【私の使命段階】一合目→二合目(パートナーシップと親子関係)
私は、6年間/4200名超に及ぶ
個性と強みの探究から、
意識の発達に関する「使命段階理論」という
仮説を提唱しています。
(特定のキッカケを経て、潜在的な資質や
才能が段階的に開花していく)
前回、来談者さんからご質問を受けて、
私の使命段階が〇合目から一合目に進んだ
キッカケ、そのエピソードをお話しました。
今回は、その続き。
一合目から二合目に進んだときの
エピソードです。
私事ですが、1つの事例紹介として
参考になれば幸いです。
適応障害からの社会復帰
就職→適応障害→休職→退職→療養を経て、
1年間、いくつかのアルバイトを経た私は
適応障害の診断を受けてから約2年後の
2011年4月、再就職で神奈川県へ移住。
計画停電など、まだ東日本大震災の影響が
残っている中、1人暮らしを始めました。
二合目に進んだ日時は、
2011年4月20日の23時50分。
引っ越して、仕事が始まってから
約3週間が経過したタイミングでした。
思い出せなくても大丈夫
実は、私の使命段階の日時で唯一、
この二合目だけが、この日この瞬間に
何があったのかを思い出せていません。
これは私だけではなく、来談者さんが
「使命段階レポート」を受けられる際に
補足説明させていただく共通項なのですが、
記載されている、ご自身の●●合目の日時に
何があったか?誰と会っていたか?など
思い出せなかったとしても大丈夫です。
ただ、その使命段階で開花した資質・強みに
関する重要な学びを得られているハズなので、
記載されている日時(あるいはその前後)に
何があったかを思い出していただくと、
該当する合数の資質・強みを用いる際に
取り扱いやすくなるかと思います。
必ずしも、印象に残っている重大な出来事が
キッカケであるとは限りません。
人によっては、なんでもない日常の1日が
使命段階が進んだターニングポイントだった
という場合もあります。
使命段階ごとに精神性成長のテーマがある
何があったのかを未だ思い出せない、
私の二合目のときの話に戻りますが、
ただ、大まかには何がテーマだったか?は
心当たりがあるんですよね。
一合目の前後で起きた出来事は、
適応障害からの社会復帰でした。
つまり「仕事」と私のあり方を再構築する
テーマだったわけですが、
これは、再就職と一人暮らしを機に
一様の課題完了を見た、と言えるでしょう。
そして、私の意識の発達に関する
次なるテーマにさしかかったからこそ、
使命段階がひとつ先へ進んだわけです。
次なる段階、二合目のテーマで
心当たりがあるのは
「パートナーシップ」でした。
パートナーシップの課題
当時、私はお付き合いを始めた人と
関東↔関西で遠距離になったばかり。
東日本大震災から1ヶ月後で、
余震が続いていたこともあって、
安否確認も含めて、
頻繁に電話やメールで連絡を
取り合っていました。
(本格的にLINEが普及するのは
東日本大震災以降の話)
結局、その女性とは
その年の秋に別れるのですが、
(フラれてしまうのですが笑)
強く印象に残っているのは、
その人との交際は私にとって初めて、
結婚や子どものことなど
将来のことを真剣に見据えて
相手と向き合ったものだったこと。
それまでの交際が真剣じゃなかったとか
遊びだったとか、
決してそういうわけではないのですが、
まだ大人になりきれていない
学生時代の恋愛観から、
将来を共にする伴侶という意味だったり、
魂の絆(いわゆるソウルメイトとか)を
意識するようになったりという意味で、
恋愛・パートナーシップへの意識が
大きく変わったキッカケになりました。
親子関係の心の傷があらわになる
二合目から、次の三合目までの
出来事を振り返ってみると、
私の二合目の課題・テーマは
「恋愛・パートナーシップ」であり、
同時に「親子関係」の心の傷に向き合う
ステップが始まったタイミングでも
あったように思います。
二合目に進むキッカケだった、
当時お付き合いしていた人との別れ以降、
私はことごとく恋愛がうまくいかず、
人間関係でも悩みが絶えず、
そのことが、私の心の奥深くにあった傷を
徐々にあらわにしていきました。
小学生の頃の、両親の不仲と離婚の記憶。
その痛みを無意識に反すうし続けていた
心の傷です。
親子関係の課題解消→恋愛の進展
この親子関係による心の傷は
1人で対処するには
あまりに手強く、根が深いものでした。
最終的に専門家のお力を借りて
心理セラピーを受けることで
解消へと向かっていきます。
その時のセラピストさんとのやりとりは、
それだけで一本の記事になってしまうので
次の機会にしましょう。
ちなみに、このときに身をもって学んだ
悩みとうまくつきあう技術、
自分の無意識を内観する手法と実践は、
現在の相談業にも活かされています。
そして、本当に不思議な偶然の一致が続き、
親子関係の心の傷が癒えて間もなく、
私は後に結婚することになる相手と
出会うのでした。