「お金をもらうことに罪悪感が湧く」の種
お金に悪いイメージがある気がする方も、そうでない方も。
お金は、誰もが生きていくのに必要であり、また悩みの種でもありますよね。
これは、お金の不安・悩み・苦しみを、心理療法と哲学とで解消するお話(の、続き)です。
なお、記事の最後に、この心境の変化のキッカケを頂いた講座のPRを掲載しています。
前回のお話はコチラ⬇
これは「お金の稼ぎ方」の記事ではありません。
心理的に、お金の不安や悩みをどのように解消し、うまくつきあっていくかを試みる事例紹介です。
受け取る資格がないのは、能力が無いから?
先日、「私はお金を受け取る資格がない」という種(メンタルシード≒信じ込み・信念・メンタルブロック)が、心の中から見つかったのですが、
私はまだ、なにか引っかかっている気がしていました。
そんな中、自分の心の整理のため、ノートに書いたのがコチラです。
私は「お金を受け取る資格がない」と信じ込んで、「お金が足りなくなるか、ギリギリ足りて生き延びるか」の現実を、長年引き寄せ続けてきました。
ではなぜ、受け取る資格がないと思っていたのか。
当初それは、私の何かが至らないからだと思っていました。
稼ぐ能力がないから。
行動できていないから。
資格を持っていないから。
知名度が足りていないから。
勉強が、努力が足りないから。
ビジネスのスキルが未熟だから。
もっと頑張っている人がいるから。
価格に相応しい貢献ができていないから。
どれも、理由としては至極最もです。
みなさんも、どれかを1度は考えたことがあるかもしれないし、あるいは、誰かから指摘されたことがあるかもしれません。
確かにこれらは、事実かもしれない。
私の現状を説明するのに、間違っていると言えばウソになります。
けれども、私の心の不安を説明するのには、どれもしっくりきません。
模索と内観を続けていくうち、
「どうやら、この不安の正体は”わたしは”ではないぞ…?」と、気がつきます。
私自身に原因がある、というより、私が「お金」をどう捉えているか?に、手がかりがありそうだと。
なくなる不安でも、ないことへの不安でもなかった
私は、とんでもない勘違いをしていました。
ノートに書いたメモのとおりに。
私が感じていた「お金の不安」とは、お金がなくなる不安でも、お金がないことへの不安でもありませんでした。
では、不安の正体は何だったのか。
自分のお金がなくなる不安ではなく、
いやそれ以上に、
”相手の”お金がなくなる不安、だったのです。
私が抱えていた不安の正体とは「他者からお金を奪ってしまう」ことへの不安と罪悪感でした。
相手のお金が減ってしまうのは、自分のせいだと。
能力や努力は関係なかった
私は無意識・無自覚に、こう捉えていました。
相手が苦労して、時間を割いて、汗水たらして得たお金。
それを、私が頂いてしまうことは、それがビジネスという形であれなんであれ「お金を奪う」ことだと。
だから、自分の能力も、行動も、努力も、資格も、知名度も、勉強も、スキルも、貢献度も、一切が不安とは関係なかった。
私は、相手のお金を奪ってしまうことが不安でたまらなかったのです。
周りから「お金を奪ってしまう」と思い込み続け、それに罪悪感を覚え続けてきました。
だから、奪ってしまうことがないように、極力いただく金額を抑えるように努めてきました。
そんなだから、収入が少なくなって当然です。
本当は奪ってなんかいないのに。
相手のお財布事情なんて、なにもわからないのに。
献金袋を握りしめ、托鉢で食いつなぐような
「お金の価値観=奪ってしまう」の世界にいた私は、周りの人たちに対しても「奪われてしまった」人のように扱っていたかもしれません。
(あるいは「奪ってくる人だ」と脅威を感じることもありました)。
奪われてしまった人から、さらに奪ってはいけない。
その罪悪感から逃れるために、いただく量を極力少なく、かつ余り物を分けていただく感覚で、生き延びていました。
一時期は、起業コンサルタントさんの指導を受けて、高額の商品を取り扱ったこともあったのですが、やはり相手から必要以上に「奪ってしまっているのではないか?」という不安が拭えず、商品を取り下げたことがあります。
それは、お布施で、托鉢で、献金で、寄付でのみ生きていく縛りを、自らに課してきたようなものだったのかもしれません。自営業にも関わらず。
いつまで経っても、価値に見合ったものを提供できている気がしなかったのは、お金をいただくこと=相手のサイフから「奪っている」と、思い込んでいたから。
だけど、冷静に考えてみれば、そんなことはないはずです。盗んだわけでも、騙し取ったわけでもないのだから。
「本当は奪ってなんかいなかった」
本当は奪ってなんかいなかった。
私は、このことに気づく必要がありました。
「本当は奪ってなんかいなかった」と、静かに。
繰り返し、繰り返し。
自分に言い聞かせてみたとき、長年抱えてきた不安が、身体の緊張とともに一気に解けていくのを感じられました。
ああ、よかった。
勘違いだったのか。
この安心を忘れることはないでしょう。
奪い奪われるから「分かち合う」世界へ
そして、私はそのあと数日間、寝込みました(笑)
よっぽど、この気づきが(いい意味で)ショックだったようです。
私が長年抱えてきた、お金への不安の正体は「相手のお金を奪ってしまう」と誤認していたこと。
この世界で起きている、お金のやり取りの全てが、お金を奪うことだと誤認していたから。
そして、誤認していた「奪うこと」への罪悪感からきたものでした。
では、私はどのようにお金を扱いたいのか?
どんなふうにお金が扱われる世界にいたいのだろうか?
これは、すぐに答えが浮かびました。
奪い合うのではなく「分かち合う」世界にいたい、と。
私も、私が関わるすべての方も、お金を出すことは「分かち合う」ことで、いただくお金も「分かち合われた」もの。
そうであれば、きっと私は喜んでお金を出せるし、罪悪感なく感謝して受け取ることができる。
分かち合いが積み重なれば、私も、あなたも、周りも、決してお金が無くなることはなく、どんどん豊かな気持ちになっていく。
そんな世界を望みました。
分かち合いの世界で起き始めた奇跡
「分かち合い」の世界で生きていこう、と決めたのが、6月の初めのこと。
その後、「確かに、私は分かち合いの世界にいる」「奪うことへの不安はもう必要ない」と感じるような、小さな奇跡が起き始めています。
私のサービスを購入してくださった方から、「後日に同等の金額のプレゼントを、別の方からもらった」と教えていただいたり、
お気持ちを支払ってくださった方がいらっしゃったり、
その方から後日に連絡をいただいて、「臨時収入が入ってきて、お渡しした分が戻ってきました」と聞いて、お互いに仰天したりと、
こうした報告を、半月の間に立て続けにいただくようになりました。
偶然とは思えません。
「私に分かち合ってくださった方たちが、もっと豊かになりますように」という祈りが、天に届いたかのようです。
「私のサービスを購入された方は、同等かそれ以上の臨時収入になって還って来るよ」だったら、面白いなあ。
おかげさまで、私の中で「奪ってしまっている」感覚が消えています。
もっと安心して、分かち合うことを、分かち合っていただくことを喜べるようになりました。
私も、もっと分かち合える人でありたい。
心を開いていきたいと思う、今日このごろです。
この記事も、お金の不安や悩みとうまく付き合えるようになる、1つのヒントとして参考になりますように。
ここまで読んでくださった、あなたとも分かち合いの世界で会えますように。