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生きていくことの対価。
Growing pain(グロウイング・ペイン)=成長の痛み。人が成長していく際に通過儀礼として通って行く精神的成長に伴う痛みとされています。そう、人は子供時代から、思春期をへて、大人になって行くと、大雑把に言うと皆そうなります。みんな、それぞれの経験や体験を通じで、他者を、自分を知って行くわけです。この世界の成り立ちとか。
二十歳になる時、ハワイで暮らしていましたが、私は「1秒たりとも過去に戻りたくない。だってやっとの思いでここまでやってきたんだもん」と至極明確に思いました。笑。繰り返したくないと心の底から思ったわけです。そして人は成長の痛みを回避していくことは所詮出来ないだろうとうっすら達観していました。遅かれ早かれ、人生はそのツケを必ず回収して行くだろうと言うことを。
若くして苦労や辛い思いを通じて、人の痛みというもの、生きることが求めてくるエネルギーの破壊的な大きさ、すべてを搾り取られるような理不尽な経験をしないと、長じてその対価を支払うはめになると言うことです。なんでそんなこと言えるの?と思われるかもしれませんが、自分の経験と周りの他者を観察してきて、はっきりと断言します。人生はプラマイゼロとはよく言ったもので、良いとこどりだけは出来ないようになっています。あ、苦労がデフォと言うことではないんですよ。
そもそも内蔵しているエネルギーの大きさに見合った経験を必ずするようになっているのだと言うことと、Life takes its toll (ライフ・テイクス・イッツ・トール)=人生はその対価を回収する、ことは動かない法則だろうなと実感を持っています。