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孤独はデフォ。
独生、独死、独去、独来。
仏教の教えです。人は一人で生まれ、一人で死んでゆく。個であることはもはや宿命なのですね、人間全員。致死率100%です。一匹狼が良いとか悪いとか、協調性がどうとかこうとか言う話ではなくて、そもそもデフォルトで個、孤独であるということをわかることが意味があることだなと感じています。
他者のことは、絶対にわかると言うことはないでしょう。だから分かりたいと切望するんですね。翻ると、他者が私をわかることも無いんです。寂しいと思う所以です。それがどうしても自分以外にはなれない自分の切ない在りようだとして、なお寄り添い分かり合おうとして生きるから、美しいとも哀しいとも言えます。
外に映し出される世界は全て自分の投影とはよく聞きますが、エコーだとしたらイメージしやすいでしょうか。こだまのように響いて跳ね返ってくるものは元は私が放ったもの。だとしたら、言葉にするとリアリティを失い陳腐にも聞こえがちですが、愛を放つ、これが多分大正解の大当たり。前の記事にも書きましたが、この放つ大きさが拡大したならば、巡りもどるものも等しく大きくなるのでは・・・と言う仮説の下、自分で実験してみます。