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息子先生 (大人の対応編)

久しぶりに息子先生の講義笑

春分前にいろいろ起きた事件を回想してて、簡単に言えば愚痴ってました。(いえいえ点検しておりました)

久しぶり他人の行動に驚いた日々を過ごしておりました。

息子たち以外に激怒することがなくなっている日々なのですが、珍しく「はぁ〜〜〜ん⁉️」となりまして、それが、一つや二つではないので、自分の内に奥深く入り、何が起こっているのだろうかと見てみました。

結局、現実は自分が作っているのですから、私の中で、何がどうなったら、目の前にこれが現れるのだろうかと点検してみました。

そして、自分はどうしたいのか?というところに落ちていきました。

いろんな人がいる世界で

いろんな考え方があって

大切にしているものがそれぞれ違って

それぞれがそれぞれの思い込みの中で起きる人間模様

だからこそ、大切に思う人には、自分が大切にしているものを伝えなければいけないのだと思う。

いつしか、勝手に思い込んでた。

わかってくれるとか

わかっているだろうとか

私が大事にしているのだから、あなたもとか

息子先生
「それぞれの価値観だから、何をしてもいいけど、そこに誠意があるかだよね。」

これは、少し前から食卓で話題になるキーワードだった。

そして、今回もまた、
「その行動は、問題ないと思うけど、誠意がないと思うから、自分は、誠意のない人とは、付き合いたくないだけだ。」

「そこで、大人の対応をするっていうのも、誠意がないと思う。」

よく、耳にする『大人の対応』

『怒らないことが大人の対応だよ。』

『失礼なことされたけど、ここは、大人の対処で対応した。』

息子先生いわく、

「これは大人の対応をする子どもの行為だよ。」

「あなたみたいに、どストレートに言うのは、子どもが子どもの対応しているだけ。」

「大人は、大人の対応をしようよ。言わなければいけないことを子どもの対応ではなく、大人の対応で伝えようよ。」

「大人だったら、それをすることで、何が起きるかは、わかるのだから、それをふまえて誠意のある対応をするのが大人ってもんだよね。」

「言いたいことを言えばいいってもんじゃないし、やりたいことをやればいいってもんじゃない。そこには、それから起こるべきことに責任を持つ必要があるよね。」

「面倒くさいから、もめごとになるから、嫌われたくないから、社会的には…だから大人の対処をするって、そもそもおかしいことだよね。」

そして、私は言われるのでした。

「面倒だからスルーするとか、大人のふりして、なんでもいいよと言ったりとか、子どものように思ったことをそのまま口にするのもやめようよ。まわりが迷惑だから。」

そして子どもの私は、
「うるさ〜い!」と言って声を高々に「1人で自由に生きていきます!」と宣言するのでした笑

「わざわざ家族に、私は自由に生きていく宣言しなくていいから、もともと勝手に生きてる人だし、宣言する必要があるのですか?」と…。

「大人になろうよ。」

でも、子どもの私は、ついつい言ってしまうのです。

私がいなくなったら困るでしょ?って笑

一人暮らしをしていた息子だから、本当は、私がいなくたって生活できるのだ。

「しらん〜」と返答する息子先生。

そろそろ私も、いつまでも子どものように、家族に甘えてばかりではいけませんね。




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