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「毒親育ち」の拠り所と交差する未来

今日は、私が14の頃から
長年に渡って愛してきたバンド。
JIGGER'S SON(ジガーズサン)

最近は一年に一度だけ集まって、
ライブを行っていたようだが、
今年はコロナの影響で
Youtubeでのライブ配信だった。

海外に住んでいる私としては
とてもありがたいことだ。

私は海外生活も長く、
また、ここ数年は
子育てで忙殺され、
もう久しく彼らの音楽を
聴いていなかった。

でも私の細胞は
決して、彼らの音楽を
忘れてはいなかったようだ。

久しぶりの彼らの音楽。

ライブが始まった途端、
彼らのエネルギーが
私の体の中へと
一気に流れ込んでくる。

ただただ、こみ上げてくる想い。
そして、とめどもなく溢れる涙。

聴いている間、私は
涙が止まることはなかった。

そしてぼんやりと
その音楽にふけりながら
感じていたことがあった。

幼稚園の頃から私はずっと、
両親の不仲を見せつけられて来た。

両親の取っ組み合いの喧嘩。
半狂乱で父親とつかみ合う母の姿。
常にイライラしている母の表情。
酒に酔って暴れ、
トイレで吐き続ける母。
自殺未遂を繰り返す母。
怒鳴り散らしながら、お皿を割る母。
パチンコ・買い物・睡眠薬依存の母。
そして私に暴力を振るう母…。

そんな病的な母と
毎日生活を続けなくてはならない。
暗い日々…。

父は仕事で家にはほとんどいなく、
私たちのことは無関心な元で育ち、
私の心の中は当然ながら、
ぐちゃぐちゃだった。

さらにもっとつらかったのは、
一体、このことを誰に
打ち明ければ良いのか分からない。

私はそんな二重の苦悩
ずっと抱え続けていた。

「なんで私は生きているのだろう」

私はこの頃、ぼんやりと
こう自分に問いかけていたことを
なぜかよく覚えている。

今思うと、
自己探求を始めたきっかけは
この生きるか死ぬかという
危機的状況からの問いかけが
始まりだったように思う。

そんなどんよりと灰色の毎日を
過ごしていた頃、
私はこのバンドと出会った。

きっかけはテレビCMで
彼らの代表作「大丈夫」
流れているのを聴いた瞬間、
私の細胞は一気に、
この音楽に反応していた。

そこからどんどん
彼らの音楽、世界観に引き込まれ、
ライブ会場にも足繁く通って来た。

私の心を代弁してくれるかの
ような歌詞たちに乗せて
私の心がワクワクする音たち。

あの頃の私にとって、
彼らの音楽は
家庭に居場所のないつらさから
逃れられることができた、
唯一の心の拠り所だった。

中学生の頃から
ライブ会場に直接、足を運び、
実際に彼らの音楽を直接聴くと、
私の細胞は一気に新しく
生まれ変わるような気がした。

そして彼らと
彼らを応援している観客とが
一体となる時間と空間。

それがずっと私の命を繋いでくれ
心の支えになってくれていた。

こうやって考えていると、
家庭内での私は

「両親の間に挟まれ
 抵抗できない無力な私」
「絶対的弱者」

こんな不本意な役割や立場を
ずっと被せられ続けた。

ライブや音楽を聴いている間は
「子供としての役割」から脱却し、
「ありのままのわたし」を
許されているような気がした。
そうやって、
家庭のつらさを忘れることができた。

彼らの音楽と触れる時間は
「個としてのわたし」を思い出せる。
そんな感じがしていた。

今思うと、彼らの音楽が、
あの頃の私の拠り所であり
私の命そのものだった。

私がわたしに戻れる
私のための空間。

誰の制約も受けず、
誰からの束縛もなく、
私のタイミングで、
私のペースで、
ただただ自分の感情を素直に感じ、
自由に表現することのできる空間。

それが私の今これからやりたい
『インナースペース』

絶対的に安全で
絶対的に安心な環境で、
同じ方向を見た仲間たちと、
真剣に自分と向き合い、
ありのままのわたしを感じ、
寄り添い、癒していくための空間。

インナースペース。
私は今、その種まきをしている。

過去の拠り所と現在地が交差したことで
見えて来た未来。
それが今、確実に見えて来ている。


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春が待ち遠しい。

※上記、JIGGER'S SONライブのアーカイブは
 一週間程度で削除されるようです。

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