母の体裁
小学校6年生の時に、謝恩会の準備の際、木製の椅子を運んでいる時に少し古い椅子だったので背もたれの部分が老化していて、杭が爪の白い部分まで刺さった事があった。
保健室に行って、「自分で抜いてみな」とピンセットを渡され、苦痛で顔を歪めながらなんとか自分で抜こうと頑張ったのだけれど、痛みに耐えきれなく結局は抜けなかった。
今だったら多分問題になるような笑
二時間ぐらい格闘して、ようやく見かねた先生が親に連絡したのだが、母親は一時間ちょい後に現れた。
ばっちり化粧とおめかしをしてきた母親を見て、自分はこの人は子供よりも自分の体裁が何よりも大事なんだなと感じた。
三時間もの間、苦痛に歪んでいる我が子よりも身なりを整える方が大事な人なんだなぁと思った。
結局病院で麻酔打ったら簡単に抜けたのだけれど、あの時を境に、母親といってもその程度だなと見切りをつけたような気がする。
自分の理想ではどこかで飛んで来てくれるのかと思っていたのだろう。
車で5分もあれば着く場所なのだから。
実際に生死をわけるような事故でもなく、大した事なかったのだから、不思議なことではないのかもしれないが、あの時の痛みは今でも覚えてる。
プラスで心の痛みもあったから。
あの時の自分は、一刻も早く駆けつけて欲しかったよ。
それが高望みだと子供に思わせるような親にはなりたくない。
その経験があるからこそ、同じような事がもしあったらパンツ一丁でも駆けつける自信があるという事に繋がったから、それはそれで良い経験だったんだろうか。
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