当たり前を疑うことが、イノベーションの鍵になる(みや/3)
大学のとある講義で、「この絵は何を表しているでしょうか?」と先生に聞かれました。
この絵にはどんなメッセージが込められているのだろう?何を表現したものなのだろう?じっと眺めて考えてみましたが、絵画鑑賞初心者のわたしにはさっぱりわかりませんでした。
先生の解説はこうでした。
「この絵は何も描いていないしイメージなどなにもない。これはただの紙とインク、ただの物質にすぎない。」
そんなのあり!?じゃあこんなん誰でもかけるやん!
恥ずかしながら、これが解説を聞いたわたしの素直な感想でした。
この絵は1948年にジャクソンポロックによって描かれたものです。作品名は「ナンバー1A」。これまでの絵画は、「何らかのイメージを映し出すためのもの」というのが当たり前だったのに対して、画家が「これは、ただの紙とインクであり、意味などない!」と主張したのがこの絵です。
つまり、この絵は、意味のあるなにかが描かれている、何かのイメージが存在するのだという、絵画のこれまでの当たり前への反抗だというのです。
解説を聞いたばかりの時は、わたしでも描けそうだと思ってしまいましたが、よく考えてみるとやっぱりわたしにはこの絵は描けません。
なぜなら、わたしはこの絵に出会うまで「アートとは何らかのイメージを映し出すものである」という当たり前を疑うことができなかったからです。
何かのイメージやものを描いていないものはアートとして認められないの?アートはそんな常識に縛られたものでないといけないの?きっと画家はそんな問いを持ったのだと思います。この作品が評価されたのは、作品の出来栄えがいいということだけではなく、世の中の当たり前を疑い、反抗したということがポイントだったのだと感じました。
そのほかにも、アートのこれまでの当たり前に反抗してきた画家と作品はたくさんあると先生が紹介してくれました。
パブロ・ピカソが描いた「アビニョンの娘たち」では遠近法によってリアルを表現するというこれまでの絵画の当たり前を疑い、様々な視点から見た対象物を1枚の絵に描きました。1つの視点から人間の視覚だけを使って見る世界を描くという当たり前に反抗したのです。
また、ワシリー・カンディンスキーが描いた「コンポジションⅦ」では、絵画では具象物を描くというこれまでの常識を疑い、「音楽」を表現した絵を描きました。目に見えない世界を追求することで、絵画の可能性を広げたのです。
私は、これらすべてがとてもイノベーティブだと感じました。画家たちがこれまでの当たり前を疑ったことで、絵画の、そしてアートの新しい定義が認められ、アートや絵画の表現の可能性が広がってきたからです。
・・・
わたしの日常生活ではどうだろう?少し考えてみました。
例えば、朝起きて顔を洗って化粧をしてバイトに出かけていつものように帰ってくる日常を私は疑ったことがありません。そもそも一つ一つのことを疑っていたら日々の生活を送るのは大変です。
でも、その中の一つでも当たり前を疑ってみたらどうなるでしょうか。
今まで決められたことだからと何も考えずにこなしてきたアルバイトの業務の一つに対して、本当にこのやり方でないといけないのだろうか?もっと他のやり方でお客さんの役に立つことはできないだろうか?そう考えることで、業務が少し効率化したり、お客さんの笑顔が見れたりはしないだろうか。
今までの当たり前を疑い、方法を探って実践してみることで、今までの当たり前は新しい当たり前に変わるかもしれません。小さなことかもしれませんが、私はこれもイノベーションではないかと思うのです。
そしてこういう小さなイノベーションの積み重ねで、世界がもっと良くなっていくのではないかと思うのです。
アートから学んだ、当たり前を疑うこと。私が理想的だと思う「誰もがどこかで出会った好きやワクワクから未来を考えられる社会」の実現に向けて、まずは身の回りの小さな当たり前を疑ってみようと思います。
当たり前を疑う。
それが、イノベーションを起こす鍵になると思うのです。
みや
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