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時が満ちたらまた、会おう
自分から敵を作ろうと思っていたわけではないけど、20代、30代前半の頃は勢い任せのところも多々あったので、ビジネスパートナーにおいては結果的に揉めて関係性が悪くなったこともある。ケンカの仕方にもよるけど、基本的に以前のような関係性に戻るのは極めて困難なイメージがある。
これって何かに似てるなと思ったら恋愛だった。一度別れた相手とよりを戻すことは、ぼくの場合は記憶にないなと思った。別れ方に問題があったんだろうな間違いなく。それしか理由が見当たらない。
でも、それはそれで良かったんだと思う。男のほうが女々しいのはわかってるし、そんな情けない部分を露呈せずに済んだわけだから、ある意味では正解でいいと思う。
ぼくには女友だちも多いけど、10年以上となるとあまりいない気がする。女性は女性で結婚すると生活スタイルは変わるし、会える時間帯、タイミングも変わる。何かあったわけではないけど、自然に連絡を取り合わなくなる人は多い。もちろん女性に限ったわけではないけれど。
でも、なんていうか、運命なのかはわからないけど切れたようでも切れない、見えない縁がつなぎとめて、然るべきタイミングでまた引き合わされる、そんな相手もいる。今日はそんなある女性の紹介で、新しい出会いがあった。
12年位、「女性の時代だ!」といって、実際はほとんど何もできていなかった。個人では動いていたけれど個人の限界を感じながら歯がゆい思いをし続けてきた。一周まわって、また女性が輝くためにがんばる時期が来た。
今日の出会い、打合わせはワクワクを越えて全身がビリビリしびれまくった。同時に大切なのは、やっぱり自ら縁を切らずに「可能性を残しておくこと」だと思った。もう一つ関わることになるNPO事業との親和性がよすぎて楽しみで仕方がない。
今年は人間関係を色々整理することになる。これまでは自然淘汰だったけど、意図して別れる、そういうこともやっていく。次のステージに進むためそれはもう覚悟した。でも切るのではなく、可能性は残したままに。
相手からケンカを売られているようなメッセージがLINEから飛んできても、Facebookのコメント欄に、マウンティング的な上から目線でメッセージを書かれてもスルーしたりすっと非表示にしたりすることにした(どの面下げてもの言ってんだ?とは思うけど)。「やったらやりかえす」は令和はいらない。女性が輝く世界にはいらない。未来の子どもたちにはなんの価値にもならない。そういう世界を自分の半径1Mからはデリートしていく。
ステージがかわることは偉くなることでも、今までの人との別れを意味することでもない。実績・肩書では人を判断しないからこそ、どうなっても付き合える仲間が近くに数名いれば、幸せだと心から思える。だからこそ、うまくいった時だけ付き合う、落ちたときは態度をコロっと変える人はごめんなさい、さようなら、また互いの時が満ちた時に会おうね。
ジャッジをなるべくしないように、静かに、違和感と別れを告げる。自分が信じた世界を広げるために、永遠ではなく、一時的に。