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人生やり直しでもない転生 後編

 意識の無いふりをして、消灯時間まで待った。担当が騙しやすい医師で良かった。まともな医師ならば、嘘であるとバレただろうから。
 寝た姿勢のまま病室を見回し、窓際へ向かう。窓ガラスに映る顔は、憎いアイツのものだった。アイツの家は金があるからか、それとも隔離しておきたい理由があるからか、病室は個室だ。

 どれ位の間、アイツの体で眠っていたのか。いや、アイツの精神は何処に行った? まさか、俺の体に入ってはいないだろうな。
 ベッドに戻り、アイツの所持品が無いかを確認する。スマホ……暗証番号は分からないが、生体認証タイプだ。これはいける。
 ロックを外し、動画データと画像データを確認する。そして、俺が消したくて堪らなかったデータの全てを消し去った。これが全てでは無いかも知れない。だが、やらないではいられなかった。

 次にアイツの人間関係の把握だ。通話記録やライヌのやり取り、アイツを知りすぎている相手は面倒だが……まあ、刺されたせいで記憶が曖昧と言っておこう。なんなら、名前すら忘れたふりだ。
 アイツは、生徒に手を出したと言っていた。だから、その生徒から連絡があるかと思ったが……大したやり取りはない。いや、アイツが消したか? 消したにしても、アイツが入院してから心配のライヌ位有りそうだが。

 生徒と分かる名前で登録していないのか? 何にせよ、厄介だ。今月やり取りした記録を見ても、生徒からのものは……いや、面白いものを見つけた。
「何で刺されたか、思い当たることを言うなよ。あの役立たず、お前だけ刺しやがって」
「何が任せておけだよ、ゴミ。代償は払わないからな」


 アイツの人間関係は、中々に酷かった様だ。高校では威張れても、仕事ではそうもいかなかったか。さて、手始めに何をすべきか。アイツの人間関係なんてどうでも良いし、引っかき回すだけ引っかき回してやるか。
 アイツ、どれ位金を貯めてやがるのかな? 貯めた分を高校時代の慰謝料として使ってやろう。当人なら、通帳と印鑑が手に入ればどうにかなる。クレジットカードも、暗証番号が分かれば使い倒してやりたいけどな。

 俺がどの位の期間、この体を乗っ取っていられるかは分からない。だが、分からないからこそ好き放題してやる。先ずは退職だな。理由は簡単だ、刺されたんだから。刺したのは、俺の体だけど。
 ま、痛いっちゃ痛いが致命傷では無かったな。少なくとも、こうやって考えられる。ま、退院までは大人しくしているか。事情聴取も有るだろうが、記憶が無いで通そう。高校時代の知り合いが犯人なことは調べが付くだろうが知るか。

 警察の事情聴取も、職場の人間の見舞いにも、代わりに入院手続きをした家族にさえも、記憶が無いと返した。ま、誰も知らないしな。誰が誰かすら分からないから、演技するまでも無い。
 警察の話によれば、犯人は昏睡状態らしい。好都合だ。因みに、ライヌに酷い連絡をしてきた奴が犯人を思いきり殴ったそうだ。

 あかげで、学校でも賞賛され、取材もひっきりなしらしい。これも好都合だ。忙しくしている人間なら、見舞いの出来る時間には来られまい。
 記憶が無いで通し、退院の日を迎えた。完治はしていないが、入院し続ける必要もない。幸い、アイツの家族が自家用車で家まで送ってくれた。如何にも、教育関係者ですって感じの、感情が欠落している家族が。

 だが、一家の恥とさらされたくないからなのか、職場との連絡はスムーズにこなしてくれた様だ。おかげで、退職するまでもなく特別休暇を貰った。記憶が戻ったら、職場にも戻って欲しいのだろう。
 しかも、大金を惜しみなく置いていった。流石に、クレジットカードは、記憶が曖昧な相手には渡さないから現ナマオンリーだ。それでも、十分だ。

 元の体では買えなかった高価な食べ物をこれでもかと購入。我ながら単純な考えとは思うが、入院中は味の薄いものばかりだった。ひとまず、消化能力の衰えも考え、油分は避けて寿司を取る。食べきれなくても構わない、
 届いた寿司の支払いを済ませ、食べたいネタから食べる。幸せだ。金で買える幸せ。だが、確かに幸せだ。

 全てを平らげ、残ったのは虚無感。だが、まだ足りない。アイツにされたことに対する恨みは、寿司程度では相殺されない。
 アイツの部屋から、通帳と印鑑を探す。今日日、通帳と印鑑で金を下ろす人は少数だろうが、下ろせはする。

 あらゆる引き出しを開けては中を確認、複数の通帳を発見した。印鑑に関しては、照らし合わせながら下ろせば良い。単純に組み合わせを忘れた人も居るだろうから不審にはなるまい。
 数日をかけて、金を下ろしてやった。そのついでに、近所にどんな店があるかも確認した。そして、三食食べたいものを食べ、買いたい物は全て買った。愛のない家族なのか、連絡が少ないのも気が楽だ。

 さて、そろそろ旅行に向かうか。元の体の時は、ひたすら仕事漬けだったからな。特別休暇もあるし、高級リゾートを予約して楽しんでやる。金は十分にある。
 下ろせる分だけ下ろしては、金庫に保管。使った分だけ財布に補充するのは手間だが、アイツが設定した暗証番号が分からない限りカードは使えない。

 仕事も特別休暇中なことだし、関わらねばならない人も居ない。まあ、警察が鬱陶しい位か。他に事件も有るだろうに、しょうも無いものばっかり追いかけやがって。 
 現金をボストンバッグの底にしまい込み、旅に出る。予約してはホテルに向かい、昼は観光を楽しみ、夜には次の旅行先を探す。こんなに楽しいのは何時ぶりだろうか。

 ずっと、惨めな人生だった。だが、どういう仕組みか、別の人間になれた。食べたいものを食べ、したいことをする。何とも楽しい人生だ。
 俺は、惨めな人生から卒業し、満ち足りる経験も出来た。何度も卒業式に戻されてしまったが、惨めな人生からの卒業はすこぶる楽しい。
 もし、元の体に戻ることがあっても、知ったことか。俺は今を楽しむ。憐れな俺は、もうここには居ないのだから。

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伊野聖月
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