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息抜きに始めてみる

※2021年1月4日 加筆修正

はじめまして。
おはようございます、こんにちは、こんばんは。

おさまっていた適応障害が悪化したのを機に、2020年9月にWebの業界を離れて世の中的に苦しい状況の中、3ヶ月の転職活動を経て2021年1月からは新天地で働くことに。

ニックネームは一応「てん」って読みでいいと思います、はい。
変換したら出てきたからこれにしてみただけなので。

とりあえず、自己紹介した方がよさそうなので書いてみます。

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天夢の幼少期

一般的なサラリーマンの家に生まれて、3日後に幼なじみ(♂)が誕生。
ちなみに隣のベッドで母親同士も同級生という不思議な関係。

幼稚園は当時お向かいに住んでたもう一人の幼なじみ(♀)と同じじゃなきゃイヤだと駄々をこね、結果的に彼女と同じところに通う。
そこで出会ったクラスメイトは意外と今でも親同士がつながってて、結構付き合いの長さに驚いてる。

この頃から性格が若干ひねくれ始める。
家出を試みたこともあるが、幼稚園児の家出などたかが知れているためすぐに連れ戻された。

幼稚園の年長からピアノを習い始めて、高校受験前の中学2年まで続ける。

天夢の小学生時代

性別関係なく遊んでいた記憶がある。
テレビゲームもしたが、基本的には飽き性でゲームセンスもなく、クリアできず。

また、小学校中学年くらいから色々な習い事を始める。
スイミング、英会話、武道、etc...
ほぼ毎日、放課後は何かしらの習い事が入っていた。

この頃から本を読むのは好きで、当時の校長が「読んだ本の続きを作って持ってきてください」と朝礼かなんかでいってたので子供心に続きを書いてみた。
これが案外楽しくて、自分でもいろいろ書くようになった。
今思えばイタイ子だと思う。

中学は暗黒時代

人間って怖いなと実感したのがこの時期。
以降、いろいろと面倒になってそれなりの人付き合いをするようになる。
一応友達と呼べる部類の人間はいたが、ある時ふと衝動的に全部連絡先を消したから一人も連絡先を知らない。

今更偶然会うことはないが、たとえ会ったとしても連絡先を交換したいとは思わない。
してもすぐに消すか放置。

同時に反抗期を迎え、親曰く「喜怒哀楽の“怒”しかない」というぐらいだったらしい。
しかもこの「喜怒哀楽の“怒”しかない」時期が大学卒業してからも続く。
とんでもなく長い反抗期の始まり。

さらに、この暗黒時代にひねくれ度が増す。
相当、手の焼ける子供であったことは間違いない。

この頃、ELLEGARDENやAvril Lavigneに出会って聴きまくる。

高校で青春を謳歌する

弓道がやりたくて、弓道部のある高校に進学。
しかし、進学した先の弓道部は新設されたばかりで練習場所もろくにないようなところだった。

先輩は少ないし、居心地は最高だった。
人間関係も良好で、その頃の友達は今でも旅行に行ったりするぐらい仲がいい。

何より、環境が整ってなくてもやってやる的な雑草魂の集まりだったのがよかった。
(もちろん、全員がそういうわけではなかった)

結果的に高校最後の大会(インターハイ予選)では、団体戦で3次予選まで残った。
これは快挙だったようで、その後は2つ下の後輩がインターハイ出場したのもあって自分達が卒業して数年後に学校の敷地内に弓道場が作られた。

それなりに充実した高校生活、青春を謳歌した。
ちなみに、高校時代は結構いろいろ聴いた。
ORANGE RANGEとかUVERworldとか、洋楽だとSIMPLE PLANやGREEN DAYを聴いてみたり……
デビューしたてのRihannaも聴いてた。

大学で理不尽と臨機応変を学ぶ

地方の大学に進学して、弓道部に入部。
そこで4年間(実質3年間)、理不尽と臨機応変を学ぶ。

先輩のあたたかくも厳しいご指導を受けるうち、こういうのが社会に出た時の洗礼なのかもしれないと実感。
でも実際に社会に出てみたらもっとすごかったから、あれは序の口だったのだと後々気付くことになる。

そしてアルコールの味を覚えて、週3~5で宅飲みという生活をする。
それはそれで楽しかった思い出である。

当時、深夜アニメを見漁っていたため、アニソンに傾倒するようになる。
声優も覚えるようになっていき、沼にはまる。

社会に放流されるも迷子になる

特にやりたいと思える職も見つけられず、とりあえず卒業して地元に帰った。
今思えばまともに就活しとくべきだった。

その後、知り合いの紹介で寿司屋でバイトしながら就活。
まかないで握りが食べられるのと、たまに美味しい日本酒が飲める職場だったから嫌いではなかった。

それからは接客業⇒営業⇒紙媒体の編集と仕事が変わって、IT業界でライター兼編集という仕事に就く。

紙媒体の編集をしていた頃、取材も経験。
時にはカメラマンのアシスタントをすることもあって、仕事が楽しいと思えた。
この時期にフェスやライブの取材に行ったことで、ライブの楽しさに目覚めてライブ三昧の日々になる。

しかし、同時期に耳の違和感とひどい耳鳴りで検査をしたらメニエールが発覚。
音楽業界のライターを目指したときもあったが、これは無理だと断念。

転職活動中に運良く拾ってもらって、ITの世界に足を踏み入れることに。
これがなかなかヘビーで、精神的なダメージからIT業界1社目は1年もたずに辞めてしまった。
2社目もトップの理不尽な八つ当たりのターゲットになり、適応障害が悪化して退職。
すべてを部下に押し付けてしまったことは後悔している。

どうということはない平凡な生活をしてる人

自分のことを振り返ることはあまりないので、なかなか楽しかったです。
ちなみに書き終わるのに3日かかりました。

ライティングとか早くないんです。
〆は守るけど、筆は遅いタイプというんですかね。

最近は楽しいこと(ライブ・フェス)もなく、仕事で好きなことを書ける機会も少ないので、ここでは好きなことと楽しいこととと、たまに毒を吐くつもりです。

あっという間に過ぎる毎日の中で楽しかったこと・好きなことを、少しでも文字にしていけたらと思います。

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