他者の必要性。
自分がまず充ちると言う事が大切だと別の記事に書きました。
自分が十分に受け取り充ちている物や知恵や事は他者に差し出すことができます。無償で。見返りは求めません。求める必要がないからです。
何かを差し出すと、「返礼」や「見返り」を求めてくるんじゃないかと警戒する人は多いです。それはその人がまだ自分が何かを他者に差し出した時に見返りを求める概念を持っているからですね。だから何の見返りもなく自分に必要な物や知恵や事をくれる人のことを信じられない。
誰かに何かをしてやる、恩を着せる、何がしかの見返りを求めるのは、やはりまだ自分が充ちていないのだと思うのです。
他者に何かを無償で差し出す時に私が選んでいることは、己にある寛容さや親切心や自分の豊かさの体験・経験です。
他者の必要性に手放しで自らが持ってるものを差出せるとき、そこには何の取引もなく、あるのは愛に変換されたエネルギーの循環でしかありません。差し出し、それが受け取られ、また充ちて差し出されると言う豊かな循環が生まれてゆきます。