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ギブをするなら本気で気遣う必要がある

 猫山課長さんのこの記事を読んで、”正しいギブというのは、吐くほど難しい”という部分で、大変共感しつつ、自分の苦い経験談を思い出しました。自分の記憶に留めておくためにも、その経験談を書きます。

適当なギブは必ず伝わってしまう

 お笑い芸人をやっている大学時代の後輩がいます。大学で所属していたゆるーい運動系のサークルで知り合いました。後輩と言っても年齢は同じなので、私の方は友人だと思っているのですが。。
 大学時代からお笑い芸人を目指していて、大学卒業から10年以上経った今も芸人を続けおり、少しずつ名も売れ始めています。
 私はお笑いが好きですし、10年以上も経てば周りの大多数の人は芸人の道を諦めているであろうなか、まだ彼が続けていること、そしてなんとか自分の売れる道筋を少しずつ見つけているところをリスペクトします。
 そんな尊敬の気持ちとお笑いが好きなこともあり、東京でのライブは複数回見に行きました。そして、SNSにアップしていく写真を撮りたいとのことだったので、協力を申し出ました。話をしたいのはこのエピソードです。
 計3回程度は写真撮影したと思います。もちろん、報酬等はなしです。彼が少しでも名が売れるために役立つなら協力したいという気持ちはありました。一方で、邪まな考えでは、彼が本当に誰もが知る大物芸人になったときに感謝してもらいたい、おこぼれにあずかりたいという気持ちも正直ありました。でも、結局、私によるこの写真撮影活動は3回程度で終わってしまいました。なぜか?次回の撮影の話になった際、こんなことを言われてしまったからです。 

〇〇さん(私の名前)は本気で写真撮ってくれていないですよね?もし適当な気持ちならば撮ってもらわなくて良いです

 正確な言葉は覚えていないですが、こんなことを言われました。かなりショックな言葉でした。ショックと同時に、言われた瞬間はムカつく気持ちが湧いたのも事実です。こっちは無償で協力しているのになんでそんなこと言われないといけないんだという気持ちですね。なので、それを言われたときは、なんか色々と言い訳をしたと思います。
 でも、図星でした。私も最初の1回目は本気で撮影していたと思います。けど、2回目/3回目と回数を重ねるにつれて、撮影は適当になっていました。早く終わらせて飯でも行きたいなという気持ちがありました。
 問題はなぜそんな気持ちになってしまったかというとこですね。頑張ったところで見返りがないから?良い写真を撮ったところでどうせバズることなんてないだろうと思っていたから?協力したいという気持ちよりも自分の将来の利益が行動の源泉だったから?
 全部かもしれないです。でも、本気じゃなかったのは紛れもない事実です。そして、それは相手にも伝わっていた。自分の利己的動機が全面に出てしまったのでしょう。彼は本気で活動しているにも関わらず。。結果的にそれ以降も付き合いは少し疎遠になってしまいました。

なんじの隣人を愛せ

 人を助けることは想像以上に難しい。それを理解したうえで、それでも”助けたい””良い人間関係を構築したい”と想い、実行することを決めたならば、本気でやりましょう。本気とは、本当に気遣うことです。以下、スーパーエンジニアへの道という本の引用です。   

 もし読者が人に直接に、または援助する環境を作り出すことによって動機どうけを与えようと望むならば、まず読者が彼らについて気遣っている、ということを彼らに納得させる必要がある。そしてそうするためのただ一つの確実な方法は、本当に気遣うことである。人々が気遣いに関してあざむかれることは、ずっとそれが続くということはありえない。
 それが、黄金律の第二の形が「なんじの隣人を愛せ」といい、「なんじの隣人を愛している振りをせよ。」といってはいない理由である

スーパーエンジニアへの道  - 技術リーダシップの人間学 G.Mワインバーグ著 共立出版 p. 140

 私は、助けるフリをしていただけで、利己的な動機が見え見えだったのでしょう。別に写真のクオリティとか技術について指摘された訳ではありません。でも、本気でやっていなかったからクオリティにも現れていたのでしょう。別に写真のプロでなくても、本気でやっていれば、どういう写真がうけそうかを考え、どういう角度で撮るべきか、何を映して何を移さないか等々を色々考えて撮影して良い写真は取れていたと思います。
 ギブは、能力とかスキルよりも本気度が最重要だと思います。じゃあどういう状況でどうやって助けるべきなのでしょうか?また同じ本の引用です。

 隣人に助力を申し出るのは、同じ状況のもとで自分が助けてもらいたいと思う場合に限定し、そして自分がこう助けてもらいたいと思うようなやりかたで助力せよ

スーパーエンジニアへの道  - 技術リーダシップの人間学 G.Mワインバーグ著 共立出版 p. 139

相手の状況を理解する

 一人の人間が本気で人を助けられる範囲なんてたかが知れています。自分が能力的に助けられるか?自分も同じ状況を経験しているか?相手の状況を理解しているか?どう助けてもらったら嬉しいかわかるか?を真剣に考える必要があります。
 この記事を書いていて思ったのは、自分が本気で助けたいと思う相手がお客さんかどうか?というのは一つの仕事選びの基準になるのではないでしょうか。そういう仕事についている人間は強いですし、天職として成功する気がします。
 そうでなくても、どんな仕事も結局、誰かを助けるためにしていると思うのですよね。相手が何を助けてもらいたいかの状況を理解しようともせず、ただ自分たちがやりたいことやできることをしていないですか?という点は注意したいです。難しいことですが、その視点が抜けると中々生活も仕事もうまくいかないと思うこの頃です。
 偉そうなことを書きましたが、自分自身にも言い聞かせています。このnoteを誰を対象にしたいのか?をよく考える必要があります。

 エピソードからなんだかまとまりのない話になってしまいましたが、とりあえず今日はエピソードを記事にしたかったので、ここまでです。。

 
 
 


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