「わかる」「わからない」

 ”ところで最近、いろいろな場面で「分かる」「分からない」という言葉を耳にする。『ナヌムの家』の上映やそれにともなう討論のなかでも、そんな言葉がよく交わされた。はたしてわれわれに「従軍慰安婦」であることを強いられたハルモニたちの「痛み」がわかるだろうか、というコンテキストにおいてだ。もちろん、「被害者」に安易に感情移入して──あるいは感情移入できた気になって──彼女たちの代弁者として語ってしまうことへの危惧というものがあるからだ。むしろ、「私にはわからない」と言い切ることの方がハルモニたちにたいして誠実であるような、そんな思いに僕らはともすると捉われてしまう。けれどもぼくは、この一見誠実な「私にはわからない」という言い方は、根本において一種の倒錯的反応であり、「理解」という事態を物象化していると思う。そもそも「分かる」ー「分からない」、そんな二分法でぼくらはいったい現実を生きているのだろうか、と素朴にぼくは思い返してしまうのだ。”
 (細見和之「『ナヌムの家』を理解する一つの試み」『言葉と記憶』岩波書店、2005年、六九ー七〇頁)

 上の文章は、ディアスポラ文学研究などで知られている、細見和之氏の論文を集めた著作からの引用だ。ぼくは、自らの研究テーマ上、以上のような場面に置かれることが多い。研究はやがて生活まで染み込み、全ての場面で「わかる」「わからない」の選択の岐路に置かれるような気さえする。

 研究の際にも、生活世界のなかでも、ぼくはその答えを避けながらも、後者の方、つまり「ぼくにはわかり得ないことですが」という前置きを選んでいたと思う。それは、習慣になることなく、必ず意識的に行われていたように思われる。
 ぼくはその前置きを通していったい何を言いたかったのか、を細見氏の文章から考えさせられた。
 ぼくの足りない知識を元に理解(!)した限り、倒錯的反応、かつ「理解」の物象化とは、わかったようなことを言いながら、「わかりませんが」ということが、「倒錯的反応」であり、「理解」という境界を持たない抽象的な概念、人間が語り得るために事後的に着させた「理解」という概念を、あたかもはっきりとした境界線を持つ確固たる概念として「物象化」してしまっている、ということだった。

 ぼくはその倒錯的反応であることを十分知りながら、いつも意識するほど後ろめたさを感じながらも絶えず「ぼくにはわかり得ないことですが」と付け加えることは、一体何だったのか。
 それは、褒め称えるように、他者の記憶と経験を讃え上げ、「わかり得ないこと」を語るぼくに耽て満足するためのものだったのかも知れない。あるいは、「わかり得ない」と小さく付け加えながら、その経験を知り得ない自分が悔しかったのかも知れない。
 以上のような弁明のような説明は、5分に一つずつは、新たなものが頭に浮かぶ。

 細見氏は、”一見潔く「分かる」ー「分からない」と言い切る手前で、むしろこの不透明さにとどまること”を、考える。つまり”「あのハルモニたちの痛みは分からない」と言い切れるほど、ぼくらは強固な一枚岩の「自己」などではないのだ。” (同上、七〇、七一頁)

 男であることを呪い、日本人であることを乗ろう。しかし又押し戻される。そこには、一個とした強固な個人はいない。又、そのようないわゆる属性から離れた、細見氏の言葉を借りれば”無色の実存的個体”も、存在しない。それは、J・デリダが言うように、本体は常に不在する、といったことと繋がるかも知れない。
 細見氏は、ある確固たる主体として、確固たる相手を、確固たる境界線を持つ概念である「理解ー不理解」の図式の中に置くことは、その思考様式の構成部分全てが、そもそも存在し得ない、とおっしゃっているように思う。

 しかし、いくら「分かる」「分からない」について思考しようと、ぼくはその二語を使い続けるだろう。社会的脈略からそれを拒否することは不可能であろう。にも関わらず、常に思考し続け、認識し続けること、そしてここに書いて客観化させ、対象化させることは十分意義あるものであるのではないかと思う。そのことが、今日のこの語りに関わらなくても、ぼくの研究や勉強に常に付きまとわらなければいけない、認識だろう。


参考文献
・細見和之「『ナヌムの家』を理解する一つの試み」『言葉と記憶』岩波書店、2005年

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