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สาว สาว สาว (タイ初のガールズグループ・サオ サオ サオ)をリサーチ FROM THE FAR EAST
音楽ストリーミングサービスのSpotifyが、”今、世界中で波が起きている”って報じるほど、人気が拡大しているらしいタイのポップミュージック・・・、”T-Pop”!T-Popのファンは日本やアメリカ、そしてドイツやメキシコとかまで広がっていて、2022年から2023年末の間だけでファンの数は2倍、Spotify調べによるとプレイリストを聞く人は過去5年の間で3.5倍に増加しているそうですよ!すげー(←パリ五輪・スケボー解説の瀬尻さん)
4EVE 「วัดปะหล่ะ? (TEST ME) (Prod. by URBOYTJ)」 Summer Video
タイのガールズグループ・4EVE(フォーイブ)が、2021年4月にリリースした1stアルバム『The First Album』の収録曲。Videoの再生回数は現在までに、1億2919万回。
BNK48 「โดดดิด่ง」 MV Full Ost. 『ไทบ้าน x BNK48 จากใจผู้สาวคนนี้』
タイのアイドルグループ・BNK48が2020年1月にリリースした、ラオスから東北タイの音楽・モーラム(หมอลำ)調の曲。Videoの再生回数はBNK48「Koisuru Fortune Cookie คุกกี้เสี่ยงทาย」を上回る、現在までに2億1175万回。
4MIX 「Y U COMEBACK」 BACKSTAGE CAM - MINI CONCERT IN MEXICO
タイのLGBTQバンド・4MIX(フォーミックス)が、2021年5月にリリースしたデビュー曲。ラテンアメリカ諸国でも大きな成功を収めた。
最近、人気が拡大しているT-Popに関係して、タイの新聞『ประชาชาติธุรกิจ(Prachachat)』が2018年9月に出した記事に、日本の夏かプロデューサーのKoshyさんくらいアツい内容が書かれています。記事のタイトルはChatGPT訳によると、『サオ サオ サオが語る思い出 ―― ”インディー”という言葉がまだ存在しなかった時代の、最初のガールズグループとインディースタイル。(สาว สาว สาว เล่าความทรงจำ เกิร์ลกรุ๊ปกลุ่มแรกกับวิถีอินดี้ในยุคที่ยังไม่มีคำว่า “อินดี้”)』。トランプ元大統領並に著作権をシカトして、無断転載します!
タイ初のガールズグループ、サオ サオ サオ。彼女たちは全盛期を迎えて、多くの現象を巻き起こし、当時の若者たちにとって”本物のアイドル”となりました。今のように歌手を”アイドル”と呼ぶことがまだなかった時代のことです。
(สาว สาว สาว เกิร์ลกรุ๊ปกลุ่มแรกของเมืองไทย 【中略】 สาว ครองเมือง และสร้างปรากฏการณ์มากมาย เรียกว่าเป็น “ไอดอล” ตัวจริงของวัยรุ่นในยุคนั้น ซึ่งเป็นยุคที่ยังไม่มีใครเรียกนักร้องว่า “ไอดอล” อย่างทุกวันนี้)
タイで、歌手を”アイドル”と呼ぶことがなかった時代に、”アイドルになった”タイで最初のガールズグループがいたみたいです。そのグループの名前は、サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)だって!
そこで、タイの国民的”ガールズグループ”の4EVE(フォーイブ)、タイで人気の”アイドル”グループ・BNK48、ラテンアメリカ地域にもファンをもつ4MIX(フォーミックス)、さらにはK-PopのBLACKPINKのリサさんやBABYMONSTERのチキタさん&パリタさんなどなどのパイセン、それか姐さんかネキっぽい、サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)について・・・、タイへ行って調べるお金がないので、約4500キロ離れた極東のお家(事故物件&ゴミ屋敷)から社会問題になっているレベルに部屋から一歩も出ずに、リサーチ(ネットで検索するだけ)を行います!ちぃーーーーーっす。
”サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)”をまずネットで検索しますと、最初に出てくるのはタイ語版のウィキペディア。そこには、このような内容が書かれています。翻訳してくれるのは貧乏なアタシがお世話になっている、無料版のChatGPTです!
サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)は、タイの女性のみで構成された音楽グループで、ロットファイ・ドントリー(MUSIC TRAIN)レーベルに所属してました。主にハーモニーを重視したパフォーマンスを行い、メンバーは”AMP”ことサワラック・リーラブット(เสาวลักษณ์ ลีละบุตร)、”MAM”ことパチャリダー・ワッタナー(พัชริดา วัฒนา)、”POOM”ことオーラワン・イェンプンスッ(อรวรรณ เย็นพูนสุข)の3人。ステージに立つ際は、衣装や振付けに特にこだわり、現代のガールズグループに似たスタイルでパフォーマンスを行っていたため、”タイ初のガールズグループ”と呼ばれています。
文章は一部アタシ改ざんに加えて、メンバーの読み方は、アタシが音漏れ参戦している人レベルの”全集中 リスニングの呼吸”で聞き取りをした結果なので、たぶん間違えています!
![](https://assets.st-note.com/img/1723514884758-jKOTELH8E3.jpg)
左:”MAM” a.k.a. パチャリダー・ワッタナー(พัชริดา วัฒนา)さん
センター:”AMP” a.k.a. サワラック・リーラブット(เสาวลักษณ์ ลีละบุตร)さん
右:”POOM” a.k.a. オーラワン・イェンプンスッ(อรวรรณ เย็นพูนสุข)さん
サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)のより詳しい情報を求めて、日本からインターネットをハイパーメディアクリエイター級に使って行きついたのはタイの新聞『กรุงเทพธุรกิจ(bangkokbiznews)』。その2022年9月の記事には、グループの構想が生まれた1981年から、結成そしてブレークするまでが報じられています。
音楽レーベル『ロットファイ・ドントリー(MUSIC TRAIN)』のオーナー・รประเสริฐ พงษ์ธนานิกรは、1981年(タイの仏暦で2524年)、当時のタイ音楽市場には若者向けの歌手が不足していることに気づきました。そこで、新たなアイデア&モノを生み出し、タイ音楽シーンにあった隙間を埋める方法を模索しました。
その結果、若い女性歌手3人、”AMP”ことサワラック・リーラブット(เสาวลักษณ์ ลีละบุตร)、”MAM”ことパチャリダー・ワッタナー(พัชริดา วัฒนา)、”POOM”ことオーラワン・イェンプンスッ(อรวรรณ เย็นพูนสุข)が、”สาว สาว สาว(サオ サオ サオ)”として結成されました。このグループは、ハーモニーを重視し、ダンスパフォーマンスや独自の衣装を取り入れたもので、タイ初のガールズグループとされています。彼女たちは1982年に1stアルバム『รักปักใจ(※日本語訳は、心に刻まれた愛)』をリリースしましたが、成功とはなりませんでした。理由は、彼女たちのイメージがまだ明確でなく、また曲も3人の年齢に対して大人っぽすぎたからです。
1983年、สาว สาว สาว(サオ サオ サオ)はカムバックします。3人にふさわしい若々しく可愛らしいイメージとともに2ndアルバム『ประตูใจ(※日本語訳は、心の扉)』というアルバムをリリースしてカムバックしたのです。アルバムには、ポップロックやバブルガムポップの曲が詰め込まれていて、現在でも誰でも歌える大ヒット曲「รักคือฝันไป(愛は夢のよう)」と「ประตูใจ(心の扉)」が収録されています。アルバムは30万枚以上を売り上げ、当時としては大きな成功を収めました。また、「รักคือฝันไป(愛は夢のよう)」と「ประตูใจ(心の扉)」の2曲はラジオの音楽チャートに長くランクインしました。この曲の人気により、3人は一躍有名になり、全国的に知られる存在となりました。
タイのメディア『The Cloud』によると、1981年当時のタイの音楽シーンのアーティストは30代以上がほとんどだったという中で、年齢が15歳から18歳の3人の女の子のメンバーでデビューした、ガールズグループのサオ サオ サオ(สาว สาว สาว)。サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)が1982年に歌手(メディアは、カセット)デビューした時、たぶん、”MAM”ことパチャリダー・ワッタナー(พัชริดา วัฒนา)さんが15歳、”AMP”ことサワラック・リーラブット(เสาวลักษณ์ ลีละบุตร)さんが17歳、”POOM”ことオーラワン・イェンプンスッ(อรวรรณ เย็นพูนสุข)さんが18歳だと思います。そして、大人っぽすぎた曲が収録された1982年リリースの1stアルバム『รักปักใจ(※日本語訳は、心に刻まれた愛)』は、ウィキぺディアによると売上は当時人口およそ4500万人のタイでおよそ1万本だったみたいですよ。
1stアルバム発売の1年後・・・、1983年にサオ サオ サオ(สาว สาว สาว)がリリースして”この3人ならたちまちバズったり“的に1stアルバムのおよそ30倍を売り上げた、タイのガールズグループシーンにGILA GILAと輝く金字塔的作品、2ndアルバム『ประตูใจ(心の扉)』。この中に収録された、現在もタイのみなさんが歌えるらしいSuperクラシック曲が、YouTubeのMUSIC TRAINレーベルの公式チャンネルにありました!DJか競馬場にいるおじさんみたいな片耳イヤフォンスタイルとかでぜひ聴いてみてね。
สาว สาว สาว 「รักคือฝันไป」 OFFICIAL MV
ソングライターはタイのวินัย วิษณุกรさん、編曲がタイのバンド・วง ปะการังで、トロピカルが入ったフォークソング感あります。ニューミュージックっていうのかしら?曲名の「รักคือฝันไป」はChatGPTによると”愛は夢のよう”みたいな意味で、歌詞では”どうして人は愛を求めるの 愛は時に人を憂鬱にさせる 控えめくらいが私の心には幸せ 愛は月 愛は太陽 愛は火だって言う でも私にとって愛は夢のよう”的なことを歌っているみたいですよ。曲はレーベルによると、”AMP”ことサワラック・リーラブット(เสาวลักษณ์ ลีละบุตร)さんが、力強く明るく可愛らしい声でリードボーカルを担当。”MAM”ことパチャリダー・ワッタナー(พัชริดา วัฒนา)さんと”POOM”ことオーラワン・イェンプンスッ(อรวรรณ เย็นพูนสุข)さんがコーラスパートを歌唱。そして振付けは、サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)の3人で作ったそうです。Videoは、イメージとパフォーマンスの中間という感じですが再生回数は現在までに、およそ2637万回です!!ゴイゴイスーね、もしくは”スーを差し上げます!”。
サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)が1983年にリリースした2ndアルバム『ประตูใจ(心の扉)』に収録されたヒット曲のもう1つがコチラ・・・。
สาว สาว สาว 「ประตูใจ」 OFFICIAL MV
ソングライターは、「รักคือฝันไป(愛は夢のよう)」と同じタイのวินัย วิษณุกรさんで、マージービートが入ったポップロック調です。曲名の「ประตูใจ」はChatGPTによると”心の扉”って意味らしくて、歌詞では”ノックノックノック 私の心の扉を開けようとしているのは誰 良いなって感じたら入ってきて でも他の人に心変わりするなら ロックロックロック 扉は閉めちゃうよ”的なことを歌っているみたいですよ。曲も「รักคือฝันไป(愛は夢のよう)」と同じ、”AMP”ことサワラック・リーラブット(เสาวลักษณ์ ลีละบุตร)さんがリードボーカルで、”MAM”ことパチャリダー・ワッタナー(พัชริดา วัฒนา)さんと”POOM”オーラワン・イェンプンスッ(อรวรรณ เย็นพูนสุข)さんがコーラスっぽいですね。Videoは、3色に塗られた楽譜の上でパフォーマンスをしています。再生回数は現在までに、およそ304万回です!
タイのメディア『The Cloud』のインタビューで、サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)は、影響を受けたモノについて話をしています。まず、サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)というグループ名は、アメリカの歌手であるエルビス・プレスリーさんが1962年に主演をつとめた映画『Girls! Girls! Girls!』をレーベルのオーナー・รประเสริฐ พงษ์ธนานิกรさんが気に入ったことから、タイ語でGirls(女の子)を意味する”สาว(サオ)”を用いて、”สาว สาว สาว(サオ サオ サオ)”というグループ名に決めたそうです。
続いて、ガールズグループとしての影響を受けた存在について、インタビューでサオ サオ サオ(สาว สาว สาว)はこのように話をしています。
最初はマドンナをモデルにしようと考えていたが、衣装やダンスがセクシーすぎなことがわかって、15歳から18歳の女の子には不適切だと感じたため、スタイルを日本風に変更することにしました。
当時(1981~1982年ころ)、タイでは日本のエンターテイメントメディアがかなり希少でした。雑誌は特定の店でしか購入できず、その価格も非常に高かったため、購入するためには数日間お金を貯める必要がありました。NHKのコンサートビデオテープも(中略)、そのままでは再生できませんでした。
「特にインスピレーションを受けたアーティストがいるわけではありません。ただ見て気に入っただけです」とPOOMは話します。
「主に、どのように踊っているか、どのような振付けをしているかを見ていました。」とAMPが続けました。
1980年代、日本は・・・、NHKの連続テレビ小説『あまちゃん』の38回によりますと、”1980年はアイドル黄金期”!1973年に”アイドルの走り”である山口百恵さんがデビューして引退をする1980年秋の前、1980年の春に松田聖子さんがデビュー。つまり『あまちゃん』の天野春子さん(小泉今日子さん演じる)によりますと、80年の夏こそが2大アイドルがダブって存在した、アイドル黄金期らしいっす。そして、1981年にタイで結成したガールズグループのサオ サオ サオ(สาว สาว สาว)が歌手デビューをする1982年は、日本でシブがき隊や中森明菜さん、小泉今日子さんなどの人気アイドルたち“花の82年組”がデビューした年なんですって。
70年代~80年代の日本のアイドルの、タイでの人気ぶりについては、朝日新聞の元記者である篠崎弘さんも著書の中で書いています。
(たぶん1979年から)カセット屋を開き、テレビにもよく出る23歳の人気女性音楽評論家ナンタワディーさんは、「アキナ、セーコ、シブガキ、アリス、テラオ・アキラ、イツワ・マユミらのテープはよく売れるわ」という。(中略)日本人アイドル専門誌「ピアン」などもよく売れている
ガールズグループとして、日本を参考にしたというサオ サオ サオ(สาว สาว สาว)は、日本語を使った曲もリリースしていますよ。
สาว สาว สาว 「Thank You」 OFFICIAL MV
日本のスターダストレビューが1985年3月にリリースした曲のカバー。曲は、1970年代から1980年代の日本の”昭和シティポップ”調ね。
サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)が活動していた当時を知るタイのファンの方はFacebookに、『タイの音楽ファンは、タイの雑誌やテレビレビューを通じて日本の歌手たちに馴染みがありました』と前置きした上で、サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)が影響を受けたと思われる日本のアイドルを書いています。
音楽レーベル・MUSIC TRAINが、サオ サオ サオ(สาว-สาว-สาว)をプロデュースする際に参考にしたガールズグループがあったとすれば、それは1970年代であり、最も可能性が高いのはキャンディーズ(Candies)でしょう。(中略)
サオ サオ サオ(สาว-สาว-สาว)が少女隊を参考にしているという議論は、少女隊が1986年にタイでビデオショップを通じて人気を博し始めた頃に生まれました。(中略)
サオ サオ サオ(สาว-สาว-สาว)が夢中になった歌手グループの1つがシブがき隊(Shibugakitai)です。彼女たちが個人的に好きだった日本のグループの曲は、多くのコンサートで歌われていました。
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サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)とキャンディーズの図
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サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)と少女隊の図
ガチファンの方だけではなく、サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)は、タイにおいて研究の対象になっているようです・・・。
タイの首都・バンコクにあるタンマサート大学の准教授っぽいเวฬุรีย์ เมธาวีวินิจさんは2020年に、論文『女性の愛と関係の象徴、女性アーティストグループの歌詞から: サオ サオ サオからBNK48まで(ภาพตัวแทนความรักและความสัมพันธ์ของหญิงสาว ในบทเพลงของกลุ่มศิลปินหญิง: จาก สาว สาว สาว ถึง BNK48. เวฬุรีย์ เมธาวีวินิจ.)』を発表。論文は、研究対象期間を1982年から2018年に設定し、タイトルにある通りサオ サオ サオ(สาว สาว สาว)とアイドルグループのBNK48、さらにタイで1998年に設立されたアイドルレーベル・DOJO CITYなども並べて、タイの女性アーティストグループと時代ごとの女性の文化を論じているようです。さらに、バンコクにあるラムカムヘン大学のกัษมาภรณ์ บุญศรีさんも2020年に発表した研究論文『サオ サオ サオの歌詞の構造と使用される言葉について(รูปแบบการประพันธ์และการใช้คำในวรรณกรรมเพลงของวงสาว สาว สา)』の中で、”サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)がタイ初のガールズグループである”と書いているそうです。タイの新聞である『ประชาชาติธุรกิจ(Prachachat)』や『กรุงเทพธุรกิจ(bangkokbiznews)』とかも記事に明記しているように、タイの”ガールズグループ”は、サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)が最初で、そこから始まったのはAwichさんよろしく“異論は認めん 4EVEもBNKもリサもチキタも皆ついてこい”的な、いつもひとつだけの”真実”だとアタクシも思います!・・・タイから遠く離れた極東の家(家の隣はお墓)の中で、ネット検索をしただけですけど。
1982年頃から、現代のガールズグループに似たスタイルでパフォーマンスを行っているため”タイ初のガールズグループ”とか呼ばれているらしい、サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)。しかし、サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)以前も女性だけの音楽グループは100%存在していたと思います。サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)が1982年に歌手デビューする以前の女性だけの音楽グループと、現代のガールズグループと似ているサオ サオ サオ(สาว สาว สาว)の大きな差異・・・、それはサオ サオ サオ(สาว สาว สาว)が、”タイで最初のアイドルグループ”でもあったことなのではないでしょうか?
最後のミステリーを解くために再度・・・、環境活動家に塗料を投げつけられるレベルで電気を使用して、不正プログラムに感染しているパソコンに向かいます。2024年に、タイの新聞『ThaiPost』やメディア『TrueID』などが記事でサオ サオ サオ(สาว สาว สาว)を”アイドル”と記す中で、タイのテレビチャンネルが運営するメディア『workpointtoday』は、サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)がアイドルであることを、順序だてて記事にしていました。書いた筆者が、アニメ『推しの子』の中の『今日は甘口で』並に怒るレベルでリライト&切り抜きします!
まず、タイで、現在のように若い女性歌手グループを”アイドル”と呼ぶことがまだなかった時代に、サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)は当時主流だったカセットで音源をリリースします・・・。
サオ サオ サオは、タイの音楽シーンでこれまでに存在した中で最も優れたヴォーカルグループ(Vocal Group)です。
歌手やバンドの真価は、ライブパフォーマンスで測られます。聴衆はライブやコンサートに足を運び、ラジオやテープで聞いたのと同じように実際に歌うことができるか、またはそれ以上のパフォーマンスを見せることができるかを確認します。
サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)は最初、歌のうまい歌手グループと受け止められていたっぽいです。記事ではさらに、”AMP”ことサワラック・リーラブット(เสาวลักษณ์ ลีละบุตร)さんがギターを演奏しながら歌ったり、”MAM”ことパチャリダー・ワッタナー(พัชริดา วัฒนา)さんがピアノを弾きながら歌ったりした高いスキルを持っていたこともヴォーカルグループ(Vocal Group)という評価に繋がったとしています。その上で、当時のタイの音楽シーンの状況に踏み込みます。
その時代には、今のように若い女性歌手グループを”アイドル”と呼ぶことはありませんでした。
それ以前は、タイのポップス市場(T-Pop)は、まだリスナーが細分化されておらず、主に成人したプロの歌手がアルバムをリリースする市場でした。特に女性のデュオやトリオの歌手たち、例えば”คณะดอกไม้ป่า(Dokmai Paa)”や”คณะเดอะฮอทเปปเปอร์ ซิงเกอร์ส(The Hot Pepper Singers)”などが人気の曲をリリースしていました。
初期のティーンエイジャー向けの音楽市場には、女性の若い歌手グループはほとんど存在せず、ほとんどが男性のストリングス・コンボグループでした。
サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)が1982年に歌手デビューする以前は、ティーンエイジャー向けの女性の若い歌手グループは、タイにほとんど存在しなかったみたいですね。タイのメディア『The Cloud』も、1980年当時のタイの音楽シーンのシンガーは30代以上がほとんどだったと書いています。
そしてティーンエイジャー向けではないっぽいですが、当時活躍していた”女性のデュオやトリオの歌手たち”としてタイのメディア『workpointtoday』は、記事で2組の名前を挙げています。
まず、คณะดอกไม้ป่า(Dokmai Paa:Wild Flowers) は、Tpop Wikiによりますと女性デュオで、1982 年にアルバム『ทุยใจดำ』でデビューしたみたいです。ジャンルは、『String』。
↑の『workpointtoday』の記事にある”ストリングスコンボ・グループ”、Tpop Wikiにあるジャンル名の”String”ですが、前川健一さんの本『まとわりつくタイの音楽』によりますと・・・、”1970年代に続々登場したバンドを、ストリング・コンボと呼んだ。その名残りで、現在はロック色の強いポップミュージックを〈ストリング(String)〉と呼ぶ”ですって。
そんなストリングの女性デュオ・คณะดอกไม้ป่า(Dokmai Paa)のコンサート映像が、YouTubeにありました!
ดอกไม้ป่า 「ทุยใจดำ Ver.3 ช่า」 (ภาพคอนเสิร์ต)
もう1組の、คณะเดอะฮอทเปปเปอร์ ซิงเกอร์ส(The Hot Pepper Singers) は、ウィキペディアによりますと、ハーモニーデュオグループで1979年から活動して、グループは大変な人気を博しました・・・ですって。คณะเดอะฮอทเปปเปอร์ ซิงเกอร์ส(The Hot Pepper Singers)は当時の動画はディグることができず、代表曲の音源だけが公式に残されていました。
เดอะฮอทเปปเปอร์ ซิงเกอร์ส The Hot Pepper Singers 「หัวใจสลาย」 Official Master
タイで1970年代から1980年代はじめに人気があったぽい、↑の2組の女性音楽グループを例に、タイのメディア『workpointtoday』の記事を整形手術でパッチリとなった目で読み進めます。
สาว สาว สาว(サオ・サオ・サオ)は特に若者の間で非常に注目されました。コンサートやさまざまなイベントでのパフォーマンス、例えば『โลกดนตรี』や『7 สีคอนเสิร์ต』などでは、衣装やダンスの振付けに重点を置き、その時代のアーティストと差別化されていました。現在の‘ガールズグループ’に似たスタイルであったため、タイ初のガールズグループ(Girl Group)として称されました。
衣装やダンスの振付けに重点を置いて当時のアーティストと差別化をした、”現在のガールズグループ”に似たスタイルであったという、1982年に歌手デビューをしたサオ サオ サオ(สาว สาว สาว)。記事でイベント名をあげているコンサートのパフォーマンス映像が、YouTubeにたぶんありました。近くが見えにくい方などは、老眼鏡をかけたりして見るとイイと思いますよ!
สาว สาว สาว - โลกดนตรี(※日本語訳は、音楽の世界) (2528)
サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)のパフォーマンスは、0:34~の1曲目、日本語歌詞でシティポップ調の曲「Thank You」から振付けが入っています!AKB48やモーニング娘。やPerfumeなどと違って、日本の初期のアイドルみたいに、バックにはバンドがいます。そして注目なのは8:46あたりのMCブロックで、カメコっぽい人が映像に写ります。そして16:34~、女の子のファンとかがメンバーにステージ下からたぶんプレゼントを渡しに集まってくるアイドル感ある映像が入っています。あと、”クラップ(手拍子)”が入る曲もありますね。
サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)の仏暦2528年、西暦だと1985年のコンサートでしたが、1年後の仏暦2529年にアタシは大きいと思うアイドル的な変化がコンサートにおいて起きます・・・。
สาว สาว สาว - คอนเสิร์ตติดแอร์(※日本語訳は、エアコン付きコンサート) (2529)
女子たちのクロちゃんみたいな高い声の歓声の中で幕を開ける、1曲目。0:18からサオ サオ サオ(สาว สาว สาว)のキラーチューン「รักคือฝันไป(愛は夢のよう)」が始まりますが、1:11~のBメロにファンの方のコールが入っています!!他にも、コールやシンガロングが入る曲が映ります。明らかに、1982年以前の女性音楽グループと2例ではありますが様相アンド雰囲気が違うように思います。ファンの女の子たちがワいていますが、バカなアタシには重要なMCあと歌詞でサオ サオ サオ(สาว สาว สาว)が何を伝えているのか分かりません。オワター\(^o^)/
ここまでタイのメディア『workpointtoday』の記事をベースに書いてきましたが、同じような内容をアタシに教えてくれたタイの方がいます。それは、たぶんタイ在住のサオ サオ サオ(สาว สาว สาว)のガチ勢・kilroyさん。「サオサオサオ(สาว สาว สาว)は、タイで最初の女性アイドルグループですか?」という極東の国・日本からアタシがFacebookを通じて送った痛い質問に、2024年3月3日、このような回答(原文は英語)を返してくれました!『(Sao Sao Saoがタイで)「最初の女性アイドルグループ」という定義に関して、答えは「はい」だと考えています。カギとなる単語は「アイドル」で、Sao Sao Saoの前にいくつかの女性グループが存在しましたが、若い10代に人気がありませんでした』。コップンカップ!
2024年8月の時点でアタシも、サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)がタイで最初のアイドルグループだと推測しました!Superあざーす。
そんな、タイで最初のアイドルグループになったと思うサオ サオ サオ(สาว สาว สาว)には、ヒット曲が他にもあるみたいですよ。
สาว สาว สาว 「เป็นแฟนกันได้ยังไง?」 OFFICIAL MV
サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)が1984年にリリースした3rdアルバム『เป็นแฟนกันได้ยังไง』のタイトル曲。プロデュース&ソングライターは、タイのกริช ทอมมัสさんで、曲はカントリー&ウエスタン調です。アルバム名で曲名でもある「เป็นแฟนกันได้ยังไง?」はChatGPTによると”どうすれば恋人になれるの?”って意味みたいで、歌詞では”私はケチ あなたは不愛想 私は塩味が好き あなたは薄味が好み 会えばいつもケンカ でも会わないとお互いが恋しくなる だからみんな不思議がってる ウチらどうして恋人同士になったんだろう これって運命のいたずらね”的なことを歌っているみたいですよ。Videoはライブ映像で、再生回数は現在までにおよそ93万回です。
あと、サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)の代表曲「รักคือฝันไป(愛は夢のよう)」に、きっとみんな大好きタイのビート・3 ช่า(サムチャー)をブチ込んだオフィシャルのリミックスが、アレンジャーが誰か分からないのですが、まーじでSuper最高ですよ!
สาว สาว สาว 「รักคือฝันไป (แดนซ์)」 OFFICIAL AUDIO
サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)は、歌手をやりたい10代の女の子3人と1人のプロデューサーが、大人が大半を占めるタイの音楽の世界で手探りで活動を始めたのがスタートのようです。曲や振付けは最初、海外アーティストの作品を見よう見まねでデモを作っていたそうです。そうして1981年から活動を開始し、その9年後の1990年にリリースした10枚目のアルバム『ดอกไม้ของน้ำใจ』を最後に、タイで最初のガールズグループまたたぶん最初のアイドルグループとしての役割をサオ サオ サオ(สาว สาว สาว)は終えます・・・。
グループとしての活動終了後も、サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)のメンバーは時どき再結成をし、タイでコンサートを開いているそうです。またメンバーは個人として、”AMP”ことサワラック・リーラブット(เสาวลักษณ์ ลีละบุตร)さんはタイで最も大きいエンターテインメント企業・GMMグラミーに所属し、ソロアーティスト、作曲家として59歳となった今も活動を続けているそう。
แอม เสาวลักษณ์ 「เพราะไม่เข้าใจ」 OFFICIAL MV
1993年にリリースされた、แอม เสาวลักษณ์(エーム・サワラック)さんのソロ曲。
”MAM”ことパチャリダー・ワッタナー(พัชริดา วัฒนา)さんはRSプロモーションに所属しソロアーティストとして活動した後に独立し56歳となった現在も歌手をしながら歌のトレーナーとして後輩の育成にあたっているとのこと、”POOM”ことオーラワン・イェンプンスッ(อรวรรณ เย็นพูนสุข)さんもタイのリアリティ番組に出演したりしながら59歳となった現在も歌手また音楽レーベルで歌を指導していたりなど・・・、サオ サオ サオ(สาว สาว สาว)の3人は現在も、タイの音楽シーンにいて全員が”歌”の世界から離れていないそうです!!
![](https://assets.st-note.com/img/1724017815223-Fxh5Bjeg7s.jpg)
以上・・・、タイの新聞と元アメリカ大統領のSNSと5ちゃんねるに、いま流行のニセ情報が書かれていないと信じこんだくそ長~い作文でした。
(※8月18日 一部修正)