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アカタン砂防ツアー

 砂防堰堤(さぼうえんてい)が好きだ。
 その構造物の性質上だいたい人里離れたところにひっそりとあることが多い。山道を歩いていて砂防堰堤を見つけると非常に興奮する。
(比較的)新しいものはコンクリートの白い肌がまぶしく、古いものは苔でおおわれて緑だったり茶色になっていたり、あるいはオレンジ色になっているものもある(「スミレモ」という藻類が生えているのがその理由らしいということを本ツアー参加中に教わった)。
 堤体の上を歩いてみたり、べったり腰を下ろしてみたり。たいてい堤体の真ん中にある水通しの部分は下りられる高さだったり下りたはいいものの絶対に上がれない高さだったりあるいは梯子がついていたり。

 そんな砂防堰堤だが、100年以上前に作られたものが南越前町にあるという。当然ながら当時コンクリートの大規模なものを作る技術はなく、石積みの堰堤だとのことだ。その石積みの砂防堰堤を見学するツアーがあると聞いた。これは行かなくては!

 ということで、良く晴れた三連休初日、集合場所のリトリートたくらの駐車場に9時少し前に到着。12人の参加者(中には東京や京都からも!)とガイドのお二人、語り部の伊藤喜右衛門翁でそれぞれ自己紹介。その後リトリートたくらの中にあるアカタン砂防ミュージアムに移り、喜右衛門翁が説明してくださる。
「アカタン」とは、日野川に注ぎ込む田倉川の支流赤谷(あかたん)川のことで、この赤谷川には9基の石積みの砂防堰堤がある。いずれも明治30年代に作られたもので、砂防法(明治30年法律第29号)の施行後、同法が適用された国の事業第1号なのだそうだ。当時第一級の知見と技術が惜しみなく投入されたものだったが、その内森に飲み込まれ忘れ去られた。これを伊藤喜右衛門さんをはじめとする「田倉川と暮らしの会」が5年ほど掛けて発見したのだそうだ。
 9基の堰堤のうち、最下流にある「9号堰堤」は、もともと地域の人に「九つ目の堰堤」として知られていたのだという。喜右衛門翁は、なぜ「九つ目」なのだろうと思ったのだそうだ。あれが「九つ目」なのであれば、残り8基もどこかにあるはずだ、と。そこで赤谷川を遡上し、残り8基の堰堤を発見したのだ。
「9号堰堤」と「8号堰堤」は土堰堤(土の堤体の表面に石が積まれている)で、残りの7基は石積堰堤とのこと。ただ、全部で9基と書いたが、最奥から二番目の「大平ミズヤ下堰堤」は一昨年の豪雨災害でどうやら流れてしまったらしい。
 このブリーフィングの段階で参加者の質問も活発だったのだが、活発すぎて全然終わらないためとりあえず現地を見に行こうということでみんなで軽トラに乗って出かけた。

 9号堰堤から順に堰堤を経巡ってゆく。石積みの美しさと緻密さに圧倒される。機能美であることは疑いようもないが、それだけではない迫力を秘めている。
 砂防堰堤は、土砂を堰き止めるが水は通さなければならない。そのため「水通し」と呼ばれる部分が必ずある。現代のコンクリートの堰堤はたいてい堤体の真ん中がTシャツの首の部分のように凹んでいて、その部分が水通しとなっている。明治の石積みの堰堤は、堤体の左右の端いずれかに水通しを設けている。堅固な岩盤を利用して水通しとし、そこに連なるように堤体を築造しているのだ。また、コンクリートとは違って、石積みの場合は、堤体自体が少しずつ水を通すのだそうだ。そのありようは、まさしく自然との調和であって、見事という他はない。昔と現在の砂防堰堤の設計思想の違いが垣間見えるようで非常に興味深い。
 そんな石積堰堤の水通しだが、その部分だけクローズアップしてみると、「自然の渓流」にしか見えない。

9号堰堤。最下流にある。土堰堤の上に石を積んでいる
伊藤喜右衛門翁の解説
8号堰堤。アカタン堰堤群の中で最大規模を誇る。土堰堤に石を積んでいる
8号堰堤。導流堤とその手前の水通し
8号堰堤の導流堤と水通し。水通しはその部分だけ見れば自然の渓流のようである。
登録有形文化財の銘板

 アカタン砂防堰堤群はすべて登録有形文化財であり、すべての堰堤に文化財であることを示す銘板がある。ただし豪雨災害で銘板が流されてしまって行方不明のものもある。

奥の東堰堤。堤体の上から。僕のいちばん好きな堰堤
奥の東堰堤。導流堤の上から
奥の東堰堤。導流堤と堰堤本体の直交部分から。かなりの高さだ

 地域を土石流から守るためという本来の目的のため、明治の石積堰堤だけではなく、現代のコンクリート堰堤も作られている。これはこれで見ごたえがあってよいものだ。

奥の東堰堤から松ヶ端堰堤に向かう途中にあるコンクリート堰堤
コンクリート堰堤に近づく。オレンジ色は「スミレモ」という藻類が生えているから
コンクリート堰堤の脇を抜けつつ上流に目を向けると…
松ヶ端(まつがはな)堰堤。青空に映えて
松ヶ端堰堤。木々の合間にうずくまる姿に感動する
松ヶ端堰堤。その偉容にみな一様に「ほぉー」と声にならない声を漏らす
全体的に湿潤な環境であり、苔の元気がよい。これなど「お前苔じゃなくて草だろ」って思う
大平口(おおびらぐち)堰堤。半分石積み半分コンクリの変態堰堤。こういうのがたまらないのだ
豊かな苔越しの大平口堰堤
大平ナベカマ堰堤。2年前の豪雨災害の影響を受けている

 大平ナベカマ堰堤から急坂を歩いて登ると、そんなに大きくない滝に遭遇する。実はこれただの滝ではなく、大平中堰堤の一部である。脇に回り込むと石積みの堤体が接続されており、この滝が意図的につくり出されたものであることをその瞬間理解した。滝としては弱弱しく見えるが、水流を弱めるために弱弱しくつくっているのである。いやもうすげぇよ。そのすごさを写真でなかなか伝えられないのがもどかしい。

正面から見るとただの滝にしか見えないが、左側に回り込むと…
木でちょっと見えにくいが左側に石積みが続いている
さらに左に。大平中堰堤である。石積みの堰堤で川の流れをコントロールし、巨大な岩盤に当てて水流を弱めている。先ほど滝に見えたものは意図的につくり出されたものなのだ。まったくそうは見えないところがすごい。自然と人工の調和の極致である
大平ミズヤ上堰堤。アカタン砂防堰堤群9基の中で最上流に位置する。石積みの堤体の下に強固な岩盤が待ち構える。
大平ミズヤ上堰堤。もうちょっと近くから
最奥部のさらに奥の名も無き石積堰堤
苔むした上半分と瑞々しい茶色の下半分のコントラストがたまらない。マーク・ロスコ的コンポジションといって差し支えないだろう
さらに奥の名も無き石積堰堤。我々素人で辿り着ける一番奥だ
狭いところであり、作業場所を確保するのすら大変だっただろう。なんとしても土砂と止めるという当時の人々の意志の強さを感じる

 ここからは一旦8号堰堤に戻り昼食。広大な堤体の上でみんな思い思いにお弁当を広げる。堤体の上が気持ち良すぎて寝転んでいるひともいる。

 昼食後は8号堰堤の少し上流のところで、喜右衛門翁の指導で石積み体験。石積みで堰堤を作ることがいかに困難かということを思い知る。肉体労働であったのはもちろんのこと、それ以上にすぐれて知的な頭脳労働でもあったのだ。上流になればなるほど作業場所も限られるし、先人のなんとしても土砂を止めるという意志の強さをあらためて感じた。

8号堰堤の導流堤へと続く赤谷川にかかる橋の上から
上の写真の橋の上から、上流へと目を向ける。この川辺で石積み体験
喜右衛門さんの石積み指導
石積みには(考えてみれば当然だが)我々から見えている表面だけではなく奥行きがある。どのように強度を持たせるか。参加者みんなで集めてきた石を、方向を変えたりして何度も試す
2時間ほどかかってやっと3段。昔のひとはマジですごい

 石積み体験を通して、午前中見てきた堰堤のすごさをあらためて思い知る。

 今回、このアカタン砂防ツアーに参加して、なぜ自分が砂防堰堤が好きなのかを思い出した。ただ自然が好きなのではなく、ただ建築物や構造物が好きなのではない。自然と人工物の調和が好きなのだ。今回の砂防堰堤はいずれも、その地形や岩盤の状況などをうまく利用して、その結果機能的にも景観的にも自然と調和したかたちになっている。それが我々の心を掴んで離さないのではないかと思った。

 日常生活に倦み疲れたら、今度は一人でこっそりやってくることとしよう。

※Instagramには多少の動画も載せています。よろしければそちらもどうぞ

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