人間は楽しみを得るためには苦しまなくてはいけない。苦と幸せは比例している。ありのままに見る。幸せである人間を。それを変えてやろうとする行為は『狂い』を生じさせる。神さえもその自然法則は決して変えることはできない。一度、生まれたエネルギーは『死』によって消えることはない。別の物に変換するだけだ。故に輪廻転生はあると言える。
素晴らしい動画を発見しました。
たよろよろ図書館DATABASEさんの動画です。
是非、見ていない人は見て欲しい。
スマナサーラ長老の動画を紹介しています。
賞味、10分程なので必見です。素晴らしい動画です。
是非、見て欲しい。
人間が生きるために大事な事がギュッと凝縮されています。
私もコメント欄でコメントしています。
①幸せと苦しみはお互いに比例しているということですね。
これはスッと入ってきました。
確かに人間、苦しんでいる時ほど、楽しい時間も多いです。
私は実は昔、自衛隊員だったのですが、訓練は厳しく大変でしたが、その時の事は克明に記憶していて今も忘れることのできない精神的財産です。
一秒一秒を一生懸命に生きたというか、生きているという実感が凄くありました。
これと似たような感覚は極真空手をやっている時もありました。直接打撃制だから組手やスパーリングはとても苦しいんですね。
でも楽しかったと今思い出すのはこういう時の事ですね。
貴乃花親方も同じ様な事を言っていましたね。
『たとえば岐路に立たされて、どちらの道かって迷ったときには、行きたくないほうの道を選べ、ということは徹底して言ってます。』
人間、苦しみを味わったほうが幸せになれるということなんだと思いました。
②期待や希望を持つことは『狂い』であって、自然法則に反している。ありのままに物事を見るべき。
それに対して、私はこんな『苦しみ』を望んでいない。現実を変えたいという期待や希望を持つ事はその人が自ら望んでいながら、その流れを止めたい、変えたいという事でこれは『狂い』であり、『神』にもそれはできない。
この狂いについてはたよろよろ図書館DATABASEさんは説明されています。
ならば、人間はその人に起きている事象をありのままに見て、流れに逆らわずに、そのまま流れ進んで行けば良いと思いました。
苦しみも悲しみも必要以上に嘆く必要はなく、全ては神や仏に全託し、その道を突き進んで行けば良いとは思いましたね。
歌手の長渕剛さんも『Captain of the Ship』でこう歌っています。
③一度生まれたエネルギーは『死』によって消えることはない。別の物に変換するだけだ。故に輪廻転生はあると言える。
ヤフー知恵袋でこんな質問がありました。
>ふと思ったのですが、質量保存の法則が正しければ私たち人間は死後もなんらかの形で地球(あるいは宇宙のどこか)に存在し続けるということですか?
何があってもこの世界からは逃れられないということでしょうか。
この先どんな物質や生物になるかもわからないし、まわりまわってまた人間になるかもしれない。
なんだか怖くなってきました・・・。
変な質問ですみません。
☝この直感は鋭い。しかし、唯物論者、科学者達は科学を信じている癖に、人間は死んだら終わりと納得している。
唯物論者、科学者も質量保存の法則は知っているだろうに…
そして、唯物論者達の浅はかな知識では世の中には説明できないことも多々あるのだ。ダークマター然り。
シェークスピアも言った『ホレイショー、この天地のあいだには、人間の学問などの夢にも思いおよばぬことが、いくらでもあるのだ。』
まとめです。
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