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C-3PO -オレの香港3世代ポップミュージックグループ史-
日本から南西へおよそ2800キロ、飛行機に乗れば4~5時間ほどで到着する、中国の南部にある広さが東京23区ふたつ分ほどの地域、香港。日本政府によると、香港は中国の一部で”国”ではないそうです。だから正式名称は、中華人民共和国香港特別行政区ですって。香港は、中国本土から続く北側の九龍半島とビクトリアハーバー(ビクトリア湾)を挟んだ南側の香港島、その他およそ235の島々で構成されているそうですよ。
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人口は現在、およそ750万人。香港は、日本が太平洋戦争によって占領した1940年代の一時期を除いて、1841年から1997年までイギリスの統治下にあったため、中国とイギリスの文化が融合した都市らしいっす。香港旅行ガイド『香港ナビ』の情報を、舐達麻がしていた金庫ドロボウみたいにパクりますと・・・、公用語は中国語と英語で、普段話されている言葉は中国語の方言である広東語ですって。また”国民の行事”として、イギリス統治時代の名残でクリスマスを祝う習慣と中国の一部として旧正月を祝う習慣があるなど、1つの街で東洋と西洋の異なる文化を体験できるのも香港ならではの魅力らしいです。あと、香港の絶景スポットであるビクトリアピークから見渡す100万ドルの夜景や、エッグタルトや牛肉麺とかに加えて海外から渡ってきたグルメを香港風に手を加えた『焗豬扒飯(ゴッツィーパーファン)』などの”香港式”料理なども人気みたいですよ。一方で2020年6月に施行された『香港国家安全維持法』、2024年3月に施行された『国家安全条例』とか中国の影響などにより、いちご新聞やリンゴ日報とか新聞によると香港をとりまく人権や政治、社会状況は厳しくなっているみたいです。でもでもでもでも(←小島よしおさん)・・・、『関西国際空港』の記事などによりますと、エンターテインメントなどはコロナ禍を過ぎてコレまでと変わらないっぽいですよ。
そんな香港のポップミュージックについて、朝日新聞の元記者である篠崎弘(しのざき ひろし)さんはこのように記録しています。
1960年代の終わりまで、香港の大衆歌謡には英語の歌と台湾経由の北京語の歌しかなかった。(中略)
(香港で一般的に話されている)広東語による大衆向けの歌ができたのは、1971年に放送されて人気を呼んだテレビドラマのテーマソングが最初だった。
からのー(©アンタッチャブル・山﨑弘也さん)、その後の香港ポップミュージックについて篠崎弘さんは日本の影響を指摘します。
広東語によるポップスの誕生と並び、(中略)、新しい音楽のアイデアを求める動きに対応するように、日本の歌が流行りはじめた。
80年代になると、(中略)、音楽雑誌が発言力を増し、ビジュアルな観点から日本のアイドル歌手たちを取り上げ始める。そして1984年2月に、ついにアイドル歌手としては初めて、近藤真彦がコンサートを開く。
篠崎弘さんはさらに雑誌『WAVE』の中で、香港などの地域や国における当時の日本の影響を、こう暴露系ユーチューバー並にぶっちゃけています。
韓国、台湾、香港は日本の芸能界をお手本にしている部分がある。アイドル歌手が成立しているのも大体その3つの国ですよね。シンガーソングライターやロックバンドのブームもあるし、歌謡番組が日本のベストテン番組とよく似ているという共通点もある。そもそもテレビ番組のプロデューサーがしょっちゅう日本に来て勉強とか調べるというよりも、手法をマネしようとして見てる。そういう意味で、日本の動きがほぼリアルタイムで向こうに伝わっている。
では、1971年に爆誕した香港のポップス(=大衆向けの歌)で、日本をお手本にした香港で最初のポップミュージックのアイドルグループは、Awichさんの曲「WHORU」並に”マジで誰”?”見た目は大人、頭脳は子ども”のアタシが、”眠りの小五郎”みたいに他人の情報を口パクでしゃべって疑問や難題を解決する前に・・・、古本屋の100円コーナーで見つけたTOKYO FMが出している書籍『アジアンポップス事典』の情報を、借りパクします!
アジアが誇る本格派アイドル・ポップ・グループ。グラスホッパーは、アイドルであることに徹底しながら、逆に香港のポップ・シーンのおもしろさをアピールしているグループだ。(中略)
結成されたのは1985年のこと。(中略)
1988年2月、彼らはファースト・アルバム『Grasshopper』をリリース。このアルバムはプラチナレコードに輝き、グラスホッパーはたちまち人気アイドルとなっていった。とくに、それまで香港にはなかった、歌って踊れる彼らのキャラクターは強烈にアピールし、次々とヒット曲を送りだしていった。そして、1年後の1989年1月にはすべての新人賞を総ナメしてしまうなど、グラスホッパー人気は本格的なものになっていた。
グラスホッパーは、日本のウィキペディアを参考にしますと中国語で”草蜢”と書く、音楽カテゴリーが”C-Pop”のユニット。C-Popの”C”は、香港で使われている言語”広東語(Cantonese)”のことらしいですよ。そしてウィキペディアの概要欄には、こう書かれてます!
「香港の少年隊」や「香港の小虎隊」と呼ばれたことがある。
中国のメディア『捜狐』も、『(香港の)ボーイズグループといえば、BEYOND、达明一派(タッミンペア)、温拿乐队(ウィナーズ)、太极乐队(タイチー)、草蜢(グラスホッパー)などを思い浮かべるでしょう。彼らは”香港第一男団(※ChatGPT訳で、香港で最初もしくはNo.1のボーイズグループ)”と自分たちを紹介していましたが、その主張に反論の余地はありません』って書いています。
香港で、アイドル歌手として初めて、1979年にデビューし当時ジャニーズ事務所に所属していた近藤真彦さんがコンサートを開催した1984年・・・。その翌年の1985年に結成し”香港の少年隊”とか呼ばれていた、香港で最初に登場した”C-Pop”ボーイズグループだと思われる3人組、草蜢(グラスホッパー)のVideoがYouTubeにありました。
草蜢 「失戀」 MV
ウィキペディアに”香港の少年隊“と並んで”香港の小虎隊”とある、”小虎隊(シャオフードゥイ:The Little Tigers)”は、日本の1981年にデビューしたジャニーズ事務所に所属していた男性アイドルグループ・少年隊に影響を受けて、1989年にデビューした台湾でたぶん最初の男性アイドルグループ。1989年にリリースしたデビュー曲「青蘋果樂園」は、少年隊が1988年にリリースした11thシングル曲「What's your name?」のカバーです。
そして”香港の小虎隊”こと、草蜢(グラスホッパー)も、少年隊が1987年にリリースした7thシングル曲「ABC」を1988年にカバーしています。中国のメディア『放言Fount Media』は、『台湾と香港のアイドルグループはどちらも日本にそのルーツを持っていたのです。(台港兩地的偶像男團原來都可以溯源自日本)』って記事にしています。
草蜢 「ABC」 完整版MV
しかーし、香港の英字新聞『South China Morning Post』が2021年8月に、このような記事を発表しているのを、『SLAM DUNK』のメガネくんみたいなフレームの老眼鏡をかけて発見してしまいました。『SLAM DUNK』だけに”テンサイ”します!(←ねづっちです。浅草漫才協会の)
1973年にデビューしたThe Wynnersは、香港で最も古いボーイバンドの1つです。グループは譚詠麟、鍾鎮濤、彭健新、葉智強、陳友で構成されています。当初、英語のポップバンドとしてスタートし、70年代には香港で最も人気のあるティーングループの一つでした。(Debuting in 1973, The Wynners is one of Hong Kong’s oldest boy bands. The group consists of Alan Tam, Kenny Bee, Bennett Pang, Danny Yip and Anthony Chan. The group initially started out as an English pop band and was one of Hong Kong’s most popular teen groups in the 70s.)
1973年にデビューしたThe Wynners(温拿:ウィナーズ)が、”香港で最も古いボーイバンド”説が浮上です!草蜢(グラスホッパー)の時に無断転載した中国のメディア『捜狐』の記事でも、”香港第一男団(香港で最初もしくはNo.1のボーイズグループ)”の中に草蜢(グラスホッパー)と並んで温拿(ウィナーズ)の名前が明記されています。ではー・・・、説を『水曜日のダウンタウン』並に検証です。最近アタシ的ブームの、ナイツのヤホーか韓国・BADVILLAINのYah-hoで検索しますと、温拿(ウィナーズ)の情報が引っかかったのは、音楽ストリーミングサービスのApple Music。『溫拿樂隊 (The Wynners)』の説明欄には、このように書かれています。
1973年結成の香港のポップバンド。The Walkersの”Sha-La-La-La-La”など、当時のトレンドだった欧米ポップのカバーも多く、そのおしゃれな存在感で若者に人気のトップアイドルグループとなった
また中国語版のウィキペディア『維基百科』の”男子音乐组合(ボーイバンド)”で、香港で最初のボーイバンドとして”温拿(ウィナーズ 1973年)”が書かれています。
その溫拿(ウィナーズ)がデビューした1973年の翌年、1974年にリリースした1stアルバム『Listen to the Wynners』の収録曲で、”当時のトレンドだった欧米ポップのカバー”曲のVideoが、YouTubeにありました。たぶん違法アップロードでね!犯罪に加担して、アタシも無断転載という悪事に手を染めますわよ。
溫拿 (The Wynners) 「Sha La La La La」 Music Video
溫拿(ウィナーズ)について検証をしていますと、中国語版のウィキペディアに老眼のアタシでも見逃せない一文がありました。Ctrl + Cして貼り付けます。
The Wynnersの原型は1960年代後半に誕生し、その後1970年代に活躍し始めました。彼らは中国、台湾、香港、そして世界各地で活動し、これらの地域の華人社会で早期に発展したロックバンドの1つです。メンバーには、陳百祥(リードボーカル)、彭健新(エレキギター)、葉智強(ベースギター)、陳友(ドラム)、および陳百燊(キーボード)が含まれ、その後譚詠麟が加わりました。彼らは当時大人気だったバンド、ビートルズやローリング・ストーンズに精通しており、多くのバーで欧米のスーパースターのヒット曲を歌っていました。
そういえばですよ、”The Wynnersは香港で最も古いボーイバンド”と書いた新聞『South China Morning Post』の記事『MirrorやErrorの以前、香港の広東ポップのボーイバンド(ボーイズグループ)は、90年代のBeyondから70年代のThe Wynnersまで絶大な人気を誇っていました。(Before Mirror and Error, 7 Hong Kong Canto-pop boy bands reigned supreme – from Beyond in the 90s to The Wynners in the 70s)』に、The Wynners(温拿:ウィナーズ)と並んで名前が挙げられているボーイバンドのBeyond(ビヨンド)について、アタシが古本屋の100円コーナーでゲトった本『アジアンポップス事典』は、”ロックバンド”とカテゴリー分けをしています。影響元も、ブリティッシュロックと書いていて、The Wynners(温拿:ウィナーズ)と近い感じがしています。あと、お金を支払っていないので、水道に続いて電気も停められそうな感じが最近してます。ヤバみ!(©ヤバイTシャツ屋さん)
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ではボーイズに続いて、香港で最初のアイドル的なガールズグループは、『Who is Princess?』的に誰?香港で調査をする時間はあるのですがお金&人脈がないので、自宅(事故物件)で調査(ネット検索するだけ)です。すると、中国の週刊誌『南都周刊』の2022年1月の記事がヒットしました。記事はこのような内容です・・・。
「香港では女子グループに未来はない」と言われています。(中略)
”ガールズグループ”という名称は90年代に始まった”韓流”の影響で広く認識されるようになりましたが、それ以前には”ガールズグループ”という言葉は見られませんでした。しかし、香港の音楽界で女子グループは珍しくありませんでした。(中略)
1967年に設立されたTVB(香港のテレビ局)は、香港の現代エンタメ文化産業が黄金時代に突入する重要な時期にあって、女子グループは最初にTVBの番組に登場したアイドルの形態の1つでした。その代表例が、60年代に大人気だった「筷子姐妹花」で、仙杜拉と阿美娜で構成されていました。(中略)
同時期にさらに観客に知られていた女子グループは、TVBの人気バラエティ番組『欢乐今宵』に出演していた「四朵金花」で、メンバーには汪明荃、沈殿霞、王爱明、張德蘭がいました。
香港に”女团(ガールズグループ)”という言葉が生まれる以前・・・、”女子组(女の子グループ)”として、”ボーイバンド”の溫拿(ウィナーズ)よりも、また1971年にできた香港のポップスよりも早くバブーと誕生していたらしい「筷子姐妹花」。筷子姊妹花は、中国語版のウィキペディアによると英語名がThe Chopsticksで、1960年代後半から活動をスタート。英語版のウィキペディアには”香港からデビューした最初のガールズの歌唱グループ”、日本のウィキペディアには”アイドルユニット”と書かれています。香港のメディア『etnet』は、日本のSPEEDやAKB48、韓国の少女時代、台湾のS.H.Eなどのガールズグループを例に挙げて(The Chopsticks)が『香港ガールズグループの源流(可謂本港女子組合鼻祖)』と書いています!
そんな1960年代に活動をスタートさせ、香港で最初のガールズグループの可能性があるっぽい筷子姊妹花(The Chopsticks)の映像が、YouTubeに色んな人に怒られる切り抜き&違法アップロードでありました!
筷子姊妹花(0:15~)
筷子姊妹花(The Chopsticks)も、”ボーイバンド”の溫拿(ウィナーズ)と同じくバンドのビートルズやローリング・ストーンズ、またザ・スプリームスとか”当時のトレンドだった欧米ポップのカバー”曲をリリースしていたみたいです。
そして筷子姊妹花(The Chopsticks)と同時期に、中国語版のウィキペディアによると1973年にデビューしたダンス&ボーカルグループ「四朵金花(Four Golden Flowers)」の映像は···、安心してください!お巡りさんに手錠をかけられない、公式チャンネルです。
四朵金花 (TVB Channel『歡樂今宵』)
デビューが1973年のグループ、四朵金花(Four Golden Flowers)の楽曲は、歌詞が広東語感ありますね。ただ、香港で1960年代後半から1970年代前半ころにデビューしたグループ、筷子姐妹花(The Chopsticks)と四朵金花(Four Golden Flowers)について、中国の週刊誌『南都周刊』はこう指摘をします。
現代の”ガールズグループ”の定義に基づくと、「四朵金花」も”ガールズグループ”に見えません。彼女たちはアイドルイメージを武器にしているわけではなく、歌とダンスの能力だけでなくパフォーマンスのレベルによって観客はグループを推していました。香港のガールズグループの成熟した原形は1985年に黄百鳴が袁潔莹、羅美薇、陳加玲のために作り上げた「开心少女组」でした。
(但若按当代的“女团”定义来看,“四朵金花”也不那么像“女团”。她们不以偶像形象为制胜点,观众对这些组合的喜爱既是因为唱跳能力,也是因为演出水平。香港女团成熟的雏形还是1985年黄百鸣为袁洁莹、罗美薇和陈加玲打造的 “开心少女组”)
中国のウェブサイト『手机新浪网』によりますと、「开心少女组(ハッピーガール)」は、アイドル歌手として初めて近藤真彦さんが香港でコンサートを開いた1984年の翌年、1985年に結成された”C-Popボーイズグループ”の草蜢(グラスホッパー)と同じ、1985年に結成した香港の音楽界および映画界で活躍したガールズグループですって。开心少女组(ハッピーガール)は、香港のビッグネームの映画プロデューサー・黄百鳴(レイモンド・ウォン)さんに発掘され映画『开心鬼』シリーズに出演して、ラッパー・千葉雄喜さん並の”お金 稼ぐ 私はスター キラキラ”になったみたいですよ。そんな开心少女组(ハッピーガール)は、中国の音楽プラットフォーム『網易雲音楽』によりますと、健康的アーンド活発なイメージが特に学生たちからSuper人気を得て、1980年代の若い世代の”アイドル”になったんですって!その开心少女组(ハッピーガール)が影響を受けたアイドルやアーティストの記録は・・・、アタシ&無料版ChatGPT調べでは2024年8月時点で見つけられませんでした!日本にいるとナゾな部分が多い1985年製の香港のアイドル、开心少女组(ハッピーガール)は、こんな女の子たちで歌っていたのはこんな曲です。
開心少女組 「開心放暑假」 (電影"開心鬼放暑假"主題曲)
動く开心少女组(ハッピーガール)を、どうしても見たいって方は、”反スパイ法”に引っかからないように気をつけながら中国の動画サイト『哔哩哔哩(bili bili)』の方の、違法アップロード映像をどーぞ!
アメリカのラッパー・Megan Thee Stallionさんの歌詞レベルに、”五条悟”にも、いつも1つらしい”真実”にも触れることができないまま長々と書いてきましたけど、たぶん分かったと思うことはたった2つね!
①:1960~1970年代の、香港のボーイバンドやアイドル的人気があった音楽グループは、欧米のグループに影響を受けたっぽい。
②:香港ポップミュージック(C-Pop)グループは、1980年代に日本のアイドルグループに影響を受けて、台湾と同時期の1985年に誕生しているっぽい!
あと、たぶんですが、この2~3年後に韓国で、日本のアイドルグループに影響を受けて最初のK-Popミュージックグループが結成されるとアタシは思い込んでいまーす。
そして時間は、2000年代。アメリカのビルボード誌の日本版『Billboard JAPAN』によると、香港のリアリティ番組『全民造星』から2022年1月に、香港初の大型ガールズグループ・COLLAR(カラー)が爆誕。『全民造星』からは2018年に、ニューヨークタイムズに”香港のBTS”と称されたらしい、香港の12人組ボーイズグループ・MIRROR(ミラー)が誕生し現在、香港音楽シーンを席巻しているといいます。影響もとは、たぶん韓国だと思います。
COLLAR 「OFF/ON」 Official Music Video
ライターの紅水蜜桃(くれないの すいみつとう)さんは、女性誌『with』のサイトで、香港のグループアイドルの現在についてこのようにまとめてくれています。一部アタシ改ざん・・・ \ おーまわりさーん(DJかミニスカの) /
グループアイドル不毛の地だった香港芸能界にはグループアイドル育成・運営のノウハウの蓄積がないので、MIRRORが近隣のアジア諸国のグループアイドルの「美味しいとこ取り」をしていることは否めない。MIRRORを生み出したオーディション番組『全民造星』は『PRODUCE 101』(韓国)をフォーマットにし、楽曲の多くがK-Pop方式でコンペを勝ち抜いた多国籍のサウンドクリエイターチームによるもの、ファンダムも韓国のそれに倣っている。
MIRRORはグループ活動よりも、メンバーのソロ売り・セット売りに比重を置いており、2024年1月から2月のライブツアーもそれが反映されていた。メンバー達を効率的に稼働させることができるし、それによって全員集合するグループ活動の希少価値も上がる。中国各地からの移民の集合体である香港では、自己主張すると同時に自らの行動に責任を持つことが尊ばれる。そんな香港人の気質にはソロ売り・セット売りの方が合うし、それ故これまでグループアイドルが輩出されなかったのだが、結果的にメンバーの個性を尊重し才能を伸ばすことに繋がっている。
民主派でも親中派でもない中庸スタンスで、メンバー全員が香港生まれ香港育ち。政治信条の違いで分断した香港人もMIRRORという共通の「地元の推し」を前にしているときだけは、今でも一体感を抱くことができる
アタシが好きな、香港のグループアイドル・MIRRORのメンバー・ソロ曲&Videoです・・・。
Anson Lo 盧瀚霆 「Hey Hey OK!」 Dance Version
MVは2024年7月にリリース。再生数は現在までに、およそ430万回。
姜濤 Keung To 「鏡中鏡」Official Music Video
リリースは、2022年1月。再生数は現在までに、およそ1510万回。
姜濤 Keung To「作品的說話」 Official Music Video
リリースは、2022年4月。再生数は現在までに、およそ1570万回。
香港の新聞『東方日報』などの記者を務めたジェームス・ラムさんは、MIRRORの人気について2023年12月に日本のメディアが行ったインタビューで、こう答えています。『(MIRRORは)いまや社会現象になるほどで全盛期の日本のSMAPのような存在です』と。やばぁ!(パリ五輪スケートボード・瀬尻さんの解説)。次は近い未来に、SPEEDやAKB48的な存在の”香港の女性アイドルグループ”が出てくるのが楽しみです!あと恵比寿マスカッツとか、刑務所のアイドル・Paix2(ぺぺ)的な存在も。