大切にしていること 3
今年の夏はちょっと今までとは違う夏を過している。住み慣れた家を離れ、全くみも知らない地域に半月ほど身を隠して過している。隠してと言えば悪いことをしているかのように思われるが、ちょっと違う。誰もわたしを知らない場所でのんびり一人時間を過している、といった方が正しいかもしれない。
なぜそんなことをしたのか?それは、50代にもなり人生確実に折り返している今、そして風の時代に移り変わり、世界はコロナという異様なものに振り回されて、当たり前が当たり前でなくなり、起る事件や事柄一つ一つに自分の心が揺さぶられる毎日。そんな中、一旦歩みを停めて残りの人生を何に費やすべきなのか、自分ができることは何なのか、ちょっと人生リセットしたい気分になった夏だからである。
身を隠している間に、2020東京オリンピックも無事終了した。今までにないメダルの数だそうで素晴らしいこと。ご存じの通り、わたしもアスリートの隅っこをかじっただけに、毎日テレビの前で応援していました。感じたことは素直に、明らかに世代交代。今までの強者が当たり前に勝つわけでなく、ふっと表れた新生人がメダルを取る風景。それはなんだかある意味気持ちの良いモノでした。こだわるとかでなく楽しんでプレーする姿、相手を敬う姿、まさにこれがスポーツが文化と称される理由の1つ。わたしはスポーツを文化だと捉えている。その上で、長年にわたり1万人以上に携わって指導するときに意識してきたプライド。スポーツは教育現場。だからこそマニュアルも当たり前も通らない、一瞬一瞬の真剣勝負。わたしがスポーツの世界にはまった理由がここにある。
柔道団体でのインタビューで「フランスの力は尊敬するほどに強かったです」という日本選手。甲子園でコロナ陽性が出たことで、勝ち進んでいるにもかかわらず生徒を守るために棄権を選んだ先生。どれもこれも、人としてスポーツマンシップに乗っ取り正々堂々の表れではないだろうか。とても美しいと感銘を受けた。もちろんいろんな思いはあるにせよ、勝つことだけがスポーツではないこと。これが新しいスポーツの世界になっていくことでしょう。自分たちは星飛雄馬時代だから、監督の発言は絶対だったし、暴力的なことが普通に繰り広げられていた。今のように恵まれたアスリート時代だったとはとても言えない。それでも、自分が過してきたあの時代を悔しいとも思わない。その時に学んだことが体験が宝となり、今の自分を支えてくれていることも確かだから。
そんな時代の変化する中で改めて自分が大切にしていることに気づいた。
それは「仲間」。わたしには友だちがいない。というか友だちという概念がよくわからない。ただお茶をしてどうでもいい話をしたりするのが友だちならば、わたしは要らない。いつも一緒にいなくても、心の中にその人がいることで毎日を奮い立たせて生きることができる人。そんな人を仲間だと思っている。電話やメールやLINEをしていなくても、その人との思い出が自分を強くしてくれ、いざというときに力になってくれるそんな仲間を大切にしてきた。だからいつも衝突ばかりだった。喧嘩して怒鳴り合って泣いて笑って、本氣の人だけが今、わたしの周りに残っている。だから本氣でない人がみんな散っていった。
死産流産を繰り返し、やっと授かった一人娘。その出産を機にそれは色々考えた。この子の命を最大に生き生きさせるにはどうしたらいいのか!わたしたち親にできることはなんだろうか!この子が吸収するすべての環境を最善を尽くそうとした。結果、この子にわたしの全てを伝えようと決断。田舎に引っ越し、毎日全力で遊んだ。その遊びの1つが毎日プールに通ったこと。水が大好きな娘は6ヶ月ではおむつも外れ、公共のプールにも入ることができ、1分くらいは平気で水の中で潜って遊んでいた。それを見た友だちに水泳教えて!って言われたのがきっかけでベビースイミングのサークルができた。それから16年、娘に教えたいことを全て教室にしてレッスンし一人事業をし続けた。訳のわからない青色申告、苦手なHP作成、公共施設を借りるために市の無料ボランティアの手伝い、寝るまもなくほんとうに必死に働いた。気づけば総勢4000名を超えるクライアントがいる任意団体ができあがった。全て一人で指導していたのだから創造もできることでしょう。
そんな娘が高校へ進学の時のこと。娘は家をでて水泳強豪校へ進学することを希望し見事合格。毎日毎日一緒だった娘が、ある日突然家からいなくなる寂しさ。レッスンには常に娘がいたけれど、そこにいない空虚。ちょっとしたやり終わった感が出てきたときに、会員の中から指導者になりたいと声が上がり、これを機にバトンをしようと指導者育成をすることに。そして育った指導者はそこでお金も稼ぐ力もつけ、これがファミリーだと感じていた。
が、そんな日が続くことはなかった。ある日突然、その子たちにこの大きくなった任意団体をごそっと持っていかれるという事態発生。詳しく話せば長くなるので割愛するが、言いたいのは積み上げには血が滲む16年かかったが自分の居場所は一瞬でなくなるという事実。ある日から突然全てを失う。
それを娘に伝えたときの言葉は「そうなんだ… でもね、母さんの心は絶対あいつらには真似できないし盗まれない。少なくともわたしの心の中に全てある。」だった。離れて暮らしているからその言葉はLINEにあった。
そう、この活動をはじめたきっかけは、娘にわたしの全てを伝えるだった。これってその目的叶ったんだよね。一番が達成できたんだよね。そう言い聞かせたら、前を向いて歩くことができました。
それまでの16年は、自分のことは忘れ常に会員のことで頭がいっぱい。あの人にはこれをやってこの人にはこれを。16年間、ほんとうに自分を捨てていたことにも気づいた。それが良い悪いではなく、そうでもしないと女一人でこれだけの事業を成し遂げれなかった。1万人のクライアントに合わせ50名くらいには雑給を配るくらいにはなっていたから。市の託児事業も手がけてどっぷり名前の通った事業を展開していた。でも、全てその日に捨てることができたのです。仲間とは何か、誰に繋げていくのか、沢山の学びがあった16年。それでも今でも後悔はない。大好きだった事業。自信を持って人に自慢できる事業でしたから。
それからというもの、自分にしかできな事を自分でやることに専念してきました。だからクライアントはとっても少なくなった。その少数でも残ってくださっている一人づつをこれからはより大切に深めたいと思っています。誰に教えるか、誰とやるか、誰にこだわりたい。これが今大切にしている1つです。
今年の春からTwitterをはじめてみました。なんとなく敬遠していたもの。春先に爆発的人気になったclubhouseでみんなが、まずはSNSと言えばTwitterからと言うではありませんか?仕方なくアカウントを開設して機械音痴のわたしも見よう見まねでtweetしました。最初はtweetとかリプとかリストとか、皆さんが言っている言葉がまるで業界言葉に聞こえ何もわからずにいました。それから今日で5ヶ月が経ちます。やっと少しづつ色々がわかってきて、Twitterを活かして自分のできることを必要な人に繋げたいと発信しようとはじめました。
お金に結び付ける。これも大事です。お金はないよりあった方が確かにいいです。だからこのTwitterも役に立つことでお金にしていけたらと思っています。そのために、わたしをもっと知って欲しくて今日もnoteを書いています。
奇しくもジャニーズのメリーさんが亡くなりました。わたしはジャニオタです。何故かというと、メリーさんは言いました。「ファンクラブでなくて、皆さんはファミリークラブです」って。そんなクラブ応援するに決まっているじゃないですか?!いつもメリーさんはファンを喜ばせようと企画をしてくれましコンサートコンサートでは天井席にいる人に櫻井翔くんは「天上席のみんなもちゃんと見えているから」って必ず天上席に手を振って挨拶してくれるんです。チャラいイケメンだけのグループに思っている方もいるかもしれませんが、ジャニーズは学校です。ジャニさんやメリーさんがあのキラキラ王子たちをかわいがり成長させた偉大なエンターテイメントのグループです。
Twitterも同じじゃないんでしょうか?お金の稼ぎ方だけを伝えている人もいます。奥さんのネタだけの人もいます。どうでも良いことで会話し合っている人もいます。SNSは自由です。なんでもいいです。でもね、5ヶ月毎日継続してtweetして気づいたことがひとつ。人を傷つけることだけはしてはならないと言うこと。もうひとつあわせていうなら、人を利用するためだけの目的に使ってはならないと言うこと。目に見えない世界でも必ずその先に、生身の人がいます。逢うことが一生ないかもしれないけれど、血の通った大切な人がそこにいます。だからこそ、相手のことも思いながら大切に積み上げていこうとおもいます。
わたしができる発信は
「人生100歳時代、健康で自分らしく生きる術」です。
心肺停止体験者だからわかること、命の授業をtweetに書きためています。Twitterも是非見てください。HPも是非読んでください。
こんなことを大切に思っているわたしです。よかったら是非仲良くなってください。仲良くって言うのはフォローをポチッと押すことより、リプして沢山絡んでみたいのです。素敵なあなたともっと知り合いたいです。だからわたしもnoteを書いて、HPの紹介や色々これからしていきます。
どうぞこんなわたしですが、よろしくお願いします。
明日もまた会えると良いな🌈
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