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言葉は生きている 91

普段何気なく発する言葉をどれだけ意識しているだろうか?

言葉には、
その人の生き様が垣間見られるなぁと感じている。
ただの文字列だけど、
そこにはその文字を操るその人のイノチがのっかるみたいに、
同じ言葉でも発する人によって感じるものが変わることがある。

★参考に…

文字だけでは作用がないけれど、
そこにその人なりのイノチが入ると、
発せられた言葉に何か凄いものが宿るように感じる。

発する言葉、
書き上げた文章、
それぞれにその人のイノチが刻まれている。

言葉は力を持っている!

その言葉の力は、自分の内側と一体化して自分を表現することによりさらに力が大きくなる。

鳥は、言葉が飛び交う姿である。振動に用いられる言葉で、時鳥、鶏、白鳥、千鳥、雀、雉、タカなどは全て言霊の象徴である。
五十音図は、アカサタナハマヤラワの十音の配列でできるから「十里」=とりという。五十音は霊魂を載せて運ぶ道具であって、それは船のごとく走り、鳥のごとく空中を飛んでいくから鳥船という。五十音図は方型の図でもあるからキリスト教では「ノアの方舟」などともいう。
言と霊とが正しく結びついて、霊であり、音であり、父であり、母であり、その両方の内容を兼ね備えた第三の子として言霊(子音)となるのである。これがすなわち、労使の言う「道の道とすべき」万象の正しい名であり、真奈(真言)であり、聖書の所謂「神の口より出づる言葉」としてのMANNAである。」

言霊百神

現代では、誰でもが自由にこうして自分の思いを書き上げ、見知らぬ誰かがその言葉を読むことが普通になっている。
少し前では、誰もが知っている人が書いた本を本屋や図書館で目にすることしかできなかったのに…

まさに、風の時代らしく誰もが自由に自分を表現することができるようになった。
鳥が青い空を自由に飛び回るように、自由に自然に当たり前に…

そして最近話題になっている、chatGPTなどAIによる言語化も進んできた。素晴らしい文章だなと思いきや、それがAIが数分で書き上げた文章であったりする。
賛否両論あるでしょうが、たとえAIが出した文だとしてもそこに質問する人の思いが乗れば、AIに対する回答ですらがイノチをのせるものになるのだと思う。

マツダミヒロさんは、ずっと昔から「質問力」を重視することを伝えている。
私もそこで学び、質問力がその人の人間力に直結していることを感じている。
人との会話の中で有益な時間を過ごすときほど、質問者の質問のレベルが高いことがわかる。つまり、人はつまらない質問をする人に興味がなくなっていくことは、あなたもきっと経験済みではないでだろうか…

例えば、
「○○はどうしたらいいのですか?」
という質問。

よくある質問ですが、
「以前教わったことを実践したら□□になってしまって、△△のようになりたいのですが○○をどのようにしたらいいのでしょうか?」
同じ内容を質問しているが、全くレベルが違うことがわかる。
前者は、ただの依存。
後者は、自分のあるべき姿を想像し実際に行動もしていることがわかる。
当然人は、後者の人に興味をもって接する。

何気なく会話しているつもりでも、自分の也がダダ洩れているのだ。
だからこそ、自分への自問自答はとても大切。
常に疑問を以て自問自答して、答えを考え抜く力。

その上で言葉を使っていくならば、
きっとその言葉にイノチが宿り、
誰か見知らぬ人へ感動という心動かされるものとなるだろう。


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