すごい人よりすごい人。
朝ランが終わり放心状態。
5km走った。心拍数は170くらい。暑すぎる、7月予定外のことが起きすぎてうまくトレーニングできなかったから今月は筋肉落ちるの覚悟して有酸素に振り切る。目標は831当日まで毎日走って10km休まずに走れること。
8/2は友人の会社の150周年パーティに呼んでもらった。彼はお布団の生産、販売をする会社の5代目社長。民事再生を乗り越え、楽天で総合1位に。
彼はスピーチの中で一番響いたのが、先代の方々のお墓参りに行くと言っていたことだ。創業から今生きているのは彼と先代(父)のみ。創業から3代目、そして自身の母親のお墓参りに行くと言った彼の目は透き通っていた。
彼は天国と地獄を経験してきた人の目をしてる。まだ出会って1年も経ってないけど、おれは彼が好きだ。なぜかというと、彼は俺が好きな人たちと同じ目をしているから。
元々の氣質なのか、おれはいわゆるすごい人になんにも感じないまま大人になった。逆に「おれはすごいぞドヤ?」ってやつに会うとそいつがどれだけすごくないかを直接言ってやったり、それでもわかんないならそのまま距離を置いたり、そんなことをしてた。
以前いた業界にはこういうのが結構いた。このスタンスで生きてきたので氣づいたらマーケターの友だちがいなくなり、インフルエンサーと呼ばれる人たちの知り合いもびっくりするくらい少なくなっていった。
魂を売ると逆に売れるみたいな現実がそこにあった。でもそれはやらなかった。正確に言うと、311の震災後から全部やめた。そうするとやっぱり稼ぐことが大変になった。でもそれでいいと思った。この生き方をして食いっぱぐれるなら、神さまセンスねーなと思うことにした。死んだ後説教してやろうと思ってた。
書きながらおもった。おれはすごい人じゃなくかっこいい人が好きだ。
今いる世界には、
・創業した会社を手放して人助け、会社助けばかりしてる人
・年商80億の会社を手放してみんなが集まるBARを経営する人
・イケイケの自分を手放しみんなが働きやすい会社組織を実践する人
・会社を引き継ぎ、5代目として業界に革命を起こしつづけている人
こういう人ばかりがいる。
すごいと言えばすごいとおもう。でも一般的に多くの人がすごいと認識しているすごさじゃない。すごいよりもかっこいいがしっくりくる。なんでかっこいいかと言うと、彼らのやりたいことには自分以外の誰かや世界がセット
であるから。
新しい世界へ足を踏み入れた人には等しく訪れる洗礼みたいなものがこれだ。おれももれなく経験したし今も続いてるものもある。
でも、辛いと言われたら辛くない。てか慣れた笑。むしろその先に何が待ってるかなんとなくわかってるから、必要なことだと思って進むことができる。
それに、おれには仲間がいるから大丈夫だって思ってる。俺一人でやってるわけじゃないから。会社には一生をともにすると決めた役員がいるし、コミュニティIWCには何があってもなくてもつながってる仲間たちがいる。これは俺にとって本当に心強い存在なんだ。
IWCで「一人になるなよ」ってずっと言ってきた。それは俺がすぐ一人になるからだ(ブーメラン笑)。周りが大変な時はすぐに仕事を巻き取りにいく。すべての責任を自分ひとりで取ろうとする。そして限界が来るとバーンアウトして周りから離れる。こういうのをやめたいと思って、全部手放して新しい世界でコミュニティつくって今がある。
孤独って、物理的に一人になることだけじゃない。仲間がいても愛してくれる人がいてもその想いを受け取らない、心を閉ざすも孤独だ。
もうやめようぜ、人類レベルで。
分断させられるような現実があるなら、一体感を感じる場所に引っ越せばいい。自分ひとりでできないなら俺や仲間が無理やりにでも手を引っ張ってやるから来いよ。
今いる周りの人たちとははるか前(それこそレムリアとかそういうレベル)にやろうとしてできなかったことをやってるんだろうなって感覚だ。
ようは、悲願。だからもうこのレベルになると誰が上とか下とか、儲かるとか儲からないとかそんな次元じゃないんだよな。
でも使命感にあふれて頑張るのもなんか違うし、できるならめちゃくちゃ笑いながらそれをやっていきたいよね。みんな自身、そしてみんなが大切にしたい人がちゃんと豊かに暮らしながら。
831講演会をなんでやろうと思ったか。これは2つの理由があるけど、今まで語らなかったことをこっちに書きました。
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