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キーボードに向かうとパブリックな言葉、手帳に向かうとプライベートな言葉になる。

娘がもうすぐ小学校を卒業するのでそわそわしています。

小学校では卒業式の練習がはじまり、他にもいろいろイベントがある。そのなかに、6年生が両親に感謝の気持ちを伝える集い的なものがある。卒業式とは別に、児童が実行委員になって進める会。そのなかに「親と子どもで手紙を交換する」というコーナーがある。

そうだ。手紙を書かないといけない。1月からその知らせは来ていたのに、着手するのが寸前だ。ごめんな、お父さん職業がライターだから……。

レギュレーションは「便せん1枚に手書き」。普段言えないお子さんへの思いや卒業にあたって伝えたいことを、という編集方針である。もちろんいきなり便せんにヤーッと書く勇気はない。まずは下書きしよう、と、テキストエディタを開いた。

……が、全然言葉が出てこない。キーボードに手を置いて、うーん、とうなる。ちょっと書いては消し書いては消し、を繰り返す。

これはあかんな出直すか、とりあえず今日は手帳にメモする程度にして寝よう。ということで、日誌をつけているほぼ日手帳に書いてみたら、今度はペンが進む進む。そのままざっくり手書きで草稿を書いてしまった。

……これはなんだ?


どうも自分はキーボードで打つ言葉を「パブリックな言葉」として捉えているようだ。

メールや原稿、メッセンジャーなど、キーボードで紡ぐ言葉は外へ出ていくものが多い。そこで子どもへの手紙を書こうとして、はたと止まったんじゃないか。無意識のうちに言葉にブレーキがかかったんじゃないか。誰にも見せることのない手帳なら、手紙の文章がスラスラ出るのもうなづける。

パソコン、スマホ、手書き、それぞれでパブリックとプライベートの使い分けがあるだろう。スマホのなかでも、メール、SNS、メモなどでそのグラデーションは異なるだろう。会社、友達、恋人、家族で見せる顔が違うように、言葉を出力する手段によって「言葉の引き出し」の開け方が変わってしまうのだ。

もしこれをライティングに応用するなら、もっとエモい原稿を書きたいときはブレーキを外すために一旦紙にペンで書いてみるとか、余所行きの文章を綴りたいときはわざわざWordを立ち上げてみるとか、ちょっとしたことで気持ちを切り替えてみるのもいいのかもと思ったりした。脳をだます感じ。


さて、当の手紙は手帳の草稿→Googleドキュメントに書き写して推敲→さらにそれを見ながら手書き、という順序を経て、ようやく書くことができました。

こういうとき自分の字の下手さにしょんぼりするなぁ。筆跡が子どものころから変わってないんだもの。大人になったら勝手に字が綺麗になるんだと思ってた。かくなるうえはユーキャンなのか。日ペンの美子ちゃんなのか。と言いつつおじいちゃんになってもこの字だろうな。

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井上マサキ
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