一姫二太郎という圧力
私が初孫として生まれたとき、父は遠方に住む祖父母へ電話で報告した。
最初に出た祖父は、開口一番「男か女か」と聞いてきたそうだ。祖父は男の孫が欲しかったので、女だと判ると「そうか…」とあからさまにがっかりして祖母へ受話器を渡した。
数年後、弟が産まれたときは狂喜乱舞し、なかなか受話器を離さなかったらしい。
というエピソードを、何度となく聞かされた。
とはいえ、私の名前を画数最強に仕立て上げてくれたのは当の祖父だし(結婚して平凡になってしまったが)、なんだかんだで愛されていたのだとは思う。
祖母は「一姫二太郎で良い孫だ」と言った。
もし弟が妹だったら、もうひとりいたのだろうか?
もし私が男だったら、弟は妹だったのだろうか?
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私が住む地域は、子育て世帯に人気がある田舎だ。
ひとりっ子はほぼ見かけない。ふたり…はそこそこいる。目立つのは3人だ。中には4人、5人と大家族がいたりする。
少子化と云われて久しいが、周囲を見る限り「どこが?」と首をかしげてしまう。
昔は6クラス7クラスあった学年が半減しているので、確実に減ってはいるのだろうが。
さて、我が家はふたりで打ち止めた。
なぜか?大きな理由は、一姫二太郎だったからだ。
男女両方産めばノルマ達成、のような、そんな空気感がある。息子が腹の中で男の子だとわかったとき、肩の荷がおりた気がした。
もうひとり、という情熱がそこまで湧かなかったのは、ほぼこれが原因だと思う。
3人4人…と続く家庭は、上の子たちが兄弟または姉妹だということが多い。
男の子が続けば次こそは女の子がほしい。
女の子が続けば次こそは男の子がほしい。
お家の跡継ぎ圧とはちがう、共同体の一姫二太郎圧。仕方なく…ではなく、自発的に「次いってみよう!」となる、なかなかポジティブな圧力ではないか?人数が増えるたびにのしかかるプレッシャーと、運要素が強いのは難点だが。
以前、Twitterで女児親が男児親に説教する回があったが、男児女児親があまりいない地域なのだろうか。
中学受験?なにそれ地方民ならではの文化なのかもしれない。
性別関わらず、ポンポンこさえる猛者(選ばれし母たち)もいらっしゃるので、「圧」といってもうっすらしたものかもしれない。
ただ、確かにあったのだ。肩にのしかかる何かが。