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往来 (なるる/17)

先月末、免許合宿のため徳島県に行った。

高校時代に地方で過ごしていたこともあって、徳島県の景観や雰囲気、方言で話す地元の方や教官に、高校時代の日々を重ねてしまっていた。

僕は、二週間の免許合宿の中で「やっぱり地方が好きだ」そう思った。

「やっぱり地方が好きだ」

「やっぱり」というのはどういうことか。

大学で東京に戻ってきた。東京の便利さや、東京にいることで先進性や可能性を漠然と感じられた。それは、美大という環境の中で友達とデザインや芸術について話していると、自然とそんな気がしてくるのだった。

二週間の免許合宿は、そんな僕に改めて地方の魅力を教えてくれた。

潮の香り。錆びた漁で使う何かの道具。乾いた泥のついたコンバイン。広く映る空。都会のスカイスクレイパーより、魅力的に映る景観だ。

そして、のんびりとした時間。歩いていて、車や人にすれ違うことが多くない。その代わり、風に揺れる木々や雲の動きといった自然の動き、自然の速度が自分に染み込んでくる。忙しく人が行き交う、車が行き交う東京とは違う良さがある。

この景観や速度感は、僕の生き方のテンポと似ているのかもしれない。それに改めて気づいた。

ただ、高校時代は自分から選んで地方に行ったのにも関わらず、ときどき東京に行きたくなっていたりもした。ホームシックというより、それこそ忙しい雰囲気に触れたいというような感じだ。

高校1年生のとき、愛読書の村上春樹さんの「風の歌を聴け」という作品を再読し、その体験を元に読書体験記を書いて、賞を受賞した。

その内容は、「高校入学以前の僕は、人間関係をなだらかなものに捉えていた。それが今は寮生活や地方という環境によって、幾許か起伏のある状態が求められている。」といったようなものだ。

つまり、生活の移り変わりや、それに翻弄される自分の現状(高校時代)が、「風の歌を聴け」の主人公と、どことなく似ている気がする。それを再読する事によって気づいた、という内容である。

その読書体験記には答えはなかった。生活の移り変わりや、それに翻弄される事に対して、自分はどう立居振る舞えば良いのか。そんなことは書いていない。そして、それはもちろん「風の歌を聴け」にも書いていない。

では、今の僕には書けるだろうか。

徳島県で久しぶりに地方へ行って、その魅力を改めて感じた。そしてまた東京へ戻ってきて、生活をしている。地方での生活に憧憬の念は持ちつつも、東京にいることで自分が得るものもある。

きっと、今も書けないと思う。

「理想の生活」というものはある。東京や地方のどちらであっても、自分なりの関わり方で生活できる姿。でも、そのための適切な振る舞いの仕方は、まだ分からない。

だから、書くことができるのは、もしかしたら精一杯生き切ったあとなのかもしれない。

それまでは、とりあえずグルグル回りながら、色んなものを見ようと思う。

例えば、innovationGOとかで。


なるる



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