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教室から地域とつながる意味(なるる/20)

19個目のnoteで、innovationGO from Class のファシリテーションをやったことを書いた。

こちらを読んでからの方が楽しめると思うので、読んでいない方はぜひ読んでいただきたい。

今回のは、前回のnoteを踏まえて、題名の通り「教室から地域とつながる意味」について書いていこうと思う。そして、それを語るにはまず、僕自身の経験を話さなければならないと思った。

僕は、高校時代3年間の「しまね留学」(現在の地域みらい留学)をした。中学の授業でも、地方創生や地域活性化に話が及ぶことはあったが、僕は教科書や本で読むだけで知った、地方創生や地域活性化における意見を言いたくなかった。

「実際はどうなっているんだろう」

その思いが出発地点となって、自分が「しまね留学」をするに至った。

3年間の地域での体験の中で、少なくとも僕の伺った地域には「その地域をなんとかしたい人」がいた。その人は、「この地域をきちんと残していきたい」、「この町を誇りに思える町民を増やしたい」といったビジョンを掲げ、六次産業の蕎麦屋さんを経営されていた。

そういった仕事に対して謙虚に「これは仕事じゃない、農家の傍らの暇な時間の遊びだよ」と仰っていた。ちなみに、この「仕事じゃなくて、遊びなんだ」っていうのが、その方の「楽しんでいる感」が伝わる、すごく好きな言葉だった。

ここで僕が重要視したいのは、「時間」そして「日常」だ。

3年間での体験は、1日の授業とは違う理解がある。3年間、主にその人を中心に「地域のために何かをしている人」と話たり、その仕事(遊び)を一緒にやらせてもらったりした。その中で、その方は語らないけど、ジワジワと染むことがあった。

役場の方との関係性。地域のために、やる気のある人と、そうでない人の関係性。反対する人もいる中で、実際に行動していく人のさまざまな表情。

これって、1日じゃ理解できない。その地方に行って、一緒に生活してこそ、やっと理解できることじゃないかと思った。

しかし、地域で何かしていくことへの理解を育んでいく中で、今なら言えることがある。高校生の僕は、地元の視点から地域活性化について考えていたということだ。

これは3年間の僕の生活が、非日常から日常へと変化した結果だと思う。その分、そこで住んでいる人の気持ちに寄り添うことはできるようになった。

僕自身は至って冷静で客観的な視点から考えたいと思っていた。けれど、3年間どっぷりと環境に溺れる中で地元の視点というところから見ていた。これは悪いことではない。むしろ、神奈川の僕が、島根の人の目線で考えられるようになったのは誇らしいことだと思っている。

島根県に染まりすぎてしまい「よそもの」的な視点で島根がみれなくなっていた自分がいた。それを解決してくれるの一つの手段が、今回の教室から地域とつながることもしれない。

教室は地域に入り込まない、外側の視点を養うには適切な場所だと思う。地域というものを捉えるときの、非日常感を維持できる気がするからだ。ここでいう、非日常感というのは「少なくとも自分は、地域・地方に住んでおらず、その地点から地域・地方を見つめている状態」を言いたい。

教室で地域のことを知る。知ったことに対して客観的に「本当にそうなのだろうか」や「どうしてそういうことができるんだろう」というような視点を持つには、この「教室から」ということは良いのかもしれない。

ただ、二つの地域とのつながり方(オンライン、オフライン)を経験した身として、さらに二つの良いところを取れるような方法はないのだろうか、とも考えている。

地域とつながる可能性について、引き続き考えたい。


なるる





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