「Serenade Promenade」イベントストーリー内の伊落マリーの描写は、それまでの描写と矛盾・乖離しているかについての考察

序論

動機

私も件のイベントストーリー内のマリーの描写に違和感を抱いた者である。自分の中での気持ち、受け取り方を固めた上で、話題になってしまったプレイヤーのも含めて多数のプレイヤーの意見を拝見した。イベントストーリー読破後から数日間考え続けてきた結果、私でも自分なりの考察を行い、世に届けたいと思い、検証に至った。

仮説

マリーがシスターマリーではなく伊落マリーでいられる(た)のは先生の前でだけだった。ヘルメット団員やサクラコの前でシスターの矜持を捨てるのはそれの否定にあたる。
トリニティと危機とはいえ、バイクが必要なほど離れた距離にいるヘルメット団員を巻き込むだろうか?離れた距離にいる=無関係の人ということになる。
シスターとして認められるよう頑張ってきたマリーが、何の葛藤・苦しみ・悩みも無しに矜持を捨てるのは直感に反する。これは葛藤・苦しみ・悩みの描写不足と言える。
体操服ですら肌面積が広いと感じて恥ずかしがっていたが、アイドル衣装に関してはそのような素振りは見せていない。体操服での描写と矛盾する。

本論

検証方法

「マリー」及び「マリー(体操服)」の絆ストーリーの閲覧。ロビーやカフェ、生徒強化を始めとした各種ボイスの聞き取り。
メインストーリー、イベントストーリー「Get Set Go! 〜キヴォトス晄輪大祭〜」「隠されし遺産を求めて〜トリニティの課外活動〜」の内、マリーが目立つシーンの閲覧。
→マリーの精神性、キャラクター性の見受けられる部分をピックアップし、「Serenade Promenade」イベントストーリー内と照らし合わせる。

なお、「ワンダー・ファニー・ハーモニー」、「ぶるーあーかいぶっ!」、「あおはるレコード」、X(旧Twitter)でのキャンペーン、公式アンソロジーコミック、海外展開内で公開されたブラウザゲーム(?)辺りまで網羅しようとなるとキリがないため、今回はゲーム内でのコンテンツに限定する。

検証結果

メインストーリー最終編2章及びF.SCT攻略戦
ユスティナ聖徒会の礼装を他のシスターに着させるんですか?というハナコからサクラコへの問いかけに対して「あう……。」と恥ずかしがるような反応。

Get Set Go! 〜キヴォトス晄輪大祭〜
キヴォトスの安寧を願うお祭りを手伝えると聞いて、喜んで実行委員に参加したと発言。
先生が後夜祭をどう過ごすか気になり覗き見した。

隠されし遺産を求めて〜トリニティの課外活動〜
遠い昔の先輩も羽目を外していた。誘惑を断ち切るのは難しい。とサクラコ談
ハナコと「仲良く」する♡ことはできないがマリーの元に来るのは了承した。先生が来るのも同様。また、先生曰くとっても喜んでいた。

マリー 絆ストーリー
先生のことを祈ることはマリーのことを祈ることに繋がる。
言い訳はシスターらしくないと考える。
休みが欲しいことが罰当たりだと考える。
誰かのためではなく自分のために振る舞いたいことがある→先生の前では1人の生徒として振る舞うようになる。「甘えたがりの私のことも、許してくださいね?」
ぬいぐるみ洋服アクセサリーに目を輝かせるも、不必要な贅沢として避ける。
コサージュは可愛いから買ったのが第一、シスターフッドの誓約を忘れないためにが第二。

マリー(体操服) 絆ストーリー
体操服ですら「こんなに肌が見えてしまうなんて」と恥ずかしがる。
先生から心配されている状況を先生を独り占めしているようで罰当たりだと考えるが、同時に幸せだとも感じる。
バテるまで仕事をしていた。
自分から先生を誘うことを遠慮しないようにする。

固有武器装備
あまり使いたくないがと言うが、平和のためなら使うことも厭わないことを想起させることも言う。
パイエティーが平和のためのものであることを願っている。

考察

マリーは、先生の前では1人の生徒として居ること=シスターマリーではなく伊落マリー個人として居ることも選ぶようになった。
シスターではない振る舞いは先生の前以外ではしないということなので、ヘルメット団員やサクラコの前でのあの行為はそれと矛盾する。
シスターではないマリーに蓋をしないのは、先生の前だけである。

体操服の肌の露出度ですら恥ずかしがっていた。露出度としては、体操服よりもアイドル衣装の方が大きいのは立ち絵から見て取れる。
それにも関わらず、恥ずかしがる様子は見られなかった。むしろ露出度の高い衣装を着ることが明確なアイドルになることを望んでいた。
これは体操服の描写と矛盾している、もしくは心境変化に至るまでの描写が不足している。

サクラコ、ミネ、ナギサらの衝突は、トリニティの危機になりうる。よってパイエティーをヘルメット団員に向けるのはあり得るように思える。しかし、バイクを強奪することは武力の行使以上の問題であり、滅多に射撃をしないマリーが安易にそれをするとは考えられない。
また、バイクが必要なほど離れた距離にヘルメット団員がいたということは、トリニティとは全く関係ない生徒であることに繋がる。トリニティだけでなくキヴォトス全体の安寧を願って晄輪大祭の実行委員会に志望した彼女が、無関係な生徒を巻き込むことも考えられない。
これらはマリーが滅多にしないこと、しようと思わないであろうことだが、それらをすることを選ぶ場合、相当な葛藤が存在していたことは、あれほどシスターでいようとしていたマリーなら自然である。
その葛藤の描写が不足しているため、「そうせざるを得なかった」「普段しないことを今回はした」よりも「キャラクター性が壊された」「おかしい描写」と受け取られてしまう可能性が生まれてしまう。
つまり、展開の問題、描写の問題である。

結論

伊落マリーを形成してきた既存の描写からは考えられない描写が今回のイベントストーリーには多く、そうなった描写にも欠けているため、単なる解釈違いに留まらず、「マリーの精神性・キャラクター性が破壊された」と思うプレイヤーが多かったのだろう。私もその1人である。
一方、「隠されし遺産を求めて〜トリニティの課外活動〜」においては、かつてユスティナ聖徒会に所属していた遠い時代の先輩達は、聖徒会所属という身であるにも関わらず羽目を外して遊んでいたらしいということが仄めかされていた。サクラコ曰く、「誘惑を断ち切ることは難しい」。この話と今回のマリーを絡めて論を展開する余地もあるだろう。

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