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終わるものに本気になる意味はあるのかな

今、何かに本気で打ち込んでいるとして、それがもし100%確実に終わるものだとするならば、続ける意味はあるのかな?そんなことをふと思った。

過去を振り返ると「終わったこと」ってたくさんあるよね。仕事や恋愛、ノリで始めたなにか、人によっては結婚とかもそうかな。

仕事もお勤めだとわからないけど、フリーランスや経営側だと出会いと別れのオンパレードだったりする。何年もかわらずビジネスパートナーでいるって、レア中のレアで、関わる距離によっては本来長続きするかもしれない関係が、意外とあっさり終わったりもする。

これは、恋愛の世界でもかなり似ているかもね。強烈に惹かれ合って愛し合うと、その瞬間、他には何もいらないと思う。ぶっちゃけおれ、結構こういうタイプだったけど、そうすると、他の大切にすべき何かが失われたりして、人生全体はうまくいかなくなるみたいな、そんなことを経験してきた気がする。

おわって少し経って気づくのは、「あぁ、おれ本当に好きだったんだなー」とか、「もっとうまくやれたかもなー」とか、そうしたいわゆる〝後悔〟だったりするんだけど、「もうこういうのはやめよー」「二度としないぞー」と思いながらも、また同じことを繰り返してしまうみたいな。おれが学習能力のないバカなのか、ただの女好きなのか、それともこの世界には、そうした魅力的な女性が多すぎるのか、以前飲んでるときに真剣に仲間と話したことがあったけど、結論、「どっちもだな」で話は落ち着いた。(こんな馬鹿なことを真剣に語りあえる仲間は宝物笑)


Only has meaning

終わるとわかっているとして、それを続けることに意味はあるのか?おれは意味しかないなと思う。自分自身だけはよくわかっている、本気だったその時の気持ち、これが永遠に続きますようにって願った日々、熱心に打ち込んだ時間、愛し合った日々etc... いろんなものにウソはなく、結果的に終わってしまい、後悔だけが残った出来事も、ふりかえるととてつもないチカラを自分に与えてくれた。

素直な気持ちでやったすべてには無駄なことは何一つなく、すべてに意味があった。これからもまたそうなんだと思う。

これからもずっと、かわらずに、いつも今この瞬間を本気で生きていくんだろう。終わるかもしれない、でもずっと続いてほしい。そんな期待と不安を抱えながら、一生懸命今を大切していくことで、いずれそうした気持ちが薄らいで、意識しあわなくなったとき、人間関係はもうワンステージ上がるのだと思う。

迷ったときは話し合えばいいと思う。自分でバリアをつくってるなら、内側から壊せばいい。壊せないなら壊してくれ(助けてほしい)って言えばいい。

〝言うは易く行うは難し〟をそれでも突破していきたいね。仕事でも恋愛でも。

毎日誰かを助け、それ以上に助けられ、感謝をしながら今を生きる。人間社会という壮大なドラマを生きる中で、ふと忘れてしまいそうになるけれど、それを望み、創造したのは、まぎれもなく、自分自身だ。

手をつなぎ合って、幸せを感じあう。外側の世界で本当は一番シンプルで簡単なはずのことが、今もっとも難しくなっている今の時代。

今できることは、今やれることを全力でやることだと思う。そして、それをやればより大きな反応が得られること、でもそれが誰かを傷つけ、自分の純粋性を失わせ、外側の結果だけしか手に入らないものならば、覚悟をもって避けることだと思う。


「どっちにも振り切れるのに、悪に染まらず、本当によくそこまでがんばってきたね。」10年くらい前に、ある〝視える人〟に言われたことを思い出す。悪に染まってなかったかどうかはわからないけど、自分の中で一番大切にしたい〝純粋性〟〝イノセントな自分〟はこれからもずっとぼくの一部。

愛をもう一度 取り戻そう Heart of Gold
素直な気持ち 愛を告げる Heart of Gold
~EXILE~


おしまい。

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