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「人に迷惑をかけるな」で育てられると

「人に迷惑をかけないように」と言われてきませんでしたか?
また、そのように子育てをしていませんか?

カウンセリングをしていると、人に迷惑をかけないようにするがあまり、本当に困ったときでも人に助けを求められず、人と協調して何かをすることが苦手になり、思うように自分の能力を発揮できない人にたくさん出会います。
「迷惑をかけてはいけない」トラウマです。

親や先生は、良かれと思ってこのように子どもに言ってきかせているのでしょうが、逆効果になっていることが多いのです。

そもそも「迷惑」とは何でしょうか?
その質問をすると、多くの人が答えに苦しむか、それぞれバラバラな答えが返ってきます。おそらく「迷惑」は、時と場合によって、また個人の感じ方によって異なるのでしょう。

幼い子は「迷惑」が何なのかよくわかりません。
それなのに「迷惑をかけるな」と繰り返し叱られたり、たしなめたりすると、自分が知りうる範囲で言葉を定義します。
「こういう時に叱られたからこれに似たこともいけないんだ」
「人に何かを頼んだり、お願いすることはいけないんだ」
「忙しい人に何かをしてもらうことは迷惑なんだ」
などと拡大解釈し、一般化して信じ込んでしまっています。

迷惑をかける子=悪い子=人に受け入れてもらえない子
つまり、人の害になる存在、あるいは価値のない存在になることを意味します。
人に何かをしてもらいたいと思っても、自分が頼むこと全てが迷惑なのではないかと不安になります。迷惑か迷惑でないかは相手が決めることなのにそれを尋ねる発想すらもてなくなり、何も頼めなくなっていきます。次第に人とかかわること全般に対して緊張感をもつようになってしまうのです。

人は恐れていることを引き起こしてしまう

人に迷惑をかけている人は、迷惑など気にしていないようにみられがちですが、迷惑をかけることを恐れている人も多いのです。
迷惑をかけたくないので「できない」「わからない」「助けて」「手伝って」と正直に言えず、苦手なことや難しいことでも無理をしてやろうとしたり、ひとりで多くのことを抱え込みすぎたりしがちです。そして、ぎりぎりで時間がなくなり大騒動になったり、全部が中途半端になったりしてしまいます。
このようにして、本人が一番恐れている「いろいろな人に大きな迷惑をかける」結果を招いてしまいます。

迷惑をかけないように生きることは本当に幸せなのか?

苦手なことでも、多少の無理をしてでもこつこつと努力をして自分でしようとする人は、人に迷惑をかけたり、やたらと頼る人に対して、快く思いません。
心の片隅で
「人に頼ってずるい」
「他人の尻ぬぐいばかりさせられる」
「あんなにしてあげたのに感謝されない」
「あんなにがんばったのに評価されない」
などと、不平・不満を持ちがちで、心の平和がありません。

迷惑をかけないよう一人で努力してきた人は、世間からは、”いい人”、“がんばりやさん”と一応はみなされますが、どこか、つらそうで、きつそうで、寂しそうです。

安全に「迷惑をかけてはいけない」縛りを手放すには

「困ったときはお互い様」の精神で、気持ちよく、人を助けたり、人に助けられたりしたいものです。

「人に迷惑をかけるのではないか」と不安を感じる時は、
これをお願いすると、
相手は嫌な思い、不愉快な思いをするだろうか?
苦しむだろうか?
怒ってしまうだろうか?
などと相手の立場や気持ちになって想像してみてください。
そうでもないのなら、勇気を出してお願いしてみましょう。
そのときに、相手が断っても良いような頼み方をすることが大事です。

人のお手伝いをすることを喜びとしている人はたくさんいます。
余裕のある範囲で、人のことを慮ったり、人に何かをしてあげることは、その人の「幸福度」を高めます。
人の役に立ったり、人から感謝されることで、その人の「自己価値感」「自己有用感」が高まります。

本当に心が豊かで幸せな人は、心がつながって信頼できる人と良好な関係をつくれています。
そのような人たちは、
たくさんの人を助け、たくさんの人に助けられ、
たくさんの人に感謝をされ、
たくさんの人に感謝をしながら生きてることに気づかされます。

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