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『女』の適正価値を考える
色々ありすぎてまとまりきらないのだけど、最近は女が社会進出に向かないってことが可視化されちゃっててキツいですね。
元々、『男女平等』『男女共同参画社会』の下に様々な女性優遇措置が量産されてきたわけですが(クォーター制/生理休暇/女子枠など)、翻って女に仕事をさせるな!という前時代的な展開を迎えている。
上掲記事には、中居氏の一件から始まる世論を受けて、ある一般企業が接待営業は男性のみ(やむを得ない場合も必ず男性社員同伴)というお達しを出した…という、女体持ちにはなかなか酷な話題が取り上げられていた。
これ、ビジネス業界が女をキャンセルし始めたってことですからね。女は地方転勤免除!なんてのも、キャンセルの一環。"女性優遇"を建前に、女の選択肢が削られていく。次はどこかな?
『女』が障害になる時代
たとえば、この↓記事に書かれたカトパンの入社試験での振る舞い。これこそ典型的な『仕事がデキる人』なんですよね。
>この日の放送では入社試験の話になり、加藤アナは「『セクシーポーズをしてください』って言われたの」と当時を回顧。加藤アナは、戸惑いつつも「何を血迷ったか、ちょっとスカートのすそを上げたの。セクシーだからちょっと見せた方がいいかと思った。膝上まで上げて」と、大胆な回答を行ったことを明かした。
>「本気のセクシーを求めてると思って、本気で挑んじゃって」
仕事がデキる人とは、咄嗟に道化になれる人。
想定外の事態が起こった時にアドリブが効かず、反射的に動けなくなるような人とは違う。
仕事がデキない人とは、
「私はこんなことをするためにいるんじゃない」
みたいな、プライド?自分の価値に対する過信?
別にそれ自体はどうということはないんだけど、じゃあ現実問題どうすんの?ってときに何もしない。何もできない。
溜め込んで溜め込んで、結果病んじゃったり、何年も経ってから急に被害者意識を爆発させたりする。
そういう人は、概して対人能力が低い。平気でその場しのぎの嘘をつく。バレバレの責任逃れをする。
当たり前のように、『非』合理的配慮を要求する。
そんなんじゃ、まともに仕事を任せられない。
いや、いいんですよ。色んな人がいるもんだなって把握したうえでフォローするのも仕事だし。
ただ、今の社会は仕事ができない人を過剰に守るじゃないですか。おかしいと思いませんか。
特に女。もはや『女』が障害と見做されている。
バリアフリー(ex.女性専用スペース)が求められ、合理的配慮(ex.女子枠/クォーター制)を強いられる。
当事者の中には、『女』を才能だと勘違いしてる人もいる。「女は優秀なのに差別されているから環境を整えることが必要だ」とかなんとか。逆ですよ。
優秀な人間は、環境を整える側にいるんだよ。
女は【被害者意識とプライドが高い嘘つき】
これが現時点での、揺るぎない客観的事実。
たとえ「私はそうじゃない」と言ったとて無意味。
女の価値を高く見積もりすぎた結果、女の無能さが丸裸になってしまった結果が今。
女の適正価値ってどれほどのものでしょう。
たとえば『子が産めるのは女だけ』なんて主張は、少子化解消してから言えって話だし。そもそも。
産みません!と公言している女の適正価値って何?
産まない理由を社会のせいにするのは自由だけど、『産まない(=産めない)』という事実は変わらない。
じゃあ、産んだ女には価値があるのか?というと、それも違うと私は思う。
価値があるのは、産まれた子供なので。
「お疲れ様でした」って感じがちょうど良い。
人類の約半数には、おまんこが標準搭載されている。これが生物学上の「女」だ。
さらにその中に、「妊孕力」という期間限定オプションがついた個体が多く存在する。
これが能力としての「女」だ。
それ自体に価値はない。
子を宿すことで価値になる。
産まれた子供が価値になる。
女の価値、いや男も含めて大人そのものに価値なんてない。どうでもいい。本当はそれでよかった。
いつかどこかで産まれる子供たちを健やかに育てることこそが大人になった者たちの命題で、そのために各自がどう生きるか。それだけの話だった。
いつの間にか、多くの人は、己の価値を勘違いして
「私のために社会はどうあるべきか」
そんなことばかり訴えるようになった。
これはつまり、『仕事がデキない人』の思考回路。
フェミニズムは女の本質だった。
女は、今後。
営業どころじゃない。進出したはずの社会から、次々とキャンセルされていくことでしょう。
被害者意識とプライドが高い嘘つき共に、時代の趨勢を委ねるわけにはいかないから。
驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。