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「後悔」という言葉はどこかおかしい
あなたはこれまでの人生で、「後悔」したことがあるだろうか。
あの時、ああすればよかった。あの選択を誤らなければ、もっとよくなっているのに。
本当にバカなことをした、と。
親に対して、ひどいことを言ってしまった。
助けるべき人を助けようとしなかった。
道を一本間違えて一方通行逆走して切符切られた。
などなど。
失敗を悔やむ、ということも含めて、「後悔」って、日常的にありふれてるはずだよね。
はずだよね?
確かに、そういうこと、思わないでもない。というか、思ってしまう気持ちがわからないでもない。
軽いことならすぐに前を向けるけど、中には重いこともあったりする。
あの時、ハンコを押してしまったがために借金地獄に陥ってしまった。
あの時、冷たくしてしまった人が自らの命を絶ってしまった。
あの時、告白にYesと返事をしていれば今頃は幸せな結婚生活を送っていた。などなど。
いや、でもね。
いや、わかるけど。
後悔したって仕方ないじゃん、とか投げやりな返しをしたいんじゃなくて。
「後悔」っておかしいのよ、言葉として。
後悔って、過去にできなかったことを今になってできればよかったのに、ってうじうじすることでしょ?(違ったらごめん)
過去にできなかったことは、言い換えれば、can notだよね。なぜか英語。
ということは、can notがcanだったらよかったのにって、言ってる?
うるせえ、悪いか!
実現不可能なのは百も承知だし、言われなくともわかっとるわい!
ほっといてくれ!傷に塩ぬりぬりせんでくれ!
わかる、そう言いたい気持ちもわかるよ。
でも、言葉としておかしいと言ってる。
後悔って概念は、不思議なもので、
あとちょっとで実現しそうだったものについてのみ回顧されるわけ。
絶対不可能なことは後悔にならない。性質のものらしい。
例えば、あの問題の答えの選択を間違ったから1点差で試験に落ちた、
だったら後悔は成立するんだけど、
70点差で試験に落ちた場合、あの問題とあの問題とあの問題とあの問題とあの問題が解けてれば……ってならない。
でも、can notがcanだったらよかったのにって意味では同じ。
あの時、あと2センチ高く飛べてればボールをキャッチできたのに、
は成立するけど、
あの時、突然背中に翼が生えて、2メートル飛翔できればボールをキャッチできたのに、は成立しない。
でも、can notがcanだったらよかったのにって意味では同じ。
な? 同じなんだよ。
惜しい、あと少しだったのに、と思ってるのは本人だけで、どんなに惜しかろうと、コンマ1ミリの差だろうと、
絶対に絶対に絶対に絶対に、実現不可能な達成だったんだよ、「あの時の自分」には。
だから、俺は後悔しない、ということが言いたいのではなく(まあ後悔しないけど)
「後悔」という言葉、なんかいろいろ不純物が混じってて気持ちわりーな、って言いたい!(どーん)
同じような感じで「責任を取る」ってことも無理なことらしいね。
どうしてかは調べてみよう!