地震予知・人工地震・地球浄化を唱えることが危うい理由
2024年1月1日16時10分、能登半島で最大震度7の地震が発生しました。
新年早々の大地震に加え、津波に火災も発生し、多くの建物が倒壊。
これを執筆している1月6日時点の今もなお、震度5強レベルの強い余震も続いています。
家屋の倒壊や土砂災害などの危険の中、懸命の救助活動が続いています。
被災された方々のご無事と、一刻も早い救助と支援が届くことを祈ります。
”非”被災者たちのSNSでの動き
幸い、私は被災地から離れた地域で新年を迎えていました(それでも震度7の本震のときは、強い揺れを感じて驚きました)。
今回の地震では”非”被災者です。
うっすらと予想はついていたのですが、今回の地震が発生したあと、SNS上で一部の人たちが「地震予知」「人工地震」「地球浄化」といった話題で盛り上がっているのを散見しました。
あと、「不謹慎」とか「デマ」も。
結論から言うと「地震予知」「人工地震」「地球浄化」といった話題は、特にSNS上では目にしないほうがいいし、話さないほうがいいし、聞かないほうがいい。
これらを唱える人とは距離を置いたほうがいい場合もあると、私は慎重に考えています。
特に、引き寄せの法則とかスピリチュアルを信じている方ほど、止めたほうがいいでしょう。私が考えるその理由を、1つずつ解説させていただきます。
「地震予知」は、地震が発生することを望む人を増やす
ここで取り上げるのは、専門家以外の人間が「地震予知」「地震予測」をSNSで発信する行為です。
地震予知・地震予測をやっていいのは、あるいはそれを公の場に発信して良いのは、地震学や測地学(いずれも地球物理学の一部)に精通されている専門家だけ。
それ以外の素人、あるいは占い師・霊能者・予言者(自称含む)は、地震予知や予測は(仮に可能だとしても)下手に発信しないほうがいいと思っています。
予測や予知ができたとしても、個人や家族や親しい友人に直接伝える範囲にとどめておいたほうが良いでしょう。
SNSで発信や拡散するなど、もってのほか。
そして、そうした人たちによる地震予知や予測のSNS投稿を、私たちは見るのも聞くのも追いかけるのも止めたほうがいいです。
なぜ、止めたほうがいいのか。
その地震予知が当たるか否かとか、精度の高さは関係ありません。
むしろ、ヘタに的中しているほうがマズいです。
今回の能登半島での地震もそうですが、たとえば、地震予測や予知について発信された投稿を、多くの人が目にしたとしましょう。
大地震の直後であるほど、人々の関心は高いですから、おそらく、ある程度の閲覧数や視聴数は稼げると思います。
そうなれば、発信者の承認欲求が、とてつもなく刺激される可能性がある。
「もっとバズりたい」
「もっとバズるために、この地震予測が当たってほしい」
「的中してほしい」
「(自分の予知・予測のとおりに)地震が起きて欲しい」
といった思考や想念が(無意識・無自覚に)生まれる可能性があります。
下手に素人や霊能者が地震を予知・予測することは、地震の発生を願う意識に繋がりかねません。
そして、地震予知・予測の発信をSNS上で見た人たちの心にも、恐れが生まれます。地震の恐怖が、トラウマのように蘇るかもしれません。
「この予測は当たるんじゃないか。的中して地震が起きるのではないか」と。
その恐れは、地震に意識をフォーカスしている状態。
現実に起きていない恐怖を反すうしている状態です。
良い心理状態とは言えません。
引き寄せの法則を信じている方ならば、この心理状態がどれほど危険でネガティブなものか、おわかりいただけるでしょう。
そもそも、未来予測や予知といった話題は、先のことがわからない私たちにとって不安を解消してくれるような錯覚に陥りやすく、洗脳やマインド・コントロールを受けやすいです。
こうした心理状態に陥るリスクを鑑みて、地震予測や予知についてのSNS発信は、しないほうがいいし、見ないほうがいいし、聞かないほうがいい。
そう私は考えます。
現時点では、SNSは注目を浴びて話題になれば、ウソ偽りでも拡散されてしまうようにできています。残念ながら。
人々がインターネット上で発信する情報が、真実か否か以上に、インプレッション(注目度)を重視して拡散される設計になっている以上、(特にSNS上での)地震予測の情報については慎重に取り扱ったほうが良さそうです。
「人工地震」と主張しても、地球上から地震は無くならない
「人工地震」という主張についても、私は慎重に考えています。
もしかしたら、すでに人工地震は技術的に可能なのかもしれません。
それは私も頭の片隅にあります。
しかし、地震が起きるたびに、いちいち「これは人工地震かもしれない」と、勘ぐることはしません。
なぜなら「これは人工地震だ!」と騒いだところで、地震が地球上から無くなることはないから。
仮に、人工地震を起こしている犯人が突き止められていて、その人を説得や粛清することで地震を止められるのならば、私も意見を変えるでしょう。
しかし、現時点では「人工地震だ!」と騒いだところで、地震が発生するのを防ぐことはできません。
「これが予兆だ」という話も、いずれも科学的に証明されている気象現象ばかりで、根拠に乏しく、ジンクスの域を出ないものです。
それに、人工地震ということは「地震が人為的だ」という意味。
人が何らかの方法で地震を発生させ災害を生んでいる、という発想の根本には、「人間にはそれほどの破壊的な悪意がある」という想念や観念や前提が見えます。
私にはむしろ、他の人間にそれほどの疑念と憎悪と敵対心を向けている、人工地震論者の心の内側のほうが恐ろしくて、悲しくてなりません。
人工地震だと騒いだところで、地震を食い止めることはできない。
しかも、自分以外の誰かに対して、怒りと疑念と憎悪と敵対心が生まれる。
そのような心理状態になっている自分自身を、冷静に見つめることができている方がいらっしゃれば良いのですが…。
以上の理由から、私は人工地震という意見も否定的に見ています。
「地球の浄化」→自分が浄化されちまうぞ?
地震に限らず、台風や火山の噴火など、他の自然災害でもそうなのですが、これらが発生するたびに「これは地球の浄化だ」と唱える人がいます。
私がこれに否定的なのは、「地球の浄化」という説を否定したいからではありません。
理由は、あまりにも他人事な意見だからです。
「浄化だ」という意見、そう言う人自身が、地球に自分が浄化されることを考えていない。
もしも私が実際に被災したら、理不尽な状況を目の当たりにして、あまりに無力な自分を、自分の心を納得させるために「これは地球の浄化だったんだ」と考えることはあるかもしれません。
だとしても。
少なくとも、被災地で、被災者の前で、「地球の浄化だ」などと他人事のように言うことはできません。
被災者の前で、それを言えるのか
以上、「人工地震」「地震予知」「地球の浄化」といった主張に、私が慎重かつ否定的である理由を述べました。
これらの主張が、全て嘘八百だとは申しません。
事実は小説よりも奇なり。
可能性が全くゼロではないでしょうし、陰謀論だと決めつけてはならないとも思います。
ただ、いずれにも共通しているのは「それをあなたは被災者の目の前で言えますか?」ではないかと。
被災した友人の前で、「これは人工地震だ」などと言うのでしょうか。
「この地震は以前から予知していた」などと言うのでしょうか。
「地球の浄化だね」などと言うのでしょうか。
SNSで発信するということは、つまりそういうことです。
仮に事実だったとしても、それは被災者にとってなんの慰めにもならず、なんの救済にもなりません。
それもこれも、私たちが”非”被災者だから、そのようなことを考えるゆとりがあるから、想像して、決めつけてしまえるのです。
私たちの心は、決めつけたがるクセがあります。
安定したがるクセがあります。
すぐに答えを求めたがるクセがあります。
間違っていても、デマでも、ウソでも、そのほうが安心できるから。
特に、身の危険が迫る非常事態には、恐怖で判断力が低下します。
災害時にデマが拡散されやすいのは、そういった側面もあるでしょう。
そうした心のクセを知っておくだけで、非常時にもあなたは冷静に対応できるかもしれません。
”非”被災者にできることは募金や義援金。そのために普段通りの日常を送り経済を回すことは決して不謹慎ではない
最後に、いくつか被災者支援の募金や義援金のリンクを掲載します。
石川県:令和6年(2024年)能登半島地震に係る災害義援金の受付について
令和6年能登半島地震被災者支援募金(GMO基金・マッチング寄付)
日本赤十字社:令和6年能登半島地震災害義援金(石川県、富山県)
ふるさと納税制度を利用した災害支援の寄附(返礼品なし)
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