幸不幸のジャッジ
なんにもない日曜の朝だ。夫は横で寝息を立てている。
このところ、比較的穏やかな日々が続いている。
仕事は相変わらず忙しく、夫は体調があまりよくないのがスタンダードになりつつあり、私はクルクル毎日を機嫌よく、時にむっつりと過ごしている。知り合いに仕事が多いことをぼやいたら「仕事の幅が広がることはいいこと」と言われて、そんなものかなと考え直してみたり。
次の金曜日は、夫と東京に行く予定である。夫の体調次第ではキャンセルになるのかもしれないのだけど。夫よなんとか元気になってくれ!なので、この週末は夫を好きなだけ眠らせて、私の遊びには付き合わせていない。いかにせん、遊びまわったら疲れるからね。なんとか夫婦二人で元気に東京に行きたい。
恵まれているとか恵まれていないとか、しあわせとか不幸せについて、日頃からよくよく考えている。
「モツちゃんはしあわせではないよ」
とふとした時にお友だちに言われて、しこたまショックを受けた。
お友だちはその後、そのことについて謝ってきたが、私のモヤモヤは晴れない。
人にしあわせではないと言われる破壊力の大きさよ。
まぁ、確かに夫は元気ではないし、私は仕事の文句ばかり言っているし、しあわせでないと側から見れば他人は思うのかもしれない。だけど、私のしあわせを最終的に決めるのは私でない?とも思うのだ。人に自分の幸不幸をジャッジされたくない。
自分の好きなタイミングで髪を切りに行けて、その後一人でぼんやりお茶できるのも当たり前ではないよなーと美容室の後でお茶をしながら考えた。
小さな子どもがいたら、こういう時間も好き放題には持てないだろうし。
結局ないものねだりよね〜。自分の持っているものへは目を向けにくいものよね〜。と思う。
多くは望まない。多くを望めば全てを失う。をモットーにやっていく。
多くは望まないという割に東京には行きたいんですけどね。
夫よ、元気になってください。