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抱えてきた感情を解放する方法:病気が教えてくれること
悲しみを味あわずして優しさは生まれてこない
わたし自身の過去ラジオの中から、結構名言かと思った本日の一言。
抱えてきた感情がふとしたことをきっかけに、もしくは、あるタイミングで浮上してくることがある。それは分かりやすく「病気」という現象で現れることも多くて、そんなところを話している過去ラジオ番組をシェアしたいと思います。
今日聞いた番組は、末期癌を患っている妹を、家族みんなでサポートしている中での収録でした。妹は誰にも自分の病気を伝えてほしくなかったということもあり、この番組でそのことについては触れていません。もちろん、いろいろな感情がわたしにとっても渦巻いていた時です。
同様に、末期がんを経験して旅立っていった魂夫に対するグリーフをプロセスしながら、「がん」という病気を、心身医療的観点からメタフィジカル(形而上学的)な解釈をしています。
そして、アメリカの心理学者、故Dr.Wayne Dyer(ウェイン・ダイアー)のお話も含めて、いかに幼少期の感情記憶(解釈)が身体的に影響を与えることになるのか、こころとからだは繋がっているということの意味をお話ししています。
身体からのメッセージを理解するために、そのからだに湧き起こる感情をこころで抱きしめるということ。感情がメッセージそのもの、心身とのコミュニケーションはまず、自分自身の感情をモニターする、というところから始まります。要は、感じる、ということです。
No Feeling, No Healing.
感じられないことは、癒すこともできない。
「悲しみ」はできることなら感じずに生きていきたい。なぜなら、その感情は、わたしたち自身を弱く、脆く感じさせてしまうから。しかし、敗戦を経験した日本にとって、生きていくために、立ち直っていくために、守っていくために、抑圧して、我慢して、無理して、強くいなくてはいけないことが正しい、とされて復興、発展してきた近代社会がある。そうするしかなかった時代でもあったからこそ、みんなそうやって頑張ってきたのだ。
しかし、 「悲しみ」を我慢、抑圧してきたということは、どういうことになるのか?
身体の中に抑圧されてきた「悲しみ」は、誰からもわかってもらえず、受け入れてもらえず、それを我慢してきた怒りも体に蓄積され、それが長期間に及ぶと「炎症反応」として体に影響を与え始めます。
特定の箇所に起こる身体的な病気、特に炎症を伴うものにおいては、この放置してきてしまった、抑圧してきてしまった「悲しみ」、「怒り」が存在しているかもしれません。もし、そこにずっとずっと溜め込んで、抱えてきた感情を見つけてあげたのならば、ようやく、それらを解放させてあげることができるでしょう。
ぜひ、ラジオ番組最後にあるちょこっと誘導瞑想で、リラックスひて体を解放して感情を自由にしてあげて見てくださいね。
このプロセスを通して、時空間を超越して感情から自分自身の体と心のつながりを深く理解し、慈しみの心を培い、優しさを発揮できる人のこころの本質を体現することができます。
そんなにもパワフルな愛の存在でもあるのが、今に生きるわたしたち、でもありますね。
💠抱えてきた感情を解放する方法
リラックスして横になるか、椅子に座って行うと安全、かつ効果的です。ラジオ音源最後の誘導瞑想を参考にしてください。お気に入りの音楽やキャンドル、アロマなどを活用してこころ落ち着ける環境でやって見てくださいね。また、このワークの中で浮上してきた感情や気づいたこと、感情からのメッセージなどを書き留めるノートとペンを要しておくと良いでしょう。
溢れてきた感情に気づいてあげましょう。この時、感情の揺れに伴い、不快、不満、不調、などを感じることと思いますのでそれがサインです。感じないようにしてきた悲しみ、怒りから、恨み、絶望、など、どこかでなんとなくわかっていた感情であることが多いかと思います(あなたが準備ができる時を待っていましたね!)。なんだかよくわからないままの場合でも次のステップに進めますが、もしさらに明確にしたい時はノートに書き出すワークを事前に行うと良いかもしれません。自分自身に「わたしな何を今感じているの?何を我慢してきたの?何を教えてくれているの?」と問いかけて見て、答えをもらって見てくださいね。想像や推測で構いません。
からだの感覚に意識を向けます。浮上してくる感情に対して、なんでだろう、どうしてだろう、と理由探しや分析するのではなく、ただただ、そこにその感情が存在していることを、その存在そのものをからだの物理的感覚として感じていきます。例えば、その感情はからだのどの部分に感じているでしょうか?頭、胸、腹部、など、そして五感をフルに稼働させて、大きさや色、かおり、匂い、などその感覚を言語化して意識していきましょう。
その感覚をイメージをしながらゆっくりと感じていきましょう。(例:バターが溶けるような)まるで全身で、その感覚を味わうようにして深呼吸しながら、全身全霊、全細胞を使って感じていきます。この時に、目を閉じて、感覚を研ぎ澄ませながらやることはとても効果的です。イメージは千差万別なのでそれにとらわれず、自由に、想像力をフルに活用して楽しみながらその感覚を味わっていってください。
「解決しないといけない」「コントロールしなくてはいけない」「どうにかしなくてはいけない」という思考を手放しましょう。浮上してきている感情はそうしても早く解決したいものかもしれませんが、どうにかするのではなく、それがあったこと、存在していること、それを受け入れること、その存在を意識すること、あるがままでそれを感じていくことに集中してください。何もする必要はありません。むしろ、ただ、ここに、一緒に存在するだけで大丈夫です。
意図を持って解放のプロセスを身体に委ねましょう(自分自身の身体を信じる)。何もしなくても、私たちの身体は代謝し続けています。ただただ、共に感じていることで、寄り添うことで、もしかしたら見えてくること、聞こえてくること、わかってくることなどがあるかもしれません。今だから理解できること、今日のあなただからこそ寄り添えることもあるでしょう。もちろん、何にもわからないし、何も変わらないかもしれません。それはそれで構いません。ただただ、ゆっくりと深呼吸を続けていてください。それだけで循環がしっかりと促進されています。わたしたちみんなに備わっている自己治癒力、そしてこころの本質を信頼して身を委ねます。