こころの息継ぎを

更新をサボりにサボり、文章書きに憧れてる者としてはあるまじき行為ですね。言い訳を書くのであれば、度重なる身内の不幸と人生の試練や持病悪化で精神的にボロボロでした。
本当は秋までにやりとげたいことがあったのですけれど、間に合わなさそうです。今年は見送ることになりそうです。とても悔しくてやるせないのですが、基礎勉強を今から始めて次の機会には自信を付けていけるのならその方が良いと思ったのです。
今から身を粉にしてぐちゃぐちゃな精神のままで、頭の中をまとめることが困難なのです。
ですがこう言った精神が窮地のときにしか残せないものもあるので、余裕が1ミリでもある時には優先して書くことを続けていきたいです。
ここはわたしの日誌と試験的な作品の投稿の場にします。

今日は通院日でした。
祖父の容体が悪いと連絡が来て亡くなったあたりからわたしはとんでもねぇ不眠症悪化が進んでまして。そうでなくとも予定があるとだいたい前の日はどれだけ早く布団に入っても、空が白み出す頃まで眠れやしません。
今回も例外なく眠りについたのが朝方だったので、盛大に寝坊をしました。そもそも朝が弱く午前中動くのがキツいという理由で午後予約なんです。それでも寝坊するのはすごい才能です。
しかし、良心的な病院ですのでどれだけ遅れても怒られることはないと思うと自責の念が生まれたり焦って苦しくなることはないので助かっています。
それでも体も頭も重くて、行くまでが辛いのですよね。何でもそうですが、特に通院は少し遠い上に大体常に具合悪いので大変です。
着いてしまえば何ともないのです。むしろ、主治医の顔を見て話をするのが癒しの時間だったりします。こころの優しい人に、見返りなど先の面倒なこと無しで助けを求めたり頼れるというのは、心地よいものです。
それを今更ながら実感しました。 

最近は人に頼ろうにも、頼られようにも、どこか苦しい気持ちがあったのです。見返りや恩を売り買いするような、そんなよくない気持ちがあったかもしれません。それでも頼られたかったのは、わたしが役に立たない社会のゴミだという自覚が夢に鮮明に現れるようになったからかもしれません。ひとり取り残されるのは、苦しかったのです。

わたしには、何もないけれど。何もないなりに、心はちゃんと息をしていて。こういう息継ぎが必要なのだと思いました。
今夜こそは満足に眠れることを、それだけでいいのでたまにはうまくいってほしいと思います。

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