息子先生(考察編)
息子先生には、兄と弟がいる。
なかなかの観察眼なのだか、彼曰く、私は、3人いる息子の誰とも一緒に暮らせないと言う。
そんなことはない。
彼の兄である息子1号は、優しいから大丈夫だと言うと、もって、1週間だと言い放った。
息子1号は、中学から生きる力をつけるべく東京の学校へ入学して寮生活をしておりました。(本人の希望)
生活即教育という面白い学校でしたが、大学へ進学する時に、クリエイティブな世界を希望して外の世界へと飛び立とうとして、2年も浪人してくれました。
浪人生活の時は、家に戻っておりましたが、合格すると再び東京へと戻っていきました。
かれこれ、地元より東京暮らしの方が長くなってしまい、こうなると幼くて記憶のない頃の年数を差し引くと、どこが地元なのやらになります。
地元に帰ってきても尋ねる友人は、東京にいた時の友人のところだし💦
そんなこんなで、すっかり東京の人になっている息子1号のところに滞在することになりました。
据え膳で、ゴロゴロしながら23日間滞在する予定でしたが、息子先生の言うとおり、8日目にギブアップ。
どうにも居心地が悪い。
途中で息子1号の家から脱出して、八ヶ岳に雲隠れするつもりが、目が腫れてしまい、とても外出できそうになく、こっそり、自宅に帰るしか選択肢がなくなり息子先生の元に帰りました。
息子先生が言うには、息子1号は、優しそうに見えるけど、それは、私に対して諦めてるから、彼から私への要求がない分だけ揉めたりしないだけで、それも1週間が限度だよって。
確かに、だんだん息子1号は、彼の生活パターンを脅かす私の存在に苛立ち始めたり、興味のない話を聞かない態度は良くないとか、小銭をソファの上に置くのはやめてくれとか(小さい頃にお金を触ったら手を洗うことを強いたのは私です)無神経だとかetc
まぁ彼の寝室を奪って高いびきをかいて寝ているのは、私です。(彼はソファベットで寝ている)
夕飯を一緒に食べないといけないmyルールに付き合わせたりしましたが、なんといっても、世代間のギャップというのでしょうか、あたりまえの感覚が違う。
息子といえども、結構気をつかうなぁ。
これなら、小うるさい息子先生の説教とどっちがいいのやら。
あまりの退屈さにTVをつけるしかない私。
懐かしい「渡る世間は鬼ばかり」がやっており、思わず見てしまいました笑
彼らが小学生の頃、寝かしつけながら見てました。まだ息子3号がうまれていなかったので我が家にTVがありました。息子3号、なぜか自らシュタイナー教育の幼稚園に転園、そこから我が家からTVが消えました(兄たち災難)
渡る世間を見ながら、よく話してました。
「あの人、ひどいよね」って、
あの頃の私は、お気楽な主婦で家族という葛藤など感じたこともなく天下泰平だったのでした。
まさか、息子たちから世間というものを教わるとは思ってもいませんでした。
TVの中のひどい姑は、あの時代には、よくある話しで、ひどいよねと言ってた自分が姑の年齢になってきた。
あのTVの中の姑とは違うと言うと
息子先生から、
あの年齢の人たちの価値観が若い人には受け入れられなかったように、あの年齢なった私は、息子たちの価値観とは、また違う価値観を持っているのだから、対して関係性は変わらないのではないかと。
いつの時代も世代間での価値観のギャップが、渡る世間は鬼ばかりをつくっていると言う。
息子1号のところで、今の女の人は、専業主婦を望まないよと言われた。
生活が大変だから致し方がない時代だからだと思っていたが、息子1号が言うには、そういうことではないそうだ。
自分というものを誰もが確立したいと思っているからだと言う。
男とか女とか、役割とか、子供のためとか、
そんなところから若者たちは自由になっているのだと感じた。
確かにバブル世代の私たちは、自由を謳歌しながらも古い概念にしばられていたりする。
時代が作った環境ではあるが、その世代が背負う課題でもあったりする。
ゆとり教育で育った息子たちもまた、時代が作った環境下の中で生き、常にゆとり世代と言われる。
その子供たちが、今、子供を産んでいる。
次の世代の子供たちは、いったい、どんな環境の中で育っていくのだろうか。
能天気で人生なめてる母親をゆとり教育の息子たちが、今日も諌める。
私といえば、懲りもせず、今回の滞在経験で、ゆくゆくは1ヶ月を1週間ずつ3人の息子の家に滞在して、残りの1週間を一人で過ごすという老後の計画を練っているのだが、息子先生は、隣でほくそ笑む。
「絶対無理だ。自立しろ!それが平和への第一歩だ。」
そんな声が聞こえる。
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