仮想通貨(2008年11月1日に想いを馳せて)
2020年10月22日の Yahoo!ニュースに『ペイパルが暗号通貨に参入、ビットコイン急騰…「もう後戻りできない」』(BUSINESS INSIDER JAPAN、2020年10月22日11時31分配信))という記事が出ていた。
久しぶりに仮想通貨のニュースを聞いた気もするが、かく言う私は「仮想通貨」というものがわかっておらず、もちろん、この記事の意味もわからない(「4709ビットコインを5000万ドルで買い」って意味がわからない!)。
だから個人的には「まだ仮想通貨なんてあったのか」という実感だが、それでは時代についていけなさそうなので、「ビットコイン」というか「仮想通貨」について、ヤニス・バルファキス著(関美和 訳)の『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい 経済の話』(ダイヤモンド社、2019年)という、とんでもなく長いタイトルの本を開いてみることにする。
通貨を「国家」ではなく「我々」が管理する
答えは、『全員で!』。(と、P197に書いてある)
ということで、それが「仮想通貨」であり「ビットコイン」ということになるのだが、私にはそもそも根源的な疑問がある。
確かに現在の貨幣制度は、政府の思惑や国家間の政治的駆け引きによって「安心」「公平」な取引ができない。インターネット技術によって、そういう国や組織の意向が働かない、「自由で公平な」貨幣制度ができるかもしれない。しかし、現実的には難しいのではないか。世界中の人々が、「自由に」「平等に」「安心して」取引するために結局は、「ネット上の中央銀行」を置いて、一元管理するしかないのではないか?
その問題を解決したのが、ちょうど12年前の今頃だったのだ。
その仕組みが前述した『全員で管理』ということになる。
そして、『世界中の多くの人がこのアイデアに熱狂し、ビットコインに参加した』。
つまり、「仮想通貨」は投機目的ではなく、「国家からの自由を求めた独立」を目的に始まったもののようであるが、私にはそういった印象はない。なぜなら、『その後、ビットコインの参加者たちは、とんでもなく苦い経験も味わうことになった』ことによって、ビットコインの存在を知ったからだ。
「数百万ドルの価値のあるビットコインを持ち逃げする保管者が出たのだ」
ビットコインの最大の魅力である「一元的な管理者がいない」という面が、裏目に出た形である。
確かにこの事実は、ビットコインの大きな欠陥だと言わざるを得ない。事実、この件で多額の損害を被った人もいたし、そうでない人も恐れをなしてビットコインを引き上げたりしたことだろう。
私は、連日の報道を見ながら「流行りものに疎くて助かった」などと思ったものだ。
しかし、と、著者は続けて言う。『国家に紐づかないビットコインのような仮想通貨の最大の弱点は、そこではない』。
では、著者がいう『仮想通貨の最大の弱点』とは何だろうか?
上限問題
まず一つ目の問題は、「価格デフレ」であるという。つまり、『企業の生産するものが増えるにつれ、総量の決まっているビットコインは相対的に希少になり、価値が次第に高まってい』き、『ビットコインで表されるものの値段は、世の中の自動化による価格下落よりさらに速いペースで下がることになる』。さらに物価より賃金が速いペースで下がると、『ものは増えていくのに、労働者の買えるものは以前より少なくな』り、『危機の火種ができ上る』。
そうなると、二つ目の問題が浮かび上がるという。それは、『発行総量を増やせないため、再膨張(リフレーション)に持っていけないという問題』だ。
金融危機が起きて銀行からお金が消えてしまった場合、現在のリアル経済であれば、政府はなるべく早く失われたお金を補填して、銀行を救う措置をとるはずである。ところが…
『ビットコインは総量が決まっていて、当局の管理が及ばないので、何の手も打てない』
と、そんな、「仮想通貨」とか「ビットコイン」を知っている人なら誰もが「今更」と思うだろうことを、本当に今更ながらに知ったのである。
そういったわけで、仮想通貨に無知な私は無邪気に、この狂乱は12年前のちょうど今頃に始まったんだなぁ、などと過去に思いを馳せ、そして、「サトシ・ナカモト」という謎の人物について、あれこれ空想してみたりするのであった。