見出し画像

オレの1NDONESIA POP MUSIC史 & GROUP調べ

日本から南へおよそ5700キロ。飛行機に乗ればおよそ7時間30分で行ける、太平洋とインド洋をまたいで大小1万3000もの島々が点在する赤道直下の島国、インドネシア。正式には、インドネシア共和国。”ネシア”は、島々って意味なんだって。面積は、日本のおよそ5倍の190万平方キロメートル。そこに、世界第4位のおよそ2億8000万もの人が暮らしているそうですよ。1万3000を超える島で構成される国、インドネシアは、300以上の種族がいる多民族国家で、調査によると使われている言語も700以上あるらしいです。そんなインドネシアは、仏教・ヒンドゥー教・イスラム教などの文化が共存し独自の文化を発展させてきた首都・ジャカルタがあるジャワ島や”最後の楽園”とも呼ばれるバリ島といった観光地、インドネシア風焼きめしのナシゴレンやインドネシア風焼きそばのミーゴレンといった日本でもお馴染みのグルメ、さらにコモドオオトカゲやゾウ、オランウータンなどが生息するジャングルまである楽しさが尽きない国だそうです。

旅旅ビレッジよりパクった地図

そんなインドネシアは、実はミッキーマウスの中には人が入っているレベルにまだあまり知られていないっぽいのですが・・・、”世界最古のポップミュージック”があるらしいんです!音楽評論家の田中勝則(たなか かつのり)さんの著書『インドネシア音楽の本』から、『アメトーーク!』のパクりたい-1GPみたいに情報をパクります!

インドネシアにクロンチョンと呼ばれる音楽がある(中略)。16世紀にポルトガルがインドネシアを支配していた時期にポルトガル音楽の影響を受けて発生した世界最古の混血ポピュラー音楽がクロンチョンである

田中勝則『インドネシア音楽の本』

クロンチョン(Kroncong)は、民族音楽学者のピーター・マニュエルさんによりますと、”単純なハーモニー”、”弦楽器の伴奏”、”甘い声の物憂い歌”といった特徴があるポピュラー音楽(=ポップミュージック)らしいです。そんなクロンチョンの代表曲で、日本の美空ひばり姐さんもカバーしたっつー、ネット情報によると”日本でもわりと知られている”らしい曲が、無職に優しい無料の0円で音楽が聞けちゃうYouTubeにありました。

Sundari Soekotjo(スンダリ スコチョ) 「Bengawan Solo」 Official Video

世界最古のおよそ400年前にオギャーとお生まれになったらしいインドネシア生まれポップミュージック育ちの、クロンチョンですが、『クロンチョンがいまのようなスタイルになったのは、今(20)世紀初頭のことじゃないか』と田中勝則さんは著書の中で指摘しています。

では、およそ400年前からスタートしたインドネシアのポップミュージックはその後、どのように成長&進化をたどっていくのでしょうか?時間は16世紀から、『相席食堂』の長州力さん並に”トぶぞ”・・・!

インドネシア語で歌われるすべてのポピュラー音楽からクロンチョンとかダンドゥットとかのハッキリした音楽を引き算した”残り”がポップ・インドネシア。(中略)
インドネシアにおいて、いわゆるポップ・インドネシアのルーツ、というか、(ポップ・ソングを演奏する)〈グループ・バンド〉による演奏がはじまったのは(中略)、50年代

田中勝則『インドネシア音楽の本』

インドネシア語で歌われるポピュラー音楽の全てから、クロンチョンやダンドゥットとかのカテゴリーを引いた音楽を”ポップ・インドネシア”って呼ぶみたいですね。そのポップ・インドネシアのヒット曲が、プレミアムじゃない0円ユーザーのアタシには広告がしょっちょう出てくるYouTubeにありましたよ。

Hetty Koes Endang(ヘティ クース エンダン) 「Berdiri Bulu Romaku」 Remastered Audio

またクロンチョンと並んで紹介されているインドネシアの音楽・ダンドゥット(Dangdut)は、音楽評論家の中村とうようさんによりますと・・・、『1970年代に起こった音楽で、日本で言えば艶歌調の歌謡曲に相当するが、楽器はエレキ・ギターやシンセサイザーを使う一方で民族楽器の横笛がよく使われ、リズムではボンゴが重要な働きをする』ポピュラー音楽ですって。・・・バカなアタシには文字&文章では分かりません!裏金も秘書がやったことで、知りません!アカウントを共有するチーム友達がいない自らの人生を反省しながら、再び広告をがんばって見た後にYouTubeで聞いてみました。

Elvy Sukaesih(エルフィ スカエシ) 「Karena Pengalaman」 Official Music Video

インドネシアでは1950年代までに、1500年代に生まれたクロンチョンに続いて、ポップソングであるポップ・インドネシアが爆誕したみたいですね。では、その先の展開もJKT48『恋するフォーチュンクッキー』並に良くなっていくのでしょうか?ここまで音楽評論家の田中勝則さんの著書『インドネシア音楽の本』をずっとパクってきましたが、この後もまだまだパクりですよ!あーいとぅいまてーん。

60年代初頭には(中略)、地方言語によるポップ音楽はますます花盛りになった。さまざまなグループがさまざまな言語で独特のポップ音楽を生み出した。(中略)
(1945年8月の)独立後のインドネシアのポピュラー音楽の歴史にはいくつかの分岐点があったが、その中でも一番大きかったのはスカルノ初代大統領が失脚した65年だった。(中略)
65年、(中略)、スカルノの失脚。(大統領が)スハルト体制になって急速に西寄り路線を取ることになったインドネシアの音楽、(中略)、スハルトの時代になって欧米のロックなどが急激に入ってきた

田中勝則『インドネシア音楽の本』

田中勝則さんによりますと・・・。初代のスカルノ大統領は、欧米の音楽の流入を締め出すまではしなかったもののSuper警戒をしていたらしいんですが、西寄りの経済重視路線を打ち出した第2代のスハルト大統領へ変わると、欧米の音楽がインドネシアにドッと入って来たらしいです。そして・・・。

70~80年代は(中略)、新しい世代の作曲家がたくさん登場した時代だった。(中略)インドネシアのポピュラー音楽が一番大きな成熟を見せたのが(中略)、80年代だった。(中略)また、この80年代は(中略)、たくさんの魅力的な若手歌手が登場した時代でもあった。

田中勝則『インドネシア音楽の本』

1980年代に、インドネシアのポップミュージックは一番大きな成熟を見せたみたいです。このあとがマジで気になりますが、ここまでDJポリスかミニスカポリスが出動するレベルにアタシが著書泥棒を繰り返してきた田中勝則さんの著書『インドネシア音楽の本』は発刊が1996年・・・、そのため1980年代より後のインドネシアのポップミュージックの成長と発展についてはほぼ書かれていません。でも、安心してください!音楽評論家の田中勝則さんから続いては、1967年に始まったというインドネシアのロックを中心に記した東京外国語大学の講師・金悠進(きむ ゆじん)さんの論文へ犯行現場を移して、アタクシは「15の夜」並に盗みに走ります!

90年代以降、「インディーズ」「アンダーグラウンド」「オルタナティブ」などを冠する概念が音楽メディアにおいて頻出するようになる。(中略)
2000年代半ば以降、政府が国内の音楽産業を「創造産業(industri kreatif)」の重要な構成要素の一つとして包括して支援し始めたのである。2015年に設立された創造経済庁(Bekraf Badan Ekonomi Kreatif)は海外ツアーや国内フェスへの資金提供を行い始めた。

金悠進『インドネシア・インディーズ音楽の夜明けと成熟』

以上、インドネシアのポップミュージックとアタシの文章窃盗の歴史でした!こうしてガールズグループ・XGがダンスの練習で使っていた曲よろしく「Level Up」したインドネシアのポップ・ミュージック。そして音楽と同レベルで、インドネシアのアーティストも時間の経過とともにレベルアップしています。インドネシア語でポップミュージックを歌うガールズグループが昨年、2023年、韓国政府による海外のアーティストを韓国に招いて活動をサポートする韓国国際文化交流振興院の事業対象に選ばれて、韓国でのデビューまで果たしているんです。それがインドネシアのガールズグループ、StarBe(スタービー)!

StarBe 「Cheesecake」 Official Music Video

StarBeは、2019年にデビューしたガールズグループ。活動拠点は、インドネシア・ジャワ島の西部にある都市・バンドン。メンバーはAbelle(アベル)さん、Chelsea(チェルシー)さん、Kezia(ケジア)さん、Shella(シェラ)さんの4人。”StarBe”というグループ名は、スターになるという目標に由来しているそうです。インドネシアではスターになることを目指して今年、2024年も、WISHLEY(ウィッシュリー)やJetava(ジェタヴァ)などのポップミュージック・グループがデビューをしていますが、彼らのパイセン・・・、インドネシアで最初のポップミュージック・グループは、Jin Doggさんのリリックばりに”一体どこの誰”?気になったので、『水曜日のダウンタウン』ばりに調査!

『名探偵コナン』によりますと”捜査は足で”ということで、家(段ボールでできた)を出て近所のコンビニのフリーWi-Fiを使ってヤホーで調べますと・・・、インドネシアの国立研究革新庁の社会文化研究センターに勤めるWahyudi Akmaliahさんという方が2013年に書いた論文『Fenomena Hallyu (Gelombang Korean-Pop/K-Pop) dan Dampaknya di Indonesia(インドネシアにおける韓流現象(韓流/K-POPの波)とその影響)』を早くも発見です。英検5級に落ちているのでChatGPTとGoogleをダブル使いで翻訳をしたものをマッシュアップしましたら、このような内容が書かれていました。

2012年1月15日、インドネシアの新聞『Kompas』は、『世界を席巻する韓流』というタイトルで、韓流現象に関する記事を掲載しました。記事は、ボーイズバンドやガールズバンド、映画、ドラマシリーズ、そして韓国に関連する全て、すなわちK-Pop(韓国ポップ)の大規模な文化波及を取り上げています。
インドネシアの音楽業界も、2010年の末から韓流の波に乗り、ボーイズ&ガールズバンドを結成し始めました2010年にボーイズバンドのSM*SHが登場し、そのあとMax 5、S9B(Super Nine Boys)、M1st、Treeji、3 In 1、NSG Star、D-Prince、Mr Bee、Hit、Mini、そしてDragon Boyzが続きました。
一方で、ガールズバンドは7 Iconsが最初に登場し、その後にKilau、Bidadari、G String、Cherry Belle、SHE、Princess Girls、Minniが続きました。

WAMuhammad『Fenomena Hallyu (Gelombang Korean-Pop/K-Pop) dan Dampaknya di Indonesia』

早くも有力情報を、ポケモン並にゲットだぜ!インドネシアのニュースサイト『kumparan』も2020年の記事で、2010年4月に結成した『SM*SHは、ボーイバンドの先駆者と言える存在でした』って書いています。そのSM*SH(スマッシュ)が、2010年9月にリリースしたデビュー曲&Videoが、YouTubeにありました!広告を我慢してから、DJみたいな片耳ヘッドフォン・スタイルとかで聞いたりしてみてください。

SM*SH 「I Heart You」 official video

SM*SHは、Bismaさん、Dickyさん、Ilhamさん、Morganさん、Rafaelさん、Ranggaさん、Rezaさんの7人で結成。SM*SHというグループ名は、”Seven Men as Seven Heroes”の略で、若い世代にヒーローとポジティブなバイブスを届けたいっていう意味がこめられているんですって。SM*SHは、インドネシアの週刊誌『Tempo』が2012年に行ったインタビュー記事で、SM*SHは”音楽からファッション、スタイルに至るまですべてK-Popの影響を受けています"と明記し、SM*SHのメンバーも「ボクたちは衣装やコンセプトとか、韓国のボーイズバンドを参考にしています」と発言しています。

そのSM*SHから6ヶ月後の2010年10月に結成されたのが”最初のガールバンド”らしい、7 Icons(セブン アイコンズ)。7 Iconsも、SM*SHと同じく韓国の影響を受けているみたいでインドネシアのメディア『VOI』が、2020年2月の記事『History Of Girl Group Women In Indonesia(インドネシアのガールグループの歴史)』で、このようなことを書いています。

7 Iconsは、メンバー7人の関係と関連する活動を通して誕生した最初のガールグループとして(インドネシアに)登場しました。「Playboy」は彼女たちの最初のシングルで、K-popスタイルを取り入れています。

VOI 『History Of Girl Group Women In Indonesia』

7 Iconsが2011年4月にリリースしたデビュー曲で、K-popスタイルを取り入れた「Playboy」が、オレたちニート&自宅警備員のYouTubeにありました。

7 Icons 「Playboy」 Official Music Video

7 Iconsは、A.Teeさん、Gcさん、Linzyさん、Meztyさん、Natlyさん、PJさん、Vanilaさんの7人組。7 Iconsというグループ名は、ラッキー7と”7つの象徴”っていう意味に由来しているんですって。・・・ということでー、インドネシアで最初のポップミュージック・グループは、SM*SHと7 Iconsでアタシ調べ・ジ・エンドと思ったのですが、インドネシアのニュースサイト『FIMELA』に、気になる文章を老眼鏡で発見してしまいました!Ctrl+Cして無断で転載しますね。

インドネシアの音楽の発展は、興味深いサイクルを辿っています。ボーイズバンドやガールズバンドの時代は80年代や90年代に一時的に出現しました。2010年頃、K-Popの音楽がインドネシアに与える影響が大きくなるにつれて、ボーイズバンドやガールズバンドのトレンドが再び浮上し始めました。

FIMELA『Cherrybelle dan 5 Girlband Indonesia yang Populer di Masanya』

K-Popの影響を受けてSM*SHや7 Iconsがインドネシアに登場した2010年より以前・・・、”1980年代から1990年代にかけてボーイバンドやガールバンドの時代”があったらしいです!インドネシアのメディア『IDN Times』も、『K-Popが流行する前、インドネシアのボーイバンドとガールバンドは80年代後半から90年代に掛けて既に人気がありました』って書いた上で、さらに火付け役と推測されるグループ名を具体的に挙げてくれています。

Trio Libelsは、インドネシアにおけるボーイバンド形式のボーカルグループの先駆者の1つです。

IDN Times 『12 Boyband & Girlband Asli Indonesia yang Berjaya di Era 90-an!』

インドネシア語版のウィキペディアにも、『1980年代後半、ボーイバンドとガールバンドが登場し始めました。インドネシアでデビューした最初のボーイバンドはTrio Libels(トリオ リベルス)で、1980年代後半にデビューしました』ってあります!

そのTrio Libelsが、1989年にリリースしたデビュー曲が、親のすねをあま噛みして生きているオレのYouTubeにありました!

Trio Libel's 「Gadisku」 Original Music Video

『Trio Libels, Boyband Pertama di Indonesia Yang Ngetop di Tahun 80 an (Trio Libels 80年代に人気を得たインドネシア初のボーイバンド)』というタイトルの記事を2024年2月に出したインドネシアのニュースサイト『Desk Jabar』によりますと、Trio Libelsは、Edwin Manansangさん、Ronny Sianturiさん、Yani Djunaediさんの3人組。3人は、ジャカルタの学校・SMA Negeri 15 Jakartaで出会ったから、グループ名は3人の”Trio”と、インドネシア語で数字の15を意味するLima Belasを略した"Libels"を足した名前なんだって。デビューは、"スター発掘オーディション"的なテレビ&ラジオの番組に出場して優勝したのがきっかけのようです。

インドネシア語版ウィキペディアを参考にすると、Trio Libelsはグッドルッキングガイで、ファンのほとんどは女性でしかも10代が中心だったらしいです!

インドネシアのメディア『The Finery Report』は、2021年7月に出した『Indonesia’s everlasting obsession with boy and girl groups (インドネシアの永遠のボーイグループとガールグループへの情熱)』というタイトルの記事で、インドネシアのポップミュージック・グループは『1980年代にTrio Libelsが台頭』とした上で、ボーイバンドとガールバンドの定義も示しています。それは・・・!

ボーイバンドまたはガールバンドは、歌とダンスをする若い男性または女性で構成されたポップミュージックグループと定義できます。

The Finery Report『Indonesia’s everlasting obsession with boy and girl groups』

韓国の”K-Pop”やフィリピンの”P-Pop”とかと同じく、インドネシアのアイドル的グループも『ダンス』が入っているのが大きなポイントのようですね!そしてグループの影響源としては、1965年からインドネシアにドッと入ってきた欧米のアーティストを挙げています。

では、インドネシアのガールズグループの最初は?仕事も学校もないけど、時間はあるのでコンビニの前で"フロム・ダスク・ティル・ドーン”調べ続けましたが、ナイツのネタ「オリンピック」クラスに”何も出てこねぇ”!それらしいことが書かれた記事が、ぜんぜん見つかりません。ぴえん。
そこで参考にしたのは、オレたちのウィキペディアのインドネシア語版。ページは『Daftar grup musik Indonesia(インドネシアのミュージックグループのリスト)』。リストの中にはこれまで出てきた、StarBe、SM*SH、7 Icons、Trio LibelsあとJKT48なども載っています。そのリストを調べてアタシが今回、インドネシアで最初のガールズグループだと推測するのは・・・

AB Three 「Takkan Berhenti」 IISF 1995

1993年にデビューしたガールズグループの、AB Three(エービー スリー)。インドネシア語版ウィキペディアの”Indonesian pop”のページで、『1980年代後半に、インドネシアで最初にデビューしたボーイバンドはTrio Libelsで、それに続く形でいくつかの注目すべきグループが出現。Cool Colors、Coboy、M.E.、T-Five、Warna、Rida Sita Dewi、AB Three、Bening』で名前が挙がるグループの1つで、アタシ調べで一番デビューが早いと思うのが1993年8月に結成そしてデビューを果たしたAB Threeだったの。メンバーは当時14歳のWidiさん、15歳のNolaさん、16歳のLusyさんの3人。AB Threeは、ソロアーティストとして活動していた3人がスカウトされて結成&デビュー、そして1995年に1st アルバム『Cintailah Aku』をリリースしたっぽいです。デビュー後、AB Threeメンバーは様々な商品のアンバサダーを務めたり、ウィキペディアによると『ティーンエイジャーから大人までファンを獲得することができました』とあります。
一方で・・・、AB Threeを”ボーカルグループ”と表記しているメディアも多いんです。

2024年6月中頃、YouTubeでインドネシアの”I-Pop ボーイ/ガールバンド アイドル ”の歴史を紹介する動画をいくつか発見!チャンネル登録者数はいずれも3000人以下くらいですが、その映像に揃ってAB Threeがデビューするより以前、Trio Libelsと同じ1989年にデビューしたガールズグループが映っていました!しかも、アタシが参考にしたウィキペディアのインドネシア語版のページ『Daftar grup musik Indonesia(インドネシアのミュージックグループのリスト)』にも、デビューした年の記入がないため不真面目なため調べを怠ってしまったのですが、グループ名は載っていました。それが・・・。

Rumpies 「Nurlela」

インドネシアで当時人気だったらしい5人のディーバ、Vina Panduwinataさん、Memesさん、Trie Utamiさん、Ita Purnamasariさん、Yuni Sharaさんで結成されたグループ、Rumpies(たぶん、ルンピース)。ウィキペディアのインドネシア語版にも、”girl group”と明記されています。グループは、企画ユニットとしてコンピレーションアルバムのために結成したっぽいです。でも、デビューした1989年に発表した曲「Nurlela」が大ヒットして、インドネシアの音楽賞を受賞したみたいですよ。 
一方で・・・、Rumpiesも、AB Threeと同じくを”ボーカルグループ”と表記しているメディアが多いです。

長々と書いてきましたけど、分かったことはたぶんたった2つね!
①:インドネシアのポップミュージックグループ(バンド)は、1980年代後半にアメリカ&ヨーロッパの影響を受けて誕生したっぽい。
②:インドネシアのポップミュージックグループ(バンド)の第2世代は、韓国のポップミュージック(K-Pop)に影響を受けて2010年以降に誕生している。

そんな、インドネシアで30年前に始まったと推測されるボーイズ&ガールズグループについて、メディア『The Finery Report』は現地の音楽プロデューサー・Fay Ismailさんの言葉を用いて、インドネシアで成功を収めるのに必要な要因を具体的に挙げています。それは・・・!『ボーイズバンドまたはガールズバンドの成功を決定する要因は、ルックス、曲、ドラマ(物語)、振付け、ファッションスタイル、ファンとの交流です』。あと加えるなら・・・、2人の隠し子がいない、と、不適切な写真が写真週刊誌に流出しないね!

(※2024年6月18日 加筆・修正)