ったものになったか……。