大事(オオゴト、ダイジ)にすること

好きな人の感情や自分への期待は大事にしようとします。

大事にしようとしたときの、対応の一つとして、自分の中で文字通りオオゴトにする、という方法があります。

あと人の感情や、私への期待は、一旦私の中のオオゴトになり、私は多大な精神的コスト、時間的コスト、はたまた金銭的コストもかけたりするかもしれない。

それが、あの人にとってもっとも誠実で、あの人を大事にするアクションだと感じているから。

でも、人は実際いろんな場面を生きているわけで、私が受け取った感情や私への期待を常に持ちながら生きているわけではない、あの人も。

それによって、なぜ私はこんなにもオオゴトを抱えているのに、あの人はそれを気に留めていないのか。あなたが持ち出した、私に投げたものなのに。

あまりの報われなさに、徒労感に、泣きたくなる。

でも確かにオオゴトにしたのは自分。
別の大事にするやり方もあったかもしれない。

でも、悲しい気持ちに支配された状況ではそんな冷静なことは考えられず、二度と大事にするものか、という気持ちになったりもする。

一週間経っても、それが持続するといよいよ辛い。

そんな時は、おいしいものを食べます。
本当においしいもの。必ず、おいしさに一瞬支配されるレベルにおいしいと感じるもの。

それにより思い出します。
オオゴトに支配されてなかった思考を、気持ちを。
実はもっと別のことを感じ考えるキャパシティが存在していたことを。

そして、オオゴトをコゴトにしていく。

己を落ち着ける方法。

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